あやふやな記憶だが、ニーチェは次のようなことを言っていたように思う
ーー 朝の新鮮で貴重な時間を他人の本を読んで過ごすほど愚かで勿体ないことはあろうか。自らの思索に使うのだ!ーーこの言葉が頭に浮かんだからそうしたのではなく、その後で彼の言葉が浮かんできたのである
というわけで、今朝は久しぶりにのんびりと思索の世界に遊んだ
かなりいい時間となったのではないだろうか
見慣れた凡庸な景色がどこか美しいものに見えてきた
主観とは恐ろしいものである
ーー 朝の新鮮で貴重な時間を他人の本を読んで過ごすほど愚かで勿体ないことはあろうか。自らの思索に使うのだ!ーーこの言葉が頭に浮かんだからそうしたのではなく、その後で彼の言葉が浮かんできたのである
「真に新しく、真に独創的な本は、古くからの真理を愛するようにしてくれるものである」著者アドー氏は本エッセイで、西欧には魂の鍛錬の豊かな遺産があることを言いたかった
「我々は‘読んで’人生を送っていますが、最早読むことができなくなっています。つまり、立ち止まり、我々の心配事を解放し、自分自身に還り、細かいことや新しいことを探究することは脇に置いて、静かに瞑想し、反芻し、テクストに語らせるようにすることができなくなっているのです。これは魂の鍛錬ですが、最も難しいものの一つです」彼が考える読書とは、静かに瞑想し、反芻し、テクストに語らせるようにすることであった
「読むことを学ぶためには時間と労力を要するということを人は知りません。そのためにわたしは80年を要しました。そして、そのことに成功したかどうかさえ分からないのです」
ふるさとは遠きにありて思ふもの交通機関の発達により、当時のふるさとの距離感は想像できなくなっている
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
「日の出に対して信心を持つんだ。一年後のことや十年後のことなど考えるんじゃない。今日のことを考えるがいい。お前の理屈など捨てちまうんだ。・・・生活に無理をしてはいけない。今日に生きるんだ。一日一日に対して信心を持つんだ。一日一日を愛するんだ。一日一日を尊敬するんだ。特に、それをしおれさせちゃいけない。それが花を咲かせるのを邪魔しちゃいけない。きょうのように、灰色で陰気な一日でも愛するんだ。心配することはない。ごらん。今は冬だ。すべてが眠っている。強い土地は目をさますだろう。強い土地でありさえすればいい。強い土地のように辛抱強くするんだ。信心を持つがいい。そしてお待ち。もしお前が強ければ、すべてがうまくいくだろう。たといお前が強くなく、弱くて、成功しないとしても、それはそれなりでまた幸福でなければならぬ。もちろんそれ以上にはできないからだ。それなのに、なぜ、それ以上のことを望むんだ?なぜ自分でできないことを悲しむんだ?自分でできることをしなければいけない。自分のなしうる限りをね。それでも、誰よりも多くのことをしてるのだよ。英雄ってのは、自分のできることをする人だとわしは思うんだ。ほかの人たちは、それをしないんだよ。」(『ジャン・クリストフ』、新庄嘉章訳)