2017年3月30日木曜日

中世と現代の往来



今朝も晴れてくれたので、空を眺める
昨日噂をしたせいか、結構なサービスをしてくれた
満喫する

午後から旧市街ではなく、南の方にある現代のモールに出掛ける
初めてのカフェの音楽はテクノだが、かえって集中できるようだ
つい最近まで冷たい風が入り込むような状態だったが、今や完全には開放されて気持ちがよい

中世と現代を行き来するのも悪くなさそうだ

今日はそのカフェからのアップとなった





静かな春の一日、そしていくつかの気付き



本日もほぼ快晴であった
時々空を眺めながら、静かにプロジェに向き合う
「静かに向き合う」などと感じることは、これまでなかったのではないだろうか

昨日からバルコンにこの猫が遊びに来るようになった
6階だったパリのアパルトマンではあり得なかったことである
春の訪れとともに、動物たちが動き始めているようだ
勿論、植物の活動も日々激しさを増している
気持ちよさそうに寝ているのに気付き、カメラを向ける
すると、気配に気付いたのか、起き上がってしっかりと挨拶してくれた


空を気持ち良さそうに一直線に切っていく雲を見ると快感を覚えることはこれまでにも触れている
時に曲線を描くのも素晴らしいのだが、、
パリに最初に来た時に、パリの空の特徴として記憶に留めたものである
それは日本の切り刻まれることがない無垢な空の下では感じることができないものだ
フランスに渡ってから毎日のように観てきたこの景色
今日、「それはわたしの精神に影響を与えていたのではないか」という形の思いが過った
初めてのことである
それが何なのか、今は分らないのだが、、


最近、待つことができるようになってきたことに気付いた
これまでは、すぐに仕上げたいが仕上げられないのでどれにも手が付けられなかった
なので、いつも何かを抱えているという感覚とともに在った
それがすぐにできないことを諦めることができるようになったのだろう
そのため、それが終わるまでの時を待つことができるようになってきた
その上、日々の僅かな蓄積を愛おしむような感覚さえ生まれている
一体どうしたことだろうか
ただ、いつも何かを抱えているという感覚は今もある
しかし、それは生きることと同義なのかも知れない


今日は久し振りに良い一日を摘み取ることができた
昼間から激しい言い争いの声は聞こえてきたのだが、、、






2017年3月29日水曜日

昔の謎が解ける瞬間




雲は出ているが、青空も見える一日
本日もプロジェと味気ない

そんな中、いろいろなものを読んでいる時に小さな悦びが訪れる
子供のころから今に至るまでに聞いてはいたがよくわからないまま放置されていたことがある
それはその瞬間まで沈んだままである

それが現在に刺激されて浮かび上がり、分かったと感じることがある
ほんの一瞬だが、すっきりする
奥の奥で感じる深い悦びと言いてもよいだろう
若い時には味わえないものなので、なかなか捨てがたい





2017年3月28日火曜日

哲学の原動力はエロス



快晴で暖かい一日
静かにプロジェに当たる
小休止できるものあり、新たに始めるものあり
少しずつ前に進んでいるような感触がある

この何かを求める感じ、求めようとする意志のようなものは哲学の根本と結び付いているのだろう
つまり、欠けていることを認識し、それを埋めようとする意志のようなもの
それをエロスという人もいる

なぜ哲学するのか、リオタールさんの場合(2013-1-13)

これはソクラテスの中にあった性質そのものでもあった
いや、彼が最初の体現者かも知れない
そう指摘する哲学者は少なくない
そして、この性質は哲学者を超えて多くの人にとって有益なものになるはずである





2017年3月27日月曜日

新たな悟りの境地?

   Jean-François Rauzier (1952- )



本日から夏時間
これから夜長が楽しくなる季節に入る

今朝はまたも曇り
しかし、午後から青空が広がってくれた

今日もプロジェに向き合う
一段落したものもあった

今年に入り、これまでには考えられない精神状態に入っている
何度も触れているとは思うが、こちらに来た当初はどうしても入ることができなかった状態である

どっしりと落ち着いて、「プロジェ」に当たるという状態に入っているように見えるのだ
今では、あのように宙に浮いて飛び回るという状態にいたことがどうしても信じられない

日本からフランス、科学から哲学という大きな転換期だったからこそ、初めて可能だったのだろう
その意味では貴重な時間であった

今、新しいステージに入ったように見える
そう諦めた、と言った方が正確だろうか




2017年3月25日土曜日

久々の快晴



昨夜はアパルトマンのどこからか激しく言い争う声が聞えた
今日は久し振りに気持ちよく晴れ上がってくれた
向かいのグラウンドには、春の華やぎと喜びが入り混じった声が溢れている
今日は外気を浴びながら、アパルトマンで気分の向くままプロジェに当たることにしたい



夜、アメリカの気分になり、アメリカの現世を味わう
ものをはっきり言う国である
言い切る国である
日本から見たら、完全な異空間になるだろう





リベラルの番組である
今の日本では不敬などと言われそうな内容が満載だ
後半に、専制政治についての本を出したイェール大学の先生が出てくる
日本でも議論されているナチスの例が取り上げられていた

正統な選挙で選ばれた後、独自の政策を進める
緊急事態ではその指示に従うのではなく、自分の権利を第一に考えること
そして、制度を捻じ曲げようとする流れに抗して制度を護るように努めること
制度がわれわれを護ってくれると考えないこと
真実を第一に考えること
それ以外が罷り通るようになると信頼は生まれず、危ない
論理的におかしなことが平気で罷り通る時も注意が必要だろう

これらは世界的に憂慮されている問題のようだ


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lundi 27 mars 2017

全編ビデオが削除されていたので、一部だけのものと差し替えた
上の記事にある部分は残念ながら観られない




わけのわからない世界にいる



いやはや本日も曇りで、やや寒い
朝から街に出る
二時間ほどプロジェをやってから、久し振りにフランス語のクールへ

今日のエクスポゼは、韓国からの人が安楽死を取り上げていた
議論を聴いていると、ヨーロッパの人の強い個のためか、はっきりとした主張が目立つ
若いということもあるのかもしれない
訥々と静かに話すモンテネグロの女性も静かだが主張を言い終えるまでしつこく話す
他の人がもういいのでは、、というような表情でいてもである

わたしなどは比較的あっさりしているが、日本人としては平均的ではないだろうか
韓国の人もそういう傾向があるが、中国の人ははっきり言うところがある
いずれにしてもいろいろな国の若者の話を聴くのは面白い
それと、当然のことながら彼らはほとんどが20代前半
箸が転がってもおかしい年頃というのは世界共通なのだろうか
とにかく賑やかだ

このクールがどれほど役立っているのか分からない
外界に対する感受性を上げているところはあるようだ
今日、クールで扱われるフランス語を聴くことにあまり熱意を感じていないことが見えてきた
こちらの9年に及ぶ習いが性になってしまったのだろうか
自分の領域についてのお話であれば、もう少し積極的になれるのだろうが、、
ただ、周りがぼんやりとした世界にいるというのも捨てがたいものはある






2017年3月24日金曜日

パリで想定外の対応



今日も曇りで気分が晴れない
今朝は用事を済ますためにパリに向かった
もうパリに来たからどうということはなくなっており、いつものように「こと」を済ますという感じである
用事も無事に終わる
想定外の対応をしていただき、感謝に堪えない
今は駅のカフェ
夕方のアンターシテでトゥールに戻る予定である





2017年3月22日水曜日

微かな接触




このところ相変わらずの曇りと雨の日が続いている
ただ、冬の間裸だった木々の枝には緑の葉が徐々に付き始めている
まさに生命の息吹である
昨日の夕方には雨上がりの青空が見えていたが、今日は再び雨


いつもの旧市街のカフェでのこと

フランス語のクールに出ている翻訳家志望のメキシコからの学生さんがいて、言葉を交わす
フランスでの生活は基本的に知っている人には会わないというものだが、ここでは違うのか
町が小さいことと僅かばかりの社会生活をしているからだろうか

暫くすると、「仕事」に打ち込んでいるわたしの方を見ている学生風の女性の視線を感じる
知っているとすれば、上のクールに出ている学生さんしかいないはずだと思い、顔をじっくり見る
しかし、見覚えはない
そうしていると、向こうから話しかけてきた
どうもアルバイトの募集に応じて来て、この店の責任者を探していたようである
この自分が外からどのように見えるのかは全く分からないということを改めて感じる
先日のバイトの学生さんは選択肢に大学の先生や作家を挙げていた
パリであれば、あなたと同じですよ、と答えたのだが、、

昨日今日と比較的良い時間を過ごすことができた
ただ、ここで欲を出して次を目指すと駄目であることが判明
帰りのバスを待っている時、丁度夕方のラッシュアワー
渋滞でやることがなかったのか、中年のドライバーがこちらに笑顔を振りまいて手を振っていた
こういう瞬間は日本ではなかなか味わえないような気がした

やはり、いま外国にいるようである






2017年3月21日火曜日

プロジェをどう考えるか




今日も終日曇っていた

今年はプロジェを進める年になると感じていた
しかし、プロジェに義務や期限を感じるようになると、気持ちよく進めることが難しくなる
自然に身を前に投げ出すという感覚から「仕事」に変化するからだ

この状態をどのように見ればよいのだろうか
一つの見方は、それを何と呼ぼうが、期限なきものと最初から考えてはどうか
そうすると、頭の中の空間が急に広がってくるような感覚が襲ってきた
それでよいのではないか

別の言い方をすれば、自分がやりたいと思っていることすべてがライフワークということになる
すべてのプロジェがライフワーク
いやはや大変なことになってきた
本当にこれが最良の解決策なのだろうか





2017年3月20日月曜日

「生き方としての哲学」とは



本日も曇りで冴えない一日であった


2006年12月にパリのリブレリーで偶然に手にした本の中で、「生き方としての哲学」に出会った
振り返ってみれば、この言葉はその後を決めることになったように見える

  運命の出遭い?があったリブレリー再訪(1 février 2016)

この言葉に出会うまでは、理論的な思考、体系の構築こそが哲学の仕事であると思っていた
あくまでも漠然とした印象にしか過ぎなかったのだが、、
当時、それをこれからやっていくことには抵抗があったが、この言葉でその認識が変わった
もう一つの道が魅力的に見えたからだろう
これは「わたしの発見」であった

しかし、哲学に入ってみて、それは哲学にとっても発見だったことが分かったのである
その背後には、ピエール・アドー氏が古代の哲学の中にその要素を見出し、訴えたことがあった
さらに、アドー氏をコレージュ・ド・フランスに誘ったと言われるミシェル・フーコーもそこに加わった
哲学という営みには、その始まりから理論と生き方に関わる道があった
しかし、その一方が時代が進むに従い、忘れ去られていったということだろうか
より正確には、二つの要素の強調される割合が、時代とともに変化しているということかもしれない
哲学の持つもう一つの側面が意識されるようになった現代ではあるが、それは少数派に留まる

「生き方としての哲学」という場合、そう言われているものを研究することではない
自らの哲学を自身で生きるということを意味している
思想と実践の一致が求められることになる
生易しいことではないだろう
しかし、ソクラテスが命を懸けて伝えたことは、そうしない生は生きるに値しないということであった
どこかで聞いたような気もするが、それ以外に道はないということになる






2017年3月19日日曜日

サイファイ研、今年前期の会場設定



昨日と打って変わって、今日は一日どんよりと曇っていた

以前にも触れたが、月末までには今年前期のサイファイ研の会の場所を決める予定にしている
が、なかなかうまく行かないものである
一瞬困ったと思うが、新しいところを探すことになる
ただ、それは気分転換にもなるかもしれないし、どこかに繋がることになるかもしれない
そう考えることにした
何ごとも実験である
いずれにしても、来週には前期すべての予定をこの場に発表できるようにしたいものである





2017年3月17日金曜日

新しい美術館 CCC OD 発見、すでに出会っていたオリヴィエ・ドゥブレ




今週初となる旧市街のカフェで比較的集中できた時間の後、アナトール・フランス広場の方に歩く
途中、建物の間から見かけない石の塊が目に入った
すぐに彫刻ではないかと思い、その方向に行くと新しい建物がある
ガラス越しに覗いていると、受付と思われるところにいた人がこちらに来て、ドアを開けてくれる
入り口は反対側ですが、ここにいるのだからいいでしょうと言って入れてくれる
そこは今週開いたばかりという美術館で、なぜか浮き浮きする

そう言えば、このサン・ジュリアン教会がある辺りは、以前から工事をしていた
ただ、何ができるのかはわからなかったのだが、その一つがこの美術家だったのだ
名前は CCC OD という
Centre de Création Contemporaine Olivier Debré の略である
「オリヴィエ・ドゥブレ現代創造センター」とでも言うのだろうか
写真撮影はOKとのことだったが、今日はプロジェが終わってすぐ帰る予定だったのでカメラ不携帯
こういうことがよくあるが、今回は対象は逃げないので改めて出向くことにした
今日はパンフレットを貰い、ブティックを覗き、係りの人三人と言葉を交わしてきた
いつものことだが、言葉がしっかりしていることに感心する

係りの人に美術館の名前に付いているオリヴィエ・ドゥブレという人について訊いてみた
パリ生まれの画家で、アンボワーズ近郊に祖父の家があり、そこをアトリエにしていたという
帰ってウィキにある写真を見ると、以前にこのページを訪問したことがあるような記憶が蘇ってきた
早速、前ブログを検索すると三つの記事が現れ、びっくりした
すっかり忘れていたようだ
しかも、その中の一つには作品が二つも取り上げられていた
こんな繋がりが出てくるとは、思いもよらなかった
トゥールの楽しみが一つ増えたことになる






2017年3月16日木曜日

外国人研究者のための交歓会

           Villa Rabelais


本日は久し振りの実に気持ちの良い快晴となった
午前中から大学のヴィラ・ラブレーで外国人研究者の交歓会があった
このヴィラはトゥールに相応しく、ガストロノミーの研究をするところになっているとのこと
外国からの受入れを担当している Euraxess という組織が中心になってオーガナイズされたようだ
入り口には出迎えの係りの方が控えていて、手を振って迎えてくれた




最初に大学関係者から大学の紹介と特に国際交流についての説明があった
海外の研究施設との連携を強めようとしているようで、世界的な傾向がここでも表れていた
外国からの学生はほぼ3000人で、表には日本は出てこなかった
順に、モロッコ、アルジェリア、中国、ドイツ、イタリア、セネガル、コンゴ、英国、米国などが見えた
他方、外国に出ている学生は700人を超えていた
順に、カナダ、英国、スペイン、ドイツ、イタリア、米国、オーストラリア、インド、中国、ベルギーなど
研究者のレベルでの交流も積極的に進めようとしている姿勢が、今日の会にも表れていた
ただ、しゃかりきにやるという様子は全く見られず、どっしりと、ゆったりと落ち着いている
好感が持てる点だ

主催の Euraxess のサービスはきめ細かく、わたしがここに来る時にも非常に役に立った
歓迎されているという感覚が湧いてきたものである
今日初めて対面して、その感をますます強くした




大学側からの説明が終わった後、研究者の方が自己紹介するセッションがあった
正確な人数は分らないが、20-30人ほどの研究者が参加していたのではないだろうか
出身は英国、米国、カナダ、スペイン、スイス、インド、中国、南アフリカ、ロシア、 ブラジル、日本など
日本からは、わたしの他に2名いた
お一人はインド出身で理研からこちらに来られた方
もうお一人は、京大法学部の曽我部真裕先生であった
お若い時からフランス語に親しみ、フランスの法も専門にされているとのことであった
やはり、高齢になってから始めた者とは違うようで、これは致し方ないのだろう

スペインから医学を終えた後、医学の歴史を研究している方も参加されていた
興味を同じくするところもあるので、これからお話ができれば幸いである
また、上の写真の方はUCLAの Malina Stephanovska さん
東欧出身で、アメリカで教育を受け、感情の問題をフランス文学などを通して研究されているようだ
バーティでお話を伺ったところによると、哲学にも強い関心をお持ちのようであった
すべてのプレゼンテーションが終わった後、カクテルパーティとなった




大学の紹介をされた先生は、これから関西に出掛けるとのこと
お花見を楽しみにしている様子であった
また、大学で同じ研究チームに属している方がいることも分かり、これから議論ができそうである
籠りがちな身には刺激に満ちた会であった
改めて、Euraxess の皆さんには感謝したい


帰り道、今日はどうしようもなく春であることを実感
これまでの装いでは汗が噴き出てくるほどであった





2017年3月15日水曜日

芝生の緑




日頃の手入れが行き届いているためか、向かいの芝生はいつも鮮やかな緑を保っている
このことは、精神によい影響を与えているように見える
ここに落ち着いた当初、予想していなかったことである

この町はくすんでいるように見えるが、よく手入れされているという印象がある
交通の便の良さは、想像以上であった
こういうことも好印象を与えている要因になっているようだ





2017年3月14日火曜日

ピエール・フランソワ・スイリさんによる現代日本の起源



昨日のパリ行きの際、ル・ポワンを手に入れた
そこに50ページに及ぶかという日本特集がされていたからだ
その中に、今の日本が生まれた背景を歴史的に分析した本の著者のインタビューが載っていた

Moderne sans être occidental. Aux origines du Japon aujourd'hui (Gallimard, 2016)

著者はピエール・フランソワ・スイリ(Pierre-François Souyri)さん
ジュネーブ大学の日本史の教授で、以前に日仏会館の館長をされていた方とのこと

その主張は本のタイトルが示す通りのものである
日本の近代化は明治期に西欧の思想や技術を真似て行われたものという考えがある
西欧では根強い考え方である
特に調べたわけではないが、わたしの中にも無意識のうちにそんな考えがあったように思う
スイリさんは、この考えに真っ向から異を唱える
日本の近代化は日本の内部から生まれたものだと主張する
勿論、西欧文明が強力な後押しとなったことは確かだが、その芽は江戸時代にあったとしている

速水融氏が指摘しているように、日本では西欧に開かれる前に「原工業化」が起こっていた
例えば、商業、大規模販売店、地域間交易、文化的観光、歌舞伎や相撲、学校、出版など
さらに、技術の改善に対する興味、批判的思考などもあった
つまり、江戸期に「前近代」の文明があった
これがなければ、明治期にあれほど急激に西欧を受け入れることはできなかったと推論している

それから明治期には自由や人権を求める政治的な運動も起こった
議論や批判、対立を通して民主的な社会を作る革命が起こっていた
それは1930年にかけて窒息状態になるが、日本の中にそれらの要素が内在していた
さらに、20歳になるかならない岸田俊子(中島湘煙)は女性に男性と同等の権利を、と考えていた
ほとんど知られていないが、彼女は「新しい女性」の先駆けだったのである
こういうことが日本の国内にあったということが、日本社会の近代化に重要であった

インタビューはスイリさんの次の言葉で終わっていた
安倍首相はドナルド・トランプが選ばれた翌日にそそくさと出掛けて行って握手した
反対派は、この品のない行いは忠誠を示すために臣下が宗主を表敬するようなものだと言っている
それは恰も日本が真の独立国ではないかのようである


その他には、次のようなものが取り上げられていた

日本の庭園(4ページ)、自然の中の宿(3p)、すきやばし次郎(2p)や日仏の料理人(1p)、
日本のウィスキーのショットバー(1p)、カルロス・ゴーン(1p)、亡くなったばかりの谷口ジロー(4p)、
村上春樹(2p)、安藤忠雄(2p)、コシノジュンコ(3p)、ロボットと石黒浩(3p)、春画(2p)、
歴史認識(1p)、南谷真鈴という若き登山家(3p)、そして写真の扱いが少々気になった天皇家(5p)など









坦々とパリで




今日は朝から用事があり、パリへ
やや肌寒いもののもう春爛漫である
午後からは汗ばむようになって来た
用事も坦々と済まし、夕方の便で帰ってきた




2017年3月13日月曜日

「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」、あるいは科学の言葉




雑誌「医学のあゆみ」に連載中のエッセイを紹介いたします

第42回 「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」、あるいは科学の言葉

医学のあゆみ (2016.3.12) 256 (11): 1179-1183, 2016

お暇の折にでもお読みいただければ幸いです

よろしくお願いいたします






2017年3月11日土曜日

常連の証か?




今日の朝は気持ちのよい空になった
久し振りにゆっくりと空行く雲を眺める
そうしていると新しい領域の資料を集める気分になってきた
それを持って旧市街へ
人間は光の方に向かう動物なのだろうか
興味深い分布が見られた

もうすっかり馴染みになったカフェへ
今日はどうしたことか、マスターが「今日はいいですよ」と言ってお代を返してくれた
こんなこともあるのである
比較的集中した時間となった
これは良い週末に繋がる徴になるのだろうか







鼻音の世界





フランス語の鼻音を意識したのは、始めた当初だけ
それ以後、長い間ほとんど関係のない世界にいた
無視していたのである

今日改めてこの世界を覗き、道理で通じないはず、ということが分かった
これまで出したことのない音ばかりだったからである
いやはや、大変な世界である
今頃嘆息していることにも驚かざるを得ない

少しずつ努力だけはしたいものである