2017年12月23日土曜日

週末の大発見、あるいはフルトヴェングラーの哲学




今日、Youtubeで思わぬ発見をした
フルトヴェングラーの「音と言葉」の朗読である
そこで展開されている話がわたしのテーマとも重なっていることに驚いたのだ
大発見と言ってもよいだろう
前回の吉田秀和と関連するのも面白い

勿論、フルトヴェングラーの名前は学生時代からよく知っている
その偉大さについては語られていたが、その音楽を聴くことは殆どなかった
古いものに目が行っていなかったのである
この点は来月出るはずのエッセイでも取り上げている
そして科学の中に身を置いている間にその名前は記憶の彼方に行ってしまった

改めてその考えを聴いてみると、このような思考をしている人間が少ないことに気付く
哲学的なのである
wikiによれば、妹の夫は哲学者のマックス・シェーラーだったという
そのことも関連していたのだろうか
そして、科学者の時には理解できなかっただろう彼の話を理解できることに悦びを感じる
哲学的だと評価できることにも、である

わたしの理論で言えば、意識の第三層における思考が展開されているのである
その上の第二層では科学的思考が行われるが、それが力を持ってくる時代を批判している
芸術にとって害になると考えていたのだろう
同質の問題が今もあり、おそらく当時よりも酷くなっていると想像される

彼の本をアマゾンで調べたところ、日本では多く出ているが、フランスでは極めて少ない
政治的な背景が影響しているのだろうか
彼の考えを知りたくなってきた
と同時に、遠ざかっていたその演奏にも触れてみたいものである

過去が思わぬ形で蘇った週末の朝である




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