2019年11月13日水曜日
「これからの微生物学」シンポジウムで科学の言葉を再考する
昨日の午後は『これからの微生物学』出版を記念してのシンポジウムに参加した
会場は国立国際医療研究センター(NCGM)の大会議室だった
最初、間違って奥の方まで行ってしまったが、若手の研究者が親切にも会場まで案内してくれた
これで最近の若者を特徴付けることはできないだろうが、気持ちの良い対応であった
シンポジウムの初めに訳者として紹介され、ほんの一言、本の宣伝をさせていただいた
トップバッターはパスツール研究所のパスカル・コサール教授
専門のリステリア菌について、未発表のものも含めた最新の成果が発表された
聴衆として彼女が頭に置いていたのは、この領域の専門家だったと思われる
そう理解したのは、明日の岡山は聴衆が違うので調子を変えると言っていたからだ
今日は普通の学会発表と全く同じであった
分野違いの専門家や一般人は理解できなかったのではないだろうか
哲学に入ってから感じているのは、科学の発表は分かり難いということである
科学に溢れる専門用語や略語はまさしく身内にしか通じない隠語で、普通の人の理解を妨げる
同じ略語は分野が変わると全く意味が変わることもある
しかも脈絡の説明をできるだけ短くして、事実に集中する
したがって素人には、相互の関係が分からないまま事実が羅列されるだけに見えるのである
今回もそのことを痛感していた
科学の内容を如何にプレゼンテーションするのかは大問題である
その昔に読んだイギリスの免疫学者ピーター・メダワーの言葉が今も鳴り響いている
それは次のようなものである
優れた科学者が時に分野違いの雑誌を目にすることがあるかもしれない
しかし、そこに何が書いてあるのか理解されなければ大きなチャンスを失うことになる
当時は狭い範囲の人をイメージして書いていたので、そんな人もいるのかという感じだった
しかし今は、優劣は別にして、異なる分野を覗く人になっている
この言葉は、できるだけ多くの人が理解できるように書くよう努めよ、という忠告である
自分の仕事をできるだけ広いパースペクティブの中に入れて捉えよ、ということだろう
それは言葉遣いを易しくすることと同じではない
この問題は科学に限らず、あらゆる専門について言えることで、哲学も例外ではない
わたしにとってもこれからの大きな課題になりそうである
シンポジウム後半では、現在の大問題である薬剤耐性(AMR)が議論された
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