2019年9月29日日曜日
草茫々の庭
久し振りの庭は草茫々という状態だ
そう予想していたので、今回は何とかしなければならないという思いで帰ってきた
しかし、昨年よりも多くの花が咲いている
種がいろいろなところに飛んだのか、彩りを増しているのだ
降りてみると、枯れたようにみえる茎?から小さな花が咲いているではないか
何とも愛おしく、とても刈る気にはならない
ゆっくり眺めていると当初の印象が変わり、手が入っていないその庭が美しいものに見えてきた
このまま放っておくと来年は一体どういうことになるのか
そんな気になってきた初秋の朝である
それは自分の体にも優しい結論であった
2019年9月25日水曜日
内なる好奇の泉
3か月振りの日本だが、日本を旅行者として見るという視点が完全に消えている
これは前回にも感じていたが、今回それは疑いようがなくなっている
到着翌日から何もなかったように動き出している
フランスも日本も日常性の中に埋め込まれてきたようだ
常にベースラインにある精神状態はやや詰まらなくも見える
しかし、それは長い間に培われたもので、今や自分の常態として受け入れているものだろう
そのフラットなこころも刺激を受けることはある
それは以前の動物的な?ものではなく、成熟に向かう好奇の心のように感じている
これまでの経験が雫のように滴り落ち、小さな泉のようなものが自らの中に出来上がっている
それは錬金術師が求めたエリクシールを湛えた泉のようでもある
そんな想像が浮かんできた久しぶりの日本である
2019年9月24日火曜日
この秋のプロジェ
今年の初めはまだ翻訳をやっていた
もう大昔のような気がしていたが、まだ今年のことだったことに驚く
ここ数年はフランス人科学者の思考の跡を日本語に移す作業に追われていたことになる
今春、翻訳の作業が一段落した後、自らの思索の跡を纏めることが新たなプロジェになった
まだ全貌は見えていないが、年の瀬までにはその概略が見えてくるように努めたいものである
わたしの場合、広い思考空間が必要になるので、この秋はそれ以外の活動を控えることにした
実際のところ、いつ終わりになるのかは分からない
自分が終わりにしてもよいと思った時が終わりになるのだろう
昔の文系の研究者の中にはキャリアが終わる頃に博士号を取る人が稀ではなかったと聞く
以前はよく分からなかったが、今ではそのこころが理解できるようになっている
2019年9月22日日曜日
リュシアン・ジェルファニョン、あるいは「古代に生きる」ということ
新しいエッセイが雑誌「医学のあゆみ」に掲載されました
エッセイ・シリーズ「パリから見えるこの世界」の第83回
リュシアン・ジェルファニョン、あるいは「古代に生きる」ということ
医学のあゆみ(2019.9.14)270 (11): 1099-1102, 2019
無意識のうちにわたしに影響を与えていた可能性がある哲学史家ジェルファニョンの生き方
そして、現代の病根についても触れています
お目通しいただければ幸いです
2019年9月17日火曜日
お知らせ: サイファイ研究所ISHEの今秋の活動予定
2019年9月16日月曜日
フランスの田舎
パリ郊外にいる
テレビをつけると、Des racines et des ailes という番組が流れている
「根と翼」である
フランスの田舎のシャトーや古代ローマ時代の橋などが出てきた
シャトーにはピカソが描いた壁画がある
映像と言い、古いものに対する姿勢のようなものと言い、素晴らしい
フランス文化に触れ始めた時にわたしのどこかを刺激したものである
この番組のタイトルだが、人は根から始まるが、そこから飛び立たなければならない
しかし、根を忘れてはならないという意味が込められているのだろうか
わたしはそう解釈した
それにしても本当に穏やかな日曜の昼下がりだ
そして、フランスの田舎が捨て難い
2019年9月14日土曜日
旧市街の後はロワールで川涼み
本日も嫌になるほどの快晴
日本でも同じような空を見ることがあるが、両者が齎す内なる変化はどこか違う
根のないところで起こる心的変化には何か特徴があるのだろうか
未だにこれだ!と言えるものが掴めていない
午後から外に出て旧市街から始めた
最盛期の人出は見られないが、やはり元気が出る
仕事の方はボチボチだったが、全く気にならない
帰りにはロワールの川縁まで下りてベンチに腰を下ろし、涼しい風に当たってきた
鴨のような鳥も意外に目に付いた
ロワール川沿いは散策にも瞑想にも使えそうである
これまでなぜすぐにアパルトマンに帰っていたのか
随分と勿体ないことをしていたものである
2019年9月12日木曜日
今回のもう一つの発見
今朝は久しぶりのこの景色
だが、午後には晴れ渡るのではないかとどこかで確信
その通り、午後を待たずに申し分のない快晴となった
本日も旧市街から一日を始めることにした
仕事をしている間は時の流れが感じられない
例えば3時間が経ったとしてもまだ3時間?というくらい、長い間別世界にいたと感じている
この感覚はなかなか得られなかったものだが、集中の程度が上がっているのだろうか
これまでは仕事に入るのが大変であった
いつも完成させようと思っているため、力み過ぎてなかなか入っていけないのである
しかし、いまは違うようだ
ある時間を自らの思索空間である第三層で過ごせばよいと考えられるようになっている
そしてその時間が過ぎて現実に戻ると、それまでにやっていたことがある形になっている
それが完成形であろうがなかろうが関係ないのである
これは非常に良い変化だと考えており、今回のもう一つの重要な発見になるだろう
一仕事した後、一旦アパルトマンに戻ることが多かったのだが、最近は違う
街を観光客の視線で眺めながら良さそうなところに腰を落ち着け、今度は瞑想の時間を過ごす
このぼんやりとした、ある意味では夢のような時間が欠かせなくなって久しい
2019年9月10日火曜日
今回の発見
早朝は曇っていたが、午前中には晴れ上がってくれた
本日も旧市街のいつものカフェ、いつもの席が最初の仕事場となった
午後からは観光客としての散策をしながら中心街のカフェへ
この感じがなかなかよいのだ
先月初めて明確に意識できたのだが、どうしてこれをこれまでできなかったのか
これは今回の重要な発見になるかもしれない
日中は比較的集中できたよい時間を持つことができた
沈潜の季節訪れる
本日も朝から旧市街へ
4時間ほど時を忘れて想像の世界に遊んだ
このところのこの集中はどうしたことだろうか
過ごしやすい秋に入ったからだろうか
ヴァカンスが終わったと見えて、行き帰りのバスが混み始めた
ところで、今日のロワールは水も少なく、涼しさも増し、どこか寂しげであった
これを日本のどこかの川だと言っても誰も疑わないかもしれない
2019年9月6日金曜日
文学にも誘われている?
本日も朝から快晴である
早速出かけることにした
新しいプロジェに淡々と当たる
最近、楽しみながらできるようになってきた
嬉しい変化と言えるだろう
朝の一仕事を終え歩き始めると、小さな古本市をやっているではないか
本当に微妙な変化なのだが、こころが晴れるように感じた
おそらく、想像していなかったものが目の前に開けたからだろう
興味深いものがあったので数冊仕入れた
中に、バルザックのアンソロジーやシャルル・ペギーとロマン・ロランの往復書簡がある
いずれも大戦直後に出たものだが、数字ほど昔という気はしない
今から100年くらい前になると、少しは変わってくるのだろうが
秋の気配とともに文学へも誘われているかのようである
こちらに来てからは初めてのことではないだろうか
リラックスしてきた心持ちと関係があるのかもしれない
淡々と日々を味わう
一日が長く感じられるようになったのが、昨年末あたりからだろうか
この感覚はいまも続いており、最近、特にその長さが増しているようだ
時というものがあるとすれば、それを引き付けて味わっているという感じでなかなかよい
もう一つ、かなり前から感じていることがある
それは、たとえ興味深いことが頭に浮かんだとしてもその昂揚感が持続しないということ
これは精神の平静が日常となったことと引き換えの現象なのだろうか
淡々と歩んでいるということになる
2019年9月3日火曜日
バスティーユでのんびり
トランペットの音を聞いた後、用事がありパリに向かった
空き時間にと思っていた国立図書館のリシュリュー館だが、なぜか閉館
パリ時代に一度来た頃がある程度なので残念であった
入り口から見えるところだけ写真に収めた
ところで、パリに向かうTGVの中でのこと
大きなプロジェのアイディアが浮かんできた
できるかできないかは関係がなさそうだ
どこかにその漠然としたものを抱いたまま歩むというのがよいのだろう
本日の用事も順調に終わり、バスティーユ広場の辺りでのんびり
月曜だというのに活気がある
お隣のお年を召されたご婦人二人組の会話にも活力があり、こちらが元気になる
久し振りのビエールでパリの雰囲気を味わっている
今日はそのお店からのアップとなった
2019年9月2日月曜日
マティアス・ヘフスと共に一日を始める
今朝は初めてのトランペティスと共に始まった
ドイツのマティアス・ヘフス(Matthias Höfs)
涼しさが増した快晴の朝の空気を突き刺すようなトランペットの音は新鮮だ
それと、アンサンブルのメンバーが生き生きしているのも実によい
もう一曲聴いてから一日を始めることにしたい
トゥールの古物市
今日は午後から街に出た
街の中心部を締め切って、入り口では荷物検査がされていた
すぐには何だか分からなかったが、調べたところ古物市(Braderie)とのこと
中心部のナシオナル通りを走るトラムは駅まで運航休止
道の両脇には出店が並んでいる
前に進めないほどの人でごった返していた
一度カフェに腰は下ろしたが、気分が落ち着かず
結局、アパルトマンに戻って仕事をすることにした
帰路、ロワール沿いからは音楽と手拍子が聞こえてくる
見下ろしてみると、民族舞踊で皆さん盛り上がっていた
今日は町の中心部全体が夏の終わりを惜しんでいるようであった
そう言えば最近、夕日が斜めになり、9時を過ぎると夕暮れになってきたと感じる
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