2016年7月14日木曜日
哲学は探究か?
体系の構築に対して、探究こそが哲学だという考えも存在する
今日は「体系は幻想」と考えているイヴ・ミショー(Yves Michaud, 1944-)さんの考えを読んでみたい
哲学における体系と探究を彼はこのように見ている
体系とは、現実の全体を包括する概念や表象の整合性ある一つの集合である
探究とは、一つのものの構成要素を確立するための検討である
その中には、現実の一つの次元、人間の生の一つの状況などが含まれる
彼も最初はマルクス主義や実存主義というような体系に至ることを目指していた
しかし、それは不可能であることに気付き、探究に、そして「試み」に向かった
体系を断念した理由は、科学理論を研究していたことと関係する
科学において絶対的な真の概念は何もないことに気付いたのである
真とされるものは、ある時点で現実を説明できるように組み立てられたものに過ぎないからである
探究者にとってまず重要になるのは、可能な限り詳細に記載することである
それから、別の枠組みから見ることができること
例えば、人間の目から見ると同時にタコの目から見る
西からと同時に東からという具合に
真の懐疑主義、純粋の研究である
ミショーさんの哲学は、非常に多様な概念的枠組みとともに現実を記載しようとする試みである
探究は行動に結び付くのか?
探究の根にあるものは、われわれが生きている中での問題を解決したいという切実感である
まず探究により状況を明確にしてから選択が生まれる
前段が哲学者の仕事である
行動は探究の後からついてくる
もし正しいと考えたのであれば行動すべきだとミショーさんは考えている
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