2018年7月31日火曜日
すっきりして空を眺める
このところ涼しい日が続いている
今日の写真もパリで見つけたトゥールのポスターだが、これも実物よりはよさそうだ
本日は旧市街と中心街で翻訳の校正ともう一つのプロジェに当たる
最初の校正は終わりに近づいてきている
プロジェについては、現段階の纏めとすることができた
少しすっきりしたので、夕方から夜にかけて空をゆっくり眺めて過ごす
2018年7月29日日曜日
久し振りの涼しい一日
今朝は曇りで、昨日の暑さと狂乱が嘘のような涼しさと静けさである
今回のパリのメトロには、新しいトゥールのポスターが数種類出ていた
その一つが、旧市街の中心に当たるプリュムロー広場を描いたもの
わたしがいつもお世話になっているところだが、実物以上に?いい雰囲気が出ている
今日はお昼に晴れたが、夕方再び曇りの過ごしやすい一日となった
ということで、こちらもこの二日間の疲れを取るため、何もせず
ぼんやり、ゆったり過ごした
2018年7月28日土曜日
炎天下の歩きとオステルリッツ駅のカオス
しかし、真上から容赦なく降り注ぐ灼熱の太陽の下、歩くのが嫌になる
夜の寝床が頭に浮かぶが、そうするとさらによろしくない
そこでやることは、先に進むのではなく、ただ足を前に出すようにすること
この両者は同じことを言っているようだが、意識に与える効果は全く違う
最初の表現の中には遠くの目的地が視野に入っているが、後者には「いまここ」しかない
そのため、今回もそれが功を奏し、気が付いたら目的地についていた
特に意識してはいなかったが、今日は水を補強しながらの歩きとなった
水を飲むと汗が噴き出すのでまた飲むという繰り返しである
二日続けてこのような天候になろうとは思いもしなかった
その上、想像もしていなかったことがオステルリッツ駅で待っていた
まず入ると人の多さに驚く
以前にも多いと思ったことはあるが、それを遥かに超えている
兎に角、ほとんど前に進めないのだ
掲示板でその原因を知った
電気系統から出火してダイヤが狂っているという
駅構内はまさにカオスであった
実に多くの顔を見ることになった
アナウンスを聞いていると数時間遅れというのもある
しかしトゥールはそれほど影響がなかったのか、30分遅れで出発という
ただ、ホームの番号を聞き間違え、出遅れたため立つことになった
歩き疲れた足だったので2時間半は結構大変だったが、何とか耐えることができた
車内放送にはこの出来事を笑い飛ばすようなところもあり、客も一緒に笑っている
日本での対応は言葉遣いまで含めてすべてマニュアルで決まっているのだろう
こちらの現場はそこまで管理されていないようだ
個人を出せる余地が残っている
人生、本当に何が起こるかわからない
今回改めて、一旦群衆の中に入ってしまうと、自分の意志は殆ど無力であることを実感した
それとこの二日間、普段眠っている肉体を呼び起こすにはよかったかもしれない
夜、まだ明るいうちに1時間遅れでトゥールに着いた
2018年7月27日金曜日
久し振りのルーブル
今日は用事があり、朝からパリに出た
フランスも結構暑い
用事を済ました後、時間があったので久しぶりにルーブルへ
少し気になる作品もあったので
広くて人が多いので疲れる
係の人に道を教えてもらうこと数度
予定の作品に辿り着くことができた
閉館後近くのブラスリーでビール
フランスのこのようなお店ではまず飲まないものであるが、今日はうまい
それだけ足を使い、汗をかいたということだろう
こういう時間を改めて日本との対比で考えると、実に不思議である
しかし、二つの空間が繋がっていると思えば、至極自然なことになる
あるいは、一方が消えていればそんな不思議さも感じないだろう
2018年7月25日水曜日
どうにかならないのか、哲学の術語
昨日今日と静かにプロジェに当たる
それにしても両日ともそれなりに暑かった
調べると30℃で、これからの数日も同じような気温になっている
今が一番暑い時期なのだろうか
勿論、日本のようなことにはならないのだろうが、、
今日の午後の休みに、ネットで手に入るハイデッガーについての日本語の文章を読んでみた
大半は理解するのが難しい
一つには、彼の術語だとして訳された日本語が理解できないことがある
漢字からはイメージすることが不可能なものばかりである
これはまさに記号と言ってよいだろう
以前にフランスで読んだのだが、哲学をやる人はその言葉に酔うところがあるという
しかし、その言葉遣いが哲学の外にいる人を遠ざけているのである
この傾向は日本の哲学で顕著に見られるのだろうか
これから同じテーマをフランス語ではどう表現されているのか見てみることにしたい
2018年7月24日火曜日
光の中を進む
今日は朝から用事があり、外に出た
歩き始めると、殆ど真向いから照らす太陽が眩しく、前が見えず
その中を只管歩く
まさに、光の中を進むという感じであった
他のすべてが消えるのである
これは何かを暗示しているのだろうか
目的地にこれまでで一番早く着いたようだ
用事を終え、街中に出た
朝の新鮮な空気の中、偶に入るカフェでプロジェをすることにした
ここの親父は快活で感じがよく、何気ないのだが注文の品も気の利いた出し方をする
こればかりは文化の違いで致し方ないのだろうか
路上のスペースも屋根を取り、大きな木の緑が空を覆っている
まさに、パーフェ!だ
お昼はリブレリーを梯子
これまでは薄れていた外に対する興味が再燃しているかのようである
その傾向は音に対しても出ている
これまでご無沙汰していた「いま・ここ」の音楽にも耳を傾けては、という気持ちも見える
ところで、サイファイ研ISHEの秋の活動を3つに絞って開催することにした
大雑把な予定は以下の通りである
10月にサイファイ・カフェSHE札幌
11月にベルクソン・カフェとサイファイ・フォーラムFPSS
詳細は決まり次第、この場に発表する予定である
ご理解、ご協力、よろしくお願いいたします
2018年7月23日月曜日
池の周りで至福の時
本日も適度に涼しく、よい天気だった
朝、植物園を散策する
中にあるブラスリーは予約でいっぱいだった
日曜のお昼時はいつもそうだという
その代わり、池の周りに座り至福の時を過ごした
アパルトマンに戻ってからは静かにプロジェに当たる
2018年7月21日土曜日
やっていることを静かに受け入れる
今日は静かに外と内で翻訳の見直しをやる
この場合、やっていることを受け入れるという態度が大事である
変に主体を出すとうまく行かない
夕方、次回のカフェのアイディアが一つ浮かんできた
いつ出てくるかわからないので大変である
もう少し詰めてみたい
こうして一日を眺めてみると、かなり長いことが分かる
結構なことができる長さである
セネカさんによれば、人生もそうだというのだが、、
外気の中で読み返す
今日は曇りで肌寒い朝だった
旧市街のプリュムロー広場で以前に書いた原稿を読み直す
外の空気の中で読むと不思議と世界が広がるような気がする
3時間くらいの間に市内観光の馬車と乗り合い自動車が2回通った
お昼には歩いて中心街へ
久し振りのリブレリーとカフェで時間を過ごした
このところの特徴として見られることに、無理をしないことがある
心に負担がかかると思われる時には止めることにしている
要するに、踏ん張らないのである
それでも別のことに向かっていく気持ちはある
言葉を換えれば、飽きやすくなってきたということだろうか
生物としては、「いま・ここ」の状況に適応するしかなさそうである
2018年7月20日金曜日
タチアナ・ニコラーエワさんを発見
昨夜、偶然に現れた初めての人タチアナ・ニコラーエワさんのゴルトベルクを聴く
想像していなかった心躍るような軽やかさに驚く
余りの快適さに、その後再び流しながらストアの声を聴く
ところで今夜、清張の『張込み』を野村芳太郎が監督しているビデオが現れた
懐かしい風景が背景に現れるが、その中に雷雨の場面があった
驚いたことに丁度その場面を見ている時、ここトゥールの空からも雷鳴と雷光が、、
最初はどちらの音なのかよく分からなかった
こういうことが偶に起こる
2018年7月19日木曜日
新たな翻訳の校正を始める
今日もよい天気だった
30℃近くまで行ったのではないだろうか
今週から比較的規則正しい生活に入っている
一つのプロジェは、昨年春に終わらせたままになっていた翻訳の校正である
著者はパスツール研究所のパスカル・コサールさんで、微生物学に関する本である
日本にいる時に届いた編集者の校正原稿を読み始めたところだ
クリルスキーさんのものより短いが、科学の内容が多くなっているので別の難しさがある
ここ10年の時間が純科学的なものを単調なものに感じさせるようにしたのだろうか
そこから広がるものを求めているようだ
今度はどのようなペースで進むことになるのだろうか
まだ見えてこない
2018年7月17日火曜日
キミコ・イシザカさんを発見
昨夜はいろいろな哲学のビデオを観ていた
その中に、初めて見る名前がエンドロールに流れているものがあった
Kimiko Ishizaka (1976- )
早速調べてみると、以前重量挙げの選手だったという日系ドイツ人ピアニストであった
Open Goldberg Variations という有難いプロジェクトもやっている
久し振りに、ゆっくり流れるバッハを聴きながら夏の遅い夕暮れを味わった
一皮剥けば
本日も30℃になろうかという暑さで、夏真っ盛りという状態だ
午前中から旧市街に出て仕事をする
さらにデジュネを挟んでもう一軒
ところで先月出たばかりの『免疫の科学論』だが、驚くべき発見をした
これまで印象的なカバーのお陰か、それを外すことはなかった
まさかその下に何かあろうとは想像もしていなかったのだろう
それがどうだろうか
思いもかけないおまけが付いていた
二度お楽しみいただける表紙ということになる
中身も地味な語り口だが、じっくり読むと何かが現れるかもしれない
こちらもお楽しみいただければ幸いである
2018年7月15日日曜日
移動が齎すもの
今日は快晴で暑いが、東京のようなことはない
時間の感覚が戻ってきたようである
午前中はぼんやりしていたが、午後から外に出ることにした
少し前までは日本にいたわけだが、そのことが嘘のように遠くに退いている
ずっと以前からここにいるような感覚になっている
僅か2年ほどだが、相性がよいのかもしれない
今回の日本ではフランスも遠くに感じられた
移動するだけで、そこに住んでいるような感覚が逆転する
実に不思議であり、新鮮である
これを繰り返せば、自分の中心がどこにあるのか分からなくなるかもしれない
今回戻ってきた当初は、秋のISHEの活動をお休みにしてはどうかという考えも浮かんだ
自分が抱えているものがあるためである
しかし僅か数日で、秋にもいくつかの会は開くという方向に固まりつつある
これまでより時間を自由に使えるようになるので、会を分散して開催できるためである
いずれにせよ、暫くの間は試行錯誤が続くことになりそうだ
夕方、街行く車のクラクションが鳴りっぱなしであった
2018年7月12日木曜日
一夜明けて
いつもと変わらない朝だが、どこか新鮮だ
向かいのグラウンドの芝にスプリンクラーが水を運んでいる
静かだ
いつも感じるこの透明感は一体何なのだろうか
永遠とも思われる静寂の海に沈んでいるのも捨て難い
同時に、近いうちに訪れるだろう浮上を思い描きながらの海の底も濃密な時間になりそうだ
暫くの間このようなサイクルで生活してみようと思いながら戻ってきた
一夜明け、現時点ではその道が一番しっくりくると再確認している久し振りのトゥールである
無事にトゥールに戻る
本日、無事にトゥールに戻ってきた
実は、シャルル・ドゴールでは本当にタッチの差でTGVに乗り遅れるところだった
予定より30分ほど早くパリに着いたが、ゲートが空かないとのことで20分ほど待たされた
それから遊びなく動いたつもりだったのだが、、
TGVに乗り込むと同時にドアが閉まり、発車という際どいタイミングだった
乗り換え時間が1時間というのは厳しいかもしれない
トゥールの町は相変わらずで、東京の喧騒から戻るとどこまでも静かなところである
2018年7月10日火曜日
これからが見えてきた今回の滞在
2か月近くに及ぶ日本滞在であった
今回来る前にはまだ決めかねていたことがあった
しかし、それが見えるようになったのは大きな収穫と言えるだろう
頭の中で想像していたこととその場に身を置いてみた時に感じることの間には大きな差がある
今回それがいろいろなオプションを潰すのに役立った
もう一つは、全くの偶然が残ったオプションを後押しすることになった
当初、毎日のように考えが変わる日々が続いたが、最終的には一つのところに収斂していった
生活のスタイルに少しだけ変化をつけ、これまでより自由に動くことができればと考えている
どのようなことになるのか、暫くの間は様子を見ることになるだろう
常に変更可能な状態に開いておくのは、いつもの通りである
ところで、奈良で目に入った「玄」という字、好みの形にはなってない
この文字、老荘思想によれば、「時空を超越した天地万象の根源となるもの」だという
存在の根源にある「幽遠にして神秘的なもの」、「深遠な道理」を指しているとのこと
いずれの言葉もひと昔前には全く反応しなかったものだが、今では身近にある
時間が何かを変容させた結果なのだろう
勿論、その中身は未だ遥か彼方にしかないのだが、、
明日フランスに向かう
2018年7月9日月曜日
『ゲッベルスと私』 を観る
やっと精神的余裕が出てきたようだ
今日は先日のFPSSで紹介されていた映画『ゲッベルスと私』を観に朝から出かけた
いやはや暑い
会場に入るとほぼ8割の入りで、混んでいる
月曜の午前中のためか、ほとんどすべてがシニア
その中に入っているはずなのだが、どこか別世界を見るように感じていた
以下に映画の印象を思いつくまま
人生がその皺に刻まれた103歳の女性が、驚くほどしっかりと語る
ゲッベルスの秘書として働いていたという
原題は A German Life となっている
1936年あたりまではベルリンは素晴らしい街だったという
まだ外国人が来ていて、中には日本人らしき人もいたという
異質な人間に触れる悦びを感じたようだ
最初はユダヤ人の下で働いていたが、恋人の友人の紹介でナチスに入る
そして1942年に宣伝省での職を得る
ゲッベルスは上品で、常に自制心があり冷静だった(一度だけ怒鳴ったことはあったが)
しかし、大衆の前で演説する時には別人になり怒鳴り立てていた
彼ほどの役者はいないと見ている
ヒトラーもそうだが、彼の演説も理性ではなく感情に訴える
ロマンチックな考え方が批判される大きな理由はそこにあるのだろうか
個人的にはロマン主義的な傾向を全否定することはできないのだが、、
彼女は当時のことを振り返り、深く考えずに生きていた、浅はかで愚かだったという
義務を果たそうとして仕事をしていただけで、仕事の中身には関心がなかった
これは枠の中での考えとその外から見る視点を得ることができるのかという問題になるだろう
渦の中にいて流されていたので、色々な行動の理由を説明できないともいう
強制収容所という言葉は知っていたが、矯正するための施設くらいにしか思っていなかった
よもやあのようなことが行われていようとは想像もできなかった
国中がガラス製のドームの中にあり、国が隔離された収容所のようになっていた
また、国が平気でデータを改竄することも語られている
この世には神も正義も存在しない
美と醜、白と黒というように明確に分けることができないものがある
一色に染まっているものはないということだろう
今の人は、当時理性に適ったことができたのではないかと言う
しかし、それは絶対にできないと断言する
おそらく、そうだろう
それをするには命をかけなければならないからで、実際にそういう人達を見てきたという
枠の外からの思考とそれを支える強靭な意志がなければ難しいだろう
2018年春のISHEの活動のまとめ
昨日、春のISHEの活動のまとめを終えることができた
以下に紹介しておきたい
お気づきの点などありましたら、ご連絡いただければ幸いです
よろしくお願いいたします
● 6月2日(土) 第5回サイファイ・カフェSHE札幌
「最小の認識能をどこに見るのか」
● 6月8日(金) 第7回カフェフィロPAWL
「トルストイの『人生論』から生き方を考える」
● 6月9日(土)、16日(土) 第3回ベルクソン・カフェ
Pierre Hadot « Apprendre à dialoguer » 「対話することを学ぶ」
● 6月15日(金) 第13回サイファイ・カフェSHE
「『テアイテトス』に見るプラトンが考えた科学」
● 6月30日(土) 第3回サイファイ・フォーラムFPSS
「第2回サイファイ・フォーラムFPSS研究討論会」
2018年7月7日土曜日
仙台で人生を語る
今日は凌ぎやすい一日だった
研究者時代にお世話になった方と一献傾けるため、お昼に仙台に向かった
このところ、1年に一度の割合でお会いしている
東北の酒と魚で、いつものように話が弾んだ
沈んでいる意識を偶には発散させるのもよいのだろう
先日の奈良と東京を除き、このところほとんど経験したことがない二次会までついていた
ジャズを聴きながらバーボンなどという組み合わせは、大昔に経験した程度
お話を伺うと、東北最古のバーとのこと
なかなか良いピアノが流れていた
2018年7月6日金曜日
残りの纏めは僅か
今日は雨が降り、時に肌寒い天候であった
久しぶりのことである
街に出て、残っていた纏めをする
以前にも触れたが、今回は一気に終えてしまうという気分ではなかった
ゆっくり、味わいながら纏めようということだろう
それにしても、以前より「ゆっくり」のスピードが落ちていることは十分に考えられる
しかし、それでよいのではないかというところに落ち着いている
纏めは残り僅かになった
日本を離れる前に何とか終えたいところである
全てが終わった段階で、この場に掲載する予定である
2018年7月4日水曜日
異分野に入ったお陰か
このところ連日の真夏日で参っていたが、今日は曇りで比較的しのぎやすかった
とはいえ、少し歩くと汗びっしょりになり、歩くのも嫌になる
すぐにカフェに逃げ込む格好になった
さて、これは仕事を終えてから異分野に足を踏み入れたお陰になるのだろうか
それまでは接触しようのなかったような方と言葉を交わすことが増えている
意識はされていないが、それは自らの地平を広げるのに役立っている可能性がある
この状態が維持されて行けば、わたしの地平は限りなく広がる可能性があるかもしれない
今夜はそういう中のお一人との歓談となった
帰国の折に何らかの形でお話するようになって久しい
仕事は続けたい意向のようだが、哲学的思考にも興味をお持ちのようである
哲学には暇が必要だとお伝えしてはいるのだが、、
いずれにせよ、今日もこれからに繋がる貴重なお話を伺うことができた
近いうちに、新たな求道者との出会いの機会が訪れることを願いたいものである
今日はかつて日本にいた時のペースで飲んだのではないだろうか
学割を要求したのだが、これには無理があったようだ
ところで、歓談の場所に向かう時のこと
なぜか、駅から降りると全く逆の方向に確信をもって歩いていた
こういうことがあるのである
おかしいと気付いた時には、戻るのが嫌になるほどのところまで来ていた
再度カフェで休んで気を静めた
このところの食べ過ぎに対する罪悪感から歩いていこうとしたが、そうはならなかった
2018年7月1日日曜日
春のISHEの活動を終えて
昨日で今回のISHEの活動を終えることができた
残っているのは、その纏めをすることである
これまではすんなり纏めていたが、今回は少し様子が違うようである
すぐに纏められなくなっていて、時間がかかるようになっているのだ
それは、これからのための資料を作るような気持が出ているためなのか
あるいは単に、纏める作業に時間がかかるようになっただけなのか
疲れのためか、後者の可能性は十分に考えられる
と同時に、前者の可能性も否定できないかもしれない
いずれにせよ、これからの1週間でそれを終えたいものである
サイファイ研究所ISHEはバーチャルな研究所だが、活動の時にその形が現れる
その構造を支えているのは、目には見えない繋がりではないだろうか
そして、その背後には研究所のミッションがあるのだと思いたい
本研究所は今年で5年目を迎える
その年の春に、予想もしていなかった日仏文化交流の促進を実現できたのは幸いであった
訳書の出版とシンポジウムの開催である
これからも歩きながら考える研究所にしたいものである
今回の活動に参加いただいたすべての皆様に改めて感謝いたします
そして、今後の研究所の活動にご理解とご協力をよろしくお願いいたします
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