2017年12月10日日曜日

ジャン・ドルムソンさん亡くなる

2007年1月、ジャン・フランソワ・ドニオーさんの葬儀にて


昨日の朝、ジャン・ドルムソン(Jean d'Ormesson)さんが亡くなったことを知った
享年92
キオスクで特集を組んでいる雑誌を見掛たからである
写真左の方で、48歳という若さでアカデミー・フランセーズの会員になっている
それ以来、フランス社会に大きな影響を与えてきたようだ 
パリ行きの電車の中でざっと目を通した

日本にいる時にはもちろん知らない方だったが、こちらではよく目にした
何冊か手に入れたが、熱心な読者ではなかった
やはりアカデミシアンのマルク・フュマロリさんのドルムソン評を読んだ記憶がある
写真右の方である
「彼は多くの人に愛されていて軽く見られているが、彼の本を読み直してみて、実は執拗に考える哲学者であることに気付いた」
マルク・フュマロリさんが語る文学に纏わること (2015.3.4)




目に留まった言葉をほんの少しだけ書きとめておきたい
まず、上の写真にもある言葉
「人生、歴史、時間は、思い出を作り出す機械以外の何ものでもない」
それからなるほどと思ったのは、次の言葉
「わたしは後ろを見ている世界に生まれた。そこでは、過去が未来よりも重要だったのである」
わたしがこれまで感じていたことが間違っていなかったと思うと同時に、なぜこれまで心地よく生活できたのかもよく分かる言葉である。わたしの目指しているものと重なっていたからである。

それからこんなのもあった
「インターネットは恐るべき道具である。どうしてそれを否定できようか?そこにはすべてがあるのだ!・・・しかし、危険なのでネガティブと言える面もある。それはネット・サーフィンと言われるものだ。それは組織立った注意散漫(la dispersion)である。注意散漫とは闘わなければならない」
これは耳に痛い言葉だが、la dispersionという言葉が印象に残った
わたしの場合、この現象は何もネットだけに限らない
気が多いためか、次から次へと対象を変える傾向がある
これからは "Éviter la dispersion !" (気を散らさない!)を掲げて歩みたいものである




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