2018年5月4日金曜日

自分を借りているという感覚



この1週間、朝から晩まで籠ってゲラを読んでいた
そうしないと時間までに終わらなかったからだ
途中から、血が頭に上ったような状態になった
全身の血液が頭に集まり、脈打つという感覚である
その地点から見ると、普段は完全なアイドリング状態だということが分かる
いずれにしても、予定通り二校のゲラの突き合わせが終わり、日本に送ることができた
まだ関連の仕事は残っているが、一段落の小休止としたい

自己には少なくとも二つの自己があることには以前から気付いていた
それが自分だと思っている自己1とそれが見ているもう一つの自己2
自己1と自己2の距離は、孤独の中に入ったり、瞑想を繰り返す中でどんどん離れてくる
自分をよく見ることができるようになるという感覚である
1と2が相互に問いかけ、答えるという対話も始まる
おそらく、それが思考空間を形作っているのだろう
そのためか、精神も安定してくる

今回、このようなことを感じながら作業をしていた
そこから次のような感覚が生まれてきた
それを自分がやっているのではなく、その体を借りて(使って)いるという感覚である
これはデジャヴュである

それが何かと思い、記憶を手繰っていたら思い出した
自分が前に歩いているのではなく、風景が通り過ぎていくという感覚である
そのため、こちらに来てから歩くことが苦にならなくなった
いずれにせよ、この感覚を得ることができるとストレスがなくなってくることに気付く
何しろ、自分がやっているのではないのだから

これは自己2が体から離脱した状態なのだろうか
ここで言う体は肉体と精神を含んでいるので、所謂心身二元論でもなさそうだ
自己2が自分の肉体と精神を支配しているということなのだろうか
この感覚は、沈黙の中での生活が齎してくれた可能性が高い

こういう感覚を維持できれば相当のことができそうなのだが、、
昨秋、日本に帰った時の日々の密度が今週のそれに近いかもしれない
あの時も全く気にならなかった
ただ、アイドリング好きな人間にとっては、それを日常的にやるのは大変そうだ







0 件のコメント:

コメントを投稿