2016年6月26日日曜日
時間の等価値性について
今回の日本でも確認したことがある
それはすべての時間は等価値であるということ
すべての時間が重要であると置き換えてもよい
これは仕事を辞めてから浮かんできた感覚的な認識である
仕事をしている時には仕事が重要で、それ以外は仕事のためにある副次的な時間であった
そう認識していた
仕事というものは人間をそういう認識に追いやるものである
それが本当に良いことなのかどうか
じっくり考えるべきことだろう
仕事を辞めてからは生きることが仕事になった
そう意識するかしないかは別にして
そうなると無駄な時間が無くなる
一見無駄に見える時間もその捉え方によって実に実り多いものを齎してくれる
DNAには蛋白を作る「重要な」遺伝子がある
それはほんの一部で、大部分は一見「無駄」に見える膨大なDNAからヒトのゲノムはできている
大野乾博士はその無駄を「ジャンク」とまで言った
そして、実際そう思われてきた
しかし、どうもそうではないことが明らかになりつつある
一見無駄に見えたところが実は重要な役割を担っていたのである
時間についても同じことが言えそうである
重要なものが視界から消えた後、実は無駄な時間などないことが見えてきた
蛋白をコードするDNAから目が離れてから「無駄なDNA」が無駄ではないことが分かったように
この認識は想像を遥かに超える意味がある
何せ、すべての時間を本当に生きることができるのである
その時間を生きるようになってからの幸福度は測り切れない
前ブログに関連する記事を書いている
時間を追いかけてきたジュリアン・バーバーという科学者(2012-03-19)
永遠を視野にエネルゲイアを取り戻す (I) (2010-01-01)
永遠を視野にエネルゲイアを取り戻す (II) (2010-01-02)
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