1828.10.7/6(火/月)
なぜこの地球上には、黒人、褐色人種、黄色人種、白人という雑多な人種が住んでいるのか、そして、全人類はたった一組のアダムとイヴから発生したという話は認められるのか、について
「むしろ私としては、自然というものはつねに豊かであり、それどころか浪費をもいとわないものである、と言いたいくらいだ。つまり、たった一組のあわれな夫婦どころか、自然はいっぺんに何ダースも、いや何百人も、人間をこの世に送り出したと考える方が、はるかに自然の意にそっているといいたいのだ」
「つまり、地球がある成熟の段階に達して、水が流れひき、乾いた土地が緑におおわれたときに、人類の発生期が訪れたのだ。全能の神の力のおかげで、住める土地ならどこにだって、たぶん最初は高地に、人間は生まれ出たのだよ。こうしたことが実際起こったのだと認める方が、私は理性的なことだと思う。しかし、それがどうして起こったか、などと思い煩うことは、無駄な話だよ。そんなことは、解決できない問題にかかずらって喜んでいて、ほかのこととなるとからきし駄目な連中に、勝手にやらせておけばいいのさ」
1828.10.8(水)
「あんな善良な人(イェーナ大学の文献学者)が、イタリアのことをあんなに有頂天になってしゃべるのを聞けば、私も悪くとるわけにはいかない。実際私自身がどういう気持ちを抱いていたか、よく覚えているからさ! たしかにこう言っていい、私はローマにいたときだけ、人間の真の姿を感じていた、とね。あれほどの感情の高揚、あれほどの幸福な感情には、その後二度と達することはなかったよ。ローマにいた時の私の状態とくらべれば、実際その後は、もう心たのしくなったことは決してないね」
1828.10.11(土)
「彼(カーライル、1795-1881)が評論するときの信念は、とくに貴重なものだ。それに、じつにまじめだよ! われわれドイツ人をじつによく研究している! 彼は、われわれ自身も及ばぬくらいドイツ文学を自家薬籠中のものにしているね。少なくとも、われわれのイギリス文学研究の程度ではとても彼にはかなわない」
「君にうちあけておくのだが、これは、すぐにでもいろんなことに役に立って、生涯君のためになるはずだからね。私の作品は世にもてはやされるようなことはなかろう。そんなことを考えてみたり、そのために憂身をやつしたりする人間は間違っているよ。私の作品は大衆のために書いたものではなく、同じようなものを好んだり求めたり、同じような傾向をとろうとしているほんの一握りの人たちのためのものなのだ」
1828.10.20(月)
「ひとかどのものを作るためには、自分もひとかどのものになることが必要だ。ダンテ(1265-1321)は偉大な人物だと思われている。しかし彼は、数百年の文化を背後に背負っているのだよ。ロートシルト(ロスチャイルド)家は、富豪だ。けれども、あれだけの財宝は、一代にして築き上げたものではない。こういうことには、どれ一つとっても、人が想像するよりももっと深い根があるものだ。古代ドイツにかぶれたこの国の美術家連中は、こんな事情をまるで知らないのさ。個性もひよわで、美術家としても無能なくせに、自然を模倣して、一人前の美術家だとうぬぼれているのさ。彼らは自然の下風に立っている。しかし、何か偉大なものを創ろうとする者は、自分の教養を向上させ、ギリシャ人みたいに、自分よりも劣っている現実の自然を自己の精神の高みにまで引き上げ、自然の現象の中では内部的な弱さやあるいは外部的な妨害のために単なる意図にとどまっているものを、現実に創り出さなければならないのだよ」
(山下肇訳)
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