2019年11月24日日曜日

秋野亥左牟の在り難き生き方



今朝は在り難いものを見せてもらった
日美が秋野亥左牟(1935-2011)という芸術家を取り上げていた
初めての方だったが、その生き方には感じるところ大であった

第二次大戦敗戦直後に180度変わった教師の言葉に大人の社会に不信感を持つ
共産党に参加して扇動されるままに行動
しかし、後にそれは一部の跳ね返りの行動とされる

それから、母親の日本画家秋野不矩(1908-2001)と一緒にインドを訪問したのが転機になる
おそらく、人間の根源的な生き方に目覚めたのだろう
現代文明が浸透するそれまでの日本での生活がはっきり見えてきたのではないだろうか

それ以降、文明の垢(経歴や自尊心など)を剥ぎ取るように努めた
そして、旅に出、時には地に根を張る生活を続ける
後年は島で暮らしたり、絵を見せ、自らの体験を語る旅に出たりしていたようだ

亥左牟氏が語っていた「他の火にあたる」という言葉が紹介されていた
旅に出た土地で全身を晒し、それにより自らを変容させようとしたのではないだろうか
晩年は兵庫の里山で暮らし、76歳で亡くなった


先日、わたしの中に「まだ何も始まっていない」という感覚があると書いた
その中に、このような生き方への願望のようなものが含まれているのではないか
そんな思いとともに、在り難いが故に有難い人生を垣間見させてもらった日曜の朝である






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