今日、帝京大学の歴史学者フランク・ミシュランさんから以下のツイッター投稿があったことを知った
矢倉英隆先生の『免疫学者のパリ心景』を読み始めた。1つ目の人生は免疫の研究者、2つ目はフランスで哲学者。私は矢倉先生の留学計画をほんの少し手伝った事は大変光栄です。著者は教養や理性が溢れるだけでなく、読者を良く考えて書いた本なので、お薦めです。#YakuraHidetaka pic.twitter.com/TdTh8BTRcl
— Franck MICHELIN (@michelinfranck) July 14, 2022
このように『パリ心景』を紹介、推薦していただき、感謝に堪えない
フランスに渡る前、旧日仏学院にあった留学センターでミシュランさんからフランス留学についての貴重な助言をいただき、心を強くしたことを鮮明に記憶している
そのことにも改めて感謝したい
さて本日も、ゲーテ(1749-1832)を読むことにしたい
1829.2.17(火)
「この哲学(インド哲学)は、イギリス人(コールブルック、1765-1837)の報告が真実だとすると、別段変わったところがあるわけではないね。その中にはむしろわれわれ自身がみんな一度は通る時代がくり返されているにすぎないのだ。われわれは、子供のころは、感覚論者だ。恋をして、恋人に、現実には存在しない性質を見るようになると、理想主義者になる。この恋もぐらつきだして、誠実さというものを疑うようになると、いつのまにやら懐疑主義者になる。そうなると、あとの人生はどうでもよくなる。われわれは、なるがままに任せるようになり、ついにはインドの哲学者たちみたいに、静寂主義になるというわけさ」
1829.2.18(水)
「人間の到達できる最高のものは、驚異を感じるということだよ。根源現象に出会って驚いたら、そのことに満足すべきだね。それ以上高望みをしても、人間に叶えられることではないから、それより奥深く探求してみたところで、なんにもならない。そこに限界があるのさ。しかし、人間はある根源現象を見ただけではなかなか満足しないもので、まだもっと奥へ進めるにちがいない、と考える。ちょうど子供みたいに、鏡を覗きこむと、その裏側になにがあるのかとすぐ裏返して見ようとするようなものだ」
「メルク(1741-1791)のような人間は、もうぜったいにこの世に生まれてこないだろうな。よしんば、生れてきたところで、世間の方が別の人間に育て上げてしまうだろう。要するに、私やメルクが若かったころというのは、とてもいい時代だったわけだ。ドイツ文学にしてもまだまっさらな板みたいなものだったから、われわれは嬉々としてそこにすばらしいものをたくさん描きたいと願った。今ではいっぱいに書きこまれ、塗りつぶされてしまって、そんなものを見るのもうんざりだし、利口な人間なら、自分がこれからどこに描いたらいいものやら、皆目見当がつかない始末さ」
1829.2.19(木)
「詩人として私がやってきたことなど、どれに対しても少しも自負などもっていないさ。優秀な詩人が、私と同時代にはいたし、前の時代にはもっと秀れた詩人がいたし、これからもそういう人は生まれてくるだろう。しかし、今世紀になって色彩論という難解な学問において、正しいことを知ったのが私ただ一人だということは、私のいささか自慢にしていることがらだ。だからこそ、私も多くの人よりすぐれているのだという意識を持っているわけなのさ」
1829.3.23(月)
「私の性分は、そういうもの(豪華な建物や部屋)にまるっきり向いていない。カールスバートに持っていたような豪壮な邸宅にいると、私はたちまち怠け者になって、なにも仕事をしなくなる。ところが、今われわれがいるこの粗末な部屋(書斎)みたいに、一見雑然としているようでいてそれなりにちゃんとおさまりのついた、若干ジプシー風な趣もあるといった、見すぼらしい住居の方が、居心地がいいのだよ。ここにいると、私の精神は自由奔放になれるので、活動的になって進んで仕事をするようになるのさ」
(山下肇訳)
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今日の言葉の中では、最後のものが自らに重ねることができ、最も共感できた
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