2017年9月16日土曜日

瞑想生活から省察生活へ



今朝、シャッターを開けると、この景色
以前に見て驚いたが、今日も驚く
今日見られるとは思っていなかったからだ
徐々に霞が取れ、午前中には完全に晴れ上がってくれた
しかし、お昼過ぎ、明るい中、通り雨が降った

「今週のプロジェ」を抱えている
上の景色を見て2年前のブリュッセルを思い出し、嫌な予感がした
幸いなことに、朝のうちはぼんやりしていたものが、時とともにはっきりしてきた
ではあるが、終わりそうもない感触がある

しかし、この過程で極めて重要なことに気付いた
わたしにとっての大発見と言ってもよいだろう
これまで所謂プロジェと言われるものになかなか入ることができなかった
締切りが迫ってもそうである
今回もそうだったので、それがなぜなのか考えてみた

一つにはプロジェを形として捉えていることが分かった
これこれこういう形に仕上げなければならない、という声が先に聞こえるのである
これではなかなか始められない
そうではなく、最初に疑問や好奇心がなければならないという当たり前のことに気付いた

もう一つがさらに重要である
これまで長い間瞑想生活の中にあった
わたしの瞑想の定義は、何も考えずにぼんやりすることである
そして、何かが出てくるまで待つのである
そのようにして、かくも長きに亘って生活してきたことになる
何か具体的なものが最初にあるのではないので、そこに向かうためには大きなエネルギーを要する
プロジェに当たることなど、できれば避けたい精神状態なのである

わたしの中では、もう一つの精神運動がある
それは省察と名付けたもので、あるテーマを決めてから瞑想することである
この10年で瞑想についてはある程度見えてきた
ここに来て、つい先ほど、瞑想生活から省察生活に転換してはどうかという声が聞こえてきた
振り返ってみれば、この間省察という言葉を使ったことは殆どなかった

瞑想生活のデフォルトは、ぼんやりの状態である
それが、省察生活では最初から何らかのテーマがぶら下がっている状態に変わる
その何かは疑問であったり、好奇心が齎すものであったりするだろう
そして、そこから調べるもよし、読むもよし、瞑想に入るもよし、ということになる
プロジェを進めるには非常に良い状態になる

ただ、これ何のことはない、仕事をしている時と同じ状態に逆戻りすることである
違いがあるとすれば、瞑想という方法論が体の一部になりつつあることだろうか
この転換がうまく行けば、全く新しい段階に入ることになる
暫くの間、体に合うのかどうか、様子を見ることになるだろう





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