2016年2月21日日曜日

ウンベルト・エーコさん亡くなる

  Umberto Eco (1932-2016)   
  Photo : Serge Picard (partie)


イタリアの記号学者ウンベルト・エーコさんがこの19日に亡くなったことを知る
享年84
これまでに何度かブログで取り上げた方になる

個人的にも記号論、意味論の世界には興味を惹かれるものがあった
事実、2011年にはロックフェラー大学で開かれた生物記号論の会議にも参加している
それ以来ご無沙汰しているが、自分の中での位置付けが未だ確たるものにはなっていないからだ

追悼の意味を込めて、これまでに書いたブログ記事を3つほど再掲したい


薔薇の名前 (31 mai 2005

先日読んだジャック・ル・ゴフさんのインタビューの中で、中世の時代で目を見張るものとして、大聖堂、城壁、僧院(の回廊)の3つをあげていた (27 mai 2005)。図書館 (la bibliothèque) は入らないのですか、との問いに次のように答えていた。そう聞くのはウンベルト・エーコの 「薔薇の名前«Le nom de la rose» のことを考えているからでしょう。エーコは優れた中世研究家 (médiéviste) だが、彼の中世はその模倣でもないし、夢の世界でもない (ni imité ni fantasmagorique) と。エーコの中世は少し違うというニュアンスだろうか。

フランス語訳でも読んでみようかと一瞬思ったが、長そうなのでまず映画の方を見てみた。実はこの映画が出た時のことは覚えているが、その時は全く見る気にはならなかった。

舞台は北イタリアの僧院(雪がなかなかいい効果を出していた)。時期から言うと、教皇庁がアヴィニヨンにあった時代で、Pope John ヨハネ教皇の名前が出ていたので、14世紀前半だろう。キリスト教の本が揃っているという最大の bibliothèque と本が重要な舞台装置である。それから異端審問 l'Inquisition、魔女狩り、不寛容、拷問、火あぶり、などなど、ゴフ先生から聞いていた中世を特徴付けるもので溢れていた。アリストテレスの 「詩学」第二部の中に、「笑いは人間だけのもの」というような記述があるらしいのだが、イエスも笑わなかったし、神に仕えるものは笑ってはいけない、とい うのが正統。そういう本は危険極まりないもので、修道僧は笑うだけで異端になる時代でもあったのがわかる。

主人公の元異端審問官フランシスコ会の"バスカヴィルのウイリアム"とその弟子"アドソ"がベネディクト会の僧院での会議に召ばれる。すでに僧一人が死んでいるのだが、その後殺人事件が続発、それが異端をめぐるものであることに行き着く。本筋の彼らの推理は映画を見ていただきたい。これに絡むように横糸として描かれているのでは、と思われるものがあった。

映画は、年老いたアドソが当時を振り返る形で語られる(初めてアメリカ映画に触れた時に感じた音の美しさ、当時は sexy とさえ感じた。その記憶が残っているのだろうか。以前ほどではないが、感じるものがある)。彼が、偶然に若い貧しい(底辺に生きる)娘と触れあう、その記憶は時間が経っても消えない、次第に心の底から湧き出る彼女をいとおしむ気持ち。彼女はあるきっかけで魔女にされてしまうが、誰も彼女を救うことができない。ウイリアムは若者の心に彼女に対する愛が生まれていることを読んでいる。一方アドソは、本の中に生きていて哀れみの心など持ち合わせていないよう見える師の態度に苛立ちを覚える。そんな中で女性について、愛についての会話がある。

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アドソ: これまでに愛したことは?

ウイリアム: 何度も。アリストテレス、トマス、、、

アドソ: そうじゃなくて。彼女を救いたい。

ウイリアム: 愛は修道士にとって問題。トマス・アクイナスが言っている愛は神への愛。女性への愛ではない。女は男の魂を奪う。女は死よりも苦い。しかし神が創ったのなら女性にも何らかの徳があるはず。

愛がなければ人生は何と安寧なことか。何と安全で、静かで、、、そして(しかし)何と退屈なことか。
(How peaceful life would be without love! How safe, how tranquil and , , , how dull.)

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火炙りの刑にあった彼女は助かり、アドソは再び会うことになるが、逡巡しながらも別れを選び、師に付いて行く。そしてそのことを悔いてはいない、師から多くのものを学ぶことができたのだ、と語る老いたアドソの声。人生を振り返り、折り合いをつけているような声。

ル・ゴフさんに中世の扉を少しだけ開いて(initiation をして)もらった後だったので、この映画の根っこを捕まえているのだという感触を持つことができ、興味が尽きることなく最後まで見ることができた。エーコさんの中世に浸ることができたようだ。

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jeudi 2 juin 2005

follow-up です。

この映画のDVDの特典の中に、ドイツ語版のドキュメンタリーがあり、若き日のル・ゴフさんが時代考証について語っていた。感激。真実味を出そうとしたら、細部 (détail) に注意して再現しなければならない。水差し、薬瓶、すり鉢、薬草、、、、
監督のジャン・ジャック・アノーさんは見慣れた中世ではない中世を見せることによって真実味を出したい、というようなことを言っていた。


ウンベルト・エーコさんの世界観 (30 décembre 2012)

昨日の散策中、トゥール市役所前のカフェが開いていたので暖を取る
そこで、駅のキオスクで買ったPhilosophie magazineウンベルト・エーコさんのインタビューを読む
エーコさんは、哲学教育を受けた記号論研究者
あらゆることに通じた彼は、考えることが愉しい営みであることを証明している、とある

彼の言葉からいくつか

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哲学するとは、死との折り合いをつけること

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重要な哲学者は、トマス・アクィナス(Thomas d'Aquin, 1224/25-1274)
その主張の内容ではなく、思考に秩序を与える論理性のモデルとして

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記号論とは、現代哲学の形態である
それは20世紀哲学を襲った言語論的転回に向き合う最良の方法だから
言葉で表現されたものと言葉との関係をどう見るのか
アングロ・サクソンの分析哲学は、純粋科学を真似て心的要素を排除した
言葉を純化し、外部にある物や状況の標識として以外には使用しない
存在しないものには興味がないのである
それに対して、記号論は分析哲学では問題にならない心的存在にも興味を示す
人間存在にとって避けることのできない文化的、道徳的、倫理的な側面も扱う
より複雑で、興味深い領域である

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翻訳には解決されていない問題がある
原典は変わらないのに、なぜ翻訳は古くなるのか
それは、翻訳は一つの解釈であり、解釈は時代の制約を受けているからではないか
他の芸術と同じように、常に復元し、再解釈する必要があるのだ

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神なき倫理は可能かと問われれば、可能だと答える
それは体に基づく倫理である
体の要求に抵触しないかが問われる倫理である

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記号とは、わたしの頭にあったものを他人の頭に入れることを可能にするもの
それは実在するものとは何の関係もない
存在しないが、真なるものは含まれるのである

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ヨーロッパは多言語による脅威に晒されている
しかし、一つの言語に統一することでこの問題は解決できないだろう
ヨーロッパには言語的にも精神的にも多言語を使う能力がある
多言語主義とは、異文化理解に向けて努めることを意味している
その観点からの貢献が可能ではないか

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やはり、記号論に関するところが興味深い
記号論的世界観には共振するところがある
ヨーロッパにいることで、多言語主義の影響を目に見えない形で受けているのかもしれない
そんなことにも気付かされたヨーロピアンのお話であった


 正確に選ばれた言葉の力 (11 avril 2013)

今日はテーズに関連したアイディアとともに目覚める
戻ってからまだ手つかずなのに不思議である
ずーっとこれではいけない、とどこかで思っていたのだろうか

日本に帰る前、いつも通っていたカフェがなくなったことについては触れた
今回戻ってみると、週末に愛用していたアラブ系カフェのシャッターが下りている
どこか寂しさがあるだけではなく、生活のリズムが狂ってよろしくない

昼から街に出る
すぐにカフェに入る気分ではなく、久しぶりになるカルティエを当て所もなく歩く
暫くするとリブレリーが現れる
ウンベルト・エーコ(Umberto Eco, 1932-)さんの新刊が目につく
Confessions d'un jeune romancier 『若き小説家の告白』

誰の告白かと思いきや、ご自身のものであった
最初の小説『薔薇の名前』を書いたのが五十前で、まだ時間が経っていないということらしい

小説・詩などの創造的な文章と事実を記載するだけの科学的文章との対比に触れている
学者の中には創造的な文章を書いてみたいと思っている人が多いという
ご本人はよもや小説を書くことになるとは想像もしていなかったようだ
エーコさんの小説に興味を持っている方には参考になることが多いのではないだろうか

その他に数冊気になるものがあった
今日はカフェを2軒はしご

ジョゼフ・アディソン(1672-1719)という方が1712年に出した『想像の愉しみ』という本があるらしい
その中にある言葉をエーコさんが引いていた

「正確に選ばれた言葉は、対象の見かけそのものよりも生き生きとした思想を齎す描写力を持つものである」

今日印象に残った言葉である





  Hôtel de Ville de Tours





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