ホラティウスに 「その日を摘め」 という有名な言葉がある
Carpe diem である
パリの学生時代のほとんどの日はこの感覚の中にいたのではないだろうか
文字通り 「今日一日をどう摘むのか」 という問いとともに動いていたようにも見える
言葉では知っているが、それが実はどういうことを意味しているのかを知らないことが多い
それが分かったと感じる瞬間がパリ生活には溢れていたように思う
「わたしの発見」 である
それほど意識はしていなかったが、何かを理解したというこの感覚は大きな悦びだったはずである
それは目に見えないところで大きな影響を与えていたはずである
この感覚もあの興奮状態を支えていた可能性がある
そして、ここトゥールに移っても 「どうこの一日を摘むのか」 という感覚がどこかに残っている
やはり、わたしはエピクロス主義者なのだろうか
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