2018年2月4日日曜日
ゲラの校正終わる
このところも相変わらずの天気だが、時に青空が顔を出すことがある
その時は、ゆっくりと陽の光を味わうように瞑想の中へ
今日は残念ながらの曇りであった
先月届いたゲラの見直しをやっていたが、今日終えることができた
この間の作業を見ていると、次のようなことをチェックしていることが分かる
そこにある訳文が自分の中にある日本語の構文と語彙からズレていないか
各文章間の論理的なつながりに整合性があるかどうか
さらに記憶の中にある事実と矛盾することはないか
より広い範囲が視野に入るようになっているため、気付くことが多くなる
これまでにも触れていることが明らかになる
そこにある事実は著者のものである
しかし、訳された文章は著者のものではなく、訳者の日本語世界が反映されたものになる
著者の文章を日本語に置き換えることなど不可能なことはすぐに分かる
さらに、訳や見直しの過程では自らのすべてを注ぎ込んでいるという感覚がある
訳し出されたものの中には訳者の成分が表出されているのではないかと想像される
それがどのように表れているのかは自分では判別できないのではあるが、、
クリルスキー氏が、翻訳版は半分以上訳者のものですよ、と言った意味が見えてくる
いずれにせよ、大変なエネルギーと時間を消費する営みであることが分かった
文系の方は翻訳を仕事のようにやっているように見える
科学の世界では考えられないことだ
他人事ではあるが、自分の仕事をやる暇はあるのか心配になる
ある程度実績を積んだ方や引退後の方がやるべき仕事ではないだろうか
午後から外に出てプロジェに当たる
最近顔を出すようになったカフェで声を掛けられた
いつもパソコンの画面に向かって何やらやっている姿は目に留まっていたようだ
自分では意識していないが、周りから見れば完全に異質な存在なのだろう
浮いているというあの状態である
以前にもこういうことがあった
数日前も来て執筆していたようですが、作家ですか?と訊いてきた
いいえと答えたが、その後が続かないので、哲学者です、と付け加えてみた
この国では少しは評価が違うのではないかと思い、、
そのためかどうかは知らないが、その後、いろいろと話が続いた
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