今朝、庭を見るとまだ薄紫の花を咲かせているのが見えたので、写真に収めた
枯れかかってはいたが、他のすべての花が消えている中、貴重な姿であった
朝、庭の草を踏みしめて歩くというのも悪くない
踏みしめるということは、植物にメッセージを送るという意味がある
そして、地の精気がこの体に乗り移るという感じである
今まで感じたこともなかったが、体が生き返るようであった
それは錯覚ではなく、おそらく本人にとっては間違いのない実感なのだろう
主観の世界とはそういうものではないのか
ところで、フランスでは2度目のロックダウンが始まったばかりである
それ以前からではないかと思うが、再び哲学雑誌からのレターが毎日届くようになった
今回は目を通すことが殆どない
春の段階では、これからどうなるのか不透明なところがあったので、結構読んだように思う
今は幸いにも個人的な生活への制約は殆ど感じていないので、感受性が鈍っているのかもしれない
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