Prof. David Brautigan (Univ. Virginia, USA)
今日は奈良女子大に場所を移し、渡邊利雄先生のオーガナイズによるミニシンポジウムに参加
第一部が脱リン酸化酵素研究のこれまでとこれから
第二部は海外大学の紹介
理系女性教育開発共同機構が主催の会であった
海外からの参加者は、写真にあるブローティガン、シュノリカー、ボレンの三先生
両方のセッションで研究と大学の紹介を行っていた
東北大の田村名誉教授の20年以上に亘るお力添えが背景にあることが見えてくる
私は第二部で「パリの大学院で科学の哲学を学ぶ」と題して、個人的な経験を話させていただいた
渡邊先生のご苦労に改めて感謝したい
Prof. Shirish Shenolikar (Duke-NUS, Singapore)
第二部を聞いていると、海外の各大学とも特徴がはっきりと表れていて、それぞれに魅力的である
昔の教育と違い、微に入り細を穿つとでもいうべき方法論が駆使されていて少々驚いた
われわれの時代の牧歌的な教育が懐かしい
多くの学生の参加があり、質疑も活発に行われていた
ただ、欧米の大学生に比べると、自分を外に出して表現することが苦手のように見える
この点に関しては、海外の先生からも指摘があった
懇親会で伺ったところによると、やはり小中高における教育が反映されているようだ
われわれの時もそうだったので、その傾向が改善されていないと言えそうだ
あるいは、外の目に対してさらに過敏になっているのかもしれない
それから、文系、理系を高校の段階で分ける今の方針に問題ありとの指摘もあった
広くものを見る必要性を訴えている私の立場からすると、その意見には同意せざるを得ない
文理に分けたり、一つの領域を全体から引き離すことが齎す影響が見えていないのだろう
ヤスパースはその結果生まれる産物をこう表現している
「おそらく優れた道具だけは所有しているが、教養というものを一切欠いた人間」
政策決定者にそれが見えないということは、同類だからなのか
見えていてそうできないのだとしたら、それはなぜなのか
どうしても理解できないところである
(左から)
田村真理(東北大)、渡邊利雄(奈良女子大)、雲島知恵(奈良女子大)、
小河穂波(奈良女子大)、D. Brautigan、S. Shenolikar、Mathieu Bollen
(KU Leuven, Belgium)、吉田信也(奈良女子大)の各先生
懇親会がお開きになる頃、やっと科学と哲学の話題になってきた
この問題に興味を持っているのは私一人だったからだろう
今回は学生のために日本語で話すように指定されていた
そのため、海外からの参加者は何を話していたのか分からなかったはずである
ただ、スライドは覚えていて、その内容を訊いてきたところからディスカッションが始まった
彼らの精神が明晰を求めていることが分かる
自分が分からないことを認め、それを確かめようとするごく当たり前の精神と言ってもよい
いつも感心している彼らの特徴である
日本の教育に絡めれば、これを育む何かが欠けているということになるのだろうか
最後は、科学が明らかにしたことが本当に世界を表しているのかという問いに向かって行った
実は、科学者が一番哲学者に近いところにいるのではないか
そう考えざるを得ない展開であった
今度は場所を変え、英語での発表の後、最初からディスカッションをやってみたいものである
ところで、ボレンさんから600ページになんなんとする出たばかりの本をプレゼントされた
トマス・モアによる 『
ユートピア』 の出版500年を記念してルーヴェンの研究者達が書いた本である
'A Truly Golden Handbook': The Scholarly Quest for Utopia (Leuven UP)
彼は研究に忙しいので、一日中暇な私にぴったりと思ったようである
いずれにしても、嬉しい贈り物であった