大袈裟に言えば、わたしの運命を決めることになる言葉に出遭ったリブレリーを9年ぶりに再訪した
当てにはならないが、こちらに来てから訪れたような記憶がない
ここでのエピソードはつい最近も触れたばかりだが、時が経つにつれ、その意味は大きくなる
退職前の2006年12月末、これからを模索するためにパリを訪れた
その時に泊まったホテルの横に、このリブレリーがあった
チャン・リブレリーである
その夜、散策のためにホテルを出るとこのリブレリーがあったので、暫く時を過ごすことにした
今でもこちらのリブレリーには感じるところがある
しかし、当時はもっと強い印象を残したのではないだろうか
薄暗い光の中、壁だけではなく、いくつもの机の上に本が並べられていた
そして、哲学関連の机を眺めている時、「生き方としての哲学」という題名が目に入り、手に取った
古代哲学の研究者ピエール・アドーという方のインタビュー本であった。
読み進むうち、著者の人生の捉え方、哲学の捉え方がわたしのそれと共振するのを感じたのである
これからを考えている時期であり、哲学とは?という問いにも思いを巡らせている時期でもあった
このタイミングだったので、滲み込むようにその言葉が入って来たのだろう
例えば、
「古代人にとって、哲学とは体系の確立ではなく、生きる選択であり、変化の必要性である。・・・私はいつも哲学を世界の捉え方の変容と考えてきた」 (ピエール・アドー)これらの言葉はわたしの気持ちを奮い立たせる効果を持っていた
「哲学とは体系の確立ではなく、自分自身の内、自分を取り巻く世界を何ものにもとらわれることなく観ることを一度決意することである」 (ベルクソン:アドーによる引用)
それまでよく理解できなかった哲学という営みの大きな側面が見えてきた、という感覚であった
この出遭いにより、哲学への道が異質なものではなく、最も自然な道に見えてきたのである
今日は、その出遭いの場に入り、どんな心境になるのかを観察することにした
周辺を歩いても、当時の精神状態を思い出すことはできない
店内に入る
ジャンルの配置は昔と変わらない
そして、9年前の場所に立ってみたが、懐かしさを感じることはなかった
いつものように、現在の興味に合う本はないかと探し回り、数冊手に入れていた
9年振りとは言え、まだ現場の人間なのだろう
さらに10年後くらいに訪れた時、この場の意味も変わり、今日とは違う感情が湧いてくるのだろうか
9年後の現場
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