2016年3月31日木曜日

「小学館 ロベール仏和大辞典」 を発見



これまでフランス語を日本語に訳す時、ポケット版の辞書で済ませていた
しかし、それでは埒が明かないことが多くなってきた
図書館で 「小学館ロベール仏和大辞典」 を見つけ、何気なく使ってみた
大型の辞典ということもあるが、訳されてそこにある日本語が実に豊富である
これまで型に嵌った日本語しか出て来なかったが、その空間が広がるようだ
日本語の語彙が薄れつつある者にとって、欠かせないことが分かった

それだけではなかった
例文の訳を見ていると、かなり自由に訳している様子が伝わってくる
まるで踊ってでもいるかのような日本語になっているものもある
わたしのような初心者にとっては、翻訳の極意を覗き見ているようで、気分が晴れてくる
この辞書の発見は、今回の日本滞在の大きな収穫と言えそうである






2016年3月24日木曜日

人間到処有青山



今朝ドライブしている時、「人間到る処青山あり」が浮かぶ
この世界を広く使って生きたという願望がどこかにあるのだろう


日常生活のどんな細かい問題でも解決すると、なぜかすっきりする
今朝、一段落してそう思った
「こと」が起こっても、それはいずれ解決するのだ、というオプティミズムがある
それも含めて生きることだ、と理解したからなのか
確かに、先日出てきた時の流れの大きな枠組みの中で今を考えられるようになっているようだ
昔に比べると、著しい進歩と言ってよいのだろう







2016年3月23日水曜日

自らのフロンティアを行く




常に自らのフロンティアを行くように努めること
他人や世に出回っている基準に頼るのではなく、あくまでも自分から見えるフロンティアの方向へ
そのためには、やはり自らの内をよく覗いておく必要があるのだろう
そのためには、第一にそれに当たる時間が重要になる
外ばかり見ていたのでは難しくなりそうだ





2016年3月22日火曜日

小さな変化も見逃さず



「いまに集中」という生活をしてきた
だからと言って、ある問題を「いま」解決しなければならないというものでもない
そう気付いたのはフランスに行ってから、すなわち仕事が終わってからであった
ある時間の広がりの中でその問題を解決すればよいという随分とゆったりした気分になって来た
数日のうちに、一週間のうちに、時にはひと月の間にけりが付けばよいという感じになっている

「いま」がこれから来る未来というより大きな全体の中に埋め込まれている
そう本当に思えてくると、慌てることがなくなる
精神の安定が得られ、ストレスも消えていく

小さなことだが、この変容は良いことだと思いたい
必ずしも進歩ではないかもしれないが、進化だと思いたい
サルトルではないが、小さな変化も見逃さずに観察し、記録し、分類することが重要になるのだろう





2016年3月20日日曜日

深く沈んでプロジェに向き合う



これから今年のプロジェクトなるものに取り掛からなければならない
地道な歩みが求められるので、体質的には合わないのだが、、、
しかし、「現在への集中」という点から見れば、それほど異質ではないはずなのだが、、、
長い目で様子を見るしかなさそうだ





2016年3月18日金曜日

現世最後の日



今日も朝から外に出て仕事らしきことをやり、午後も続けた
それぞれの仕事は細切れ状態だったが、、

今日、歌が添えられたメールが友人から届いた

  「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」

西行法師晩年の感慨が静かに溢れている
命があるからすべてが可能になる
当たり前だと思っていたそのことを見直すこと
それこそが哲学だと言った人もいる
年と共にその意味が大きくなりそうな歌であった 

夜、今回の滞在最後のディネを古い友人と
いつものように雑多な話が出た
トリビアをひとつ
フレンチの三國さんがわたしが行く予定の大学から美食学名誉博士を貰っているらしい
どうということはないが、なぜか親近感が湧いてくる話であった

この2週間ほどは実社会に出て、豊かな交流の中にあった
それは想像を遥かに超えるものであった
予定表に書かれた文字から何かがはじけ出て、形を作るのである
これこそ創造でなくて何であろうか
毎日が創造であり得ることが見えてくる


明日から再び沈潜の生活に戻ることになる
どうもこの繰り返しのようである




2016年3月17日木曜日

やはりディオゲネスを目指しているのか



今日は春真っ盛りという気候であった
午前中に用事を済ませ、「仕事」らしきことを少しだけする
ゆっくりと東京の町を散策
途中見つけたお袋の味風のレストランで昼食
流れているのが70-80年代のヒット曲
懐かしいというのか、愛おしいというのか、もう少し聴いていたかった

夜は学生時代の同期と夕食会
なぜか分からないが、ここ何年かの恒例になっている
お二人ともまだ仕事をされているようである
もうお休みになられた方が良いのではないかと思うが、できるのだろうか

未だに仕事もしないで彷徨っている人間を見ると、目障りなのだろうか
いつも皮肉たっぷりに言われることが多いが、今日は少しだけ違ったように感じた
しかし、相当変わった人生を歩んでいるという見方だけは変わっていないようである
「最後はディオゲネス!」との予想であった

ところで、現代では変んなところに彼の名前が使われている
ディオゲネス症候群である
彼の本質ではなく、見掛けを基にした命名で、個人的には賛成できない
今すぐにでも使用禁止にすべきだろう

それにしても連日規則正しくそれなりの食事をしていると、お腹の周りがきつくなって来た
そろそろパンとお水の生活に戻る時が来ているのではないか







2016年3月16日水曜日

研究所の元同僚の皆さんと

(左から) 中田、渡邊、本郷の三先生


今日は午前中用事を済ませた後、古本屋街をのんびりと巡った
なぜか分からないが、次々に興味に触れる本が現れてくれた
キケロ、ノヴァーリス、ジョルダーノ・ブルーノ、ベルクソン、パラケルススなどを手に入れる
結構良い歩きとなった

夜、研究所の退職同期の中田、渡邊氏に元所長の本郷先生を交えたディネに向かった
二年振りになる
この中で渡邊氏だけがまだ仕事をされている
研究所から離れて久しいので、その後の人の動きは知らなかった
お聞きすると、知っている多くの方が研究所を去り、今いる方にも変化があることが分かった

オーガニズムは存続しているが、細胞はすべて入れ替わっているという状態に近い
それでも同じ名前を名乗っているので、アイデンティティは保たれているように見える
しかし、実態は別物と言った方が良いのだろう
まさに生物と同じオーガニズムの特徴がそこに表れている

本郷先生から、哲学や考え方などについて若い人に語り掛けるべきだとの助言をいただいた
若い人とは高校生をイメージされていた
これから普及活動の一つとして考えていきたいところである

今回は前回に比べるとお一方少なかったのが残念であった
ただ、上の写真を見ると、皆さんの表情がこれまでになく良いように見える
話は穏やかだが、その中にも盛り上がりがあったのだと思いたい
また、このような時間を共有できれば幸いである








2016年3月15日火曜日

久し振りに四方山話



今日は用事を済ませ、紹介された本を求めた
少し休養してから、ボストン時代からの友人とのディネに向かう
もう何年振りだろうか

まだ研究に携わっているとのことで、その領域の人の流れと現在を伺う
次第に過ぎ去ったことが多くなる
特に、科学の場合には過去のものになる速度が違うようだ
科学は急速に進んでいる
その中で一人の人間ができることは微々たるものである
生き延びるのは科学で、科学者はその下部なのか

現在のわたしの生活は、40年ほど前のボストン時代から見ると想像もできないようだ
内側から見ていると、何も変わっていないように見えるのだが、、、
時の流れは恐ろしい



  @Brochette





2016年3月14日月曜日

異様な平静の中、怒涛の一週間を過ごす




大袈裟に言えば、怒涛のような一週間が終わった
これまでであれば、その表現が実態をも表していたのだろう
しかし、先週の心の状態は何と静まり返っていたことだろうか
当初の予定通り、最後の最後まで落ち着いて考えることができた
心の平静を幸せの基準にするならば、まさに幸せの極致とも言えるのではないか
札幌の会のコメントに「解脱」という言葉もあったが、以前から考えると想像もできない状態にある

今回の会の印象は、議論が自然に起こり、深まりを見せるようになっているということだろうか
会が一つの生命を持ち始め、その生命が自律へと向かっている過程ではないか
そんな希望的想像さえ浮かんでくる
その真偽は、さらに続けて観察しなければならないだろう




2016年3月12日土曜日

仙台で古い仲間と



今日は昔同じ研究領域だった田村氏(中央)と一献傾けるため、仙台を訪問
昔話やこれからの話に花が咲いた
それから島さん(右)と小林さん(左)が加わった
仙台訪問の時にはいつもお時間を割いていただき、有難い

島さんがスイス滞在中のこと
バーゼルを訪問したわたしがお宅に呼ばれたことがある
その時、家の貴重なワインを4-5本を空けてしまったようである
自分では記憶にないのだが、よく言われるのでおそらく本当なのだろう
なぜか気持ちがよくなり、すいすい入ってきたことだけは覚えている
あれから何年経ったのだろうか?
まだお返しはできていない

その他、島さんからは思いもよらない話をいろいろ伺うことができた
また、小林さんは新天地で歩み始めたとのこと
これからのご活躍を期待したい

今日は久しぶりに現世の面白さを存分に味わうことができた
人生の奥はとてつもなく深い
そんな思いに陥る一夜であった

次回の帰国でもお話を伺いたいものである




第9回サイファイ・カフェSHE、二日目も無事終わる



今回のサイファイ研の行事は、今日で無事にすべて終わった
と言いたいところだが、必ずしも正確ではない

昨日も会議室での撮影を忘れるところだったが、参加者に指摘され記録に収めることができた
しかし、今日はそうは問屋が卸さなかった
そのことに気付いたのは、懇親会場に着いてからだったからだ
症状が進行中のようである

ということで、今日は懇親会場の写真を掲げることになった
残念ながら、会に参加されていたお一方の映像を留めることができなかった
今回は四年振りくらいの参加になるので、貴重な映像になったはずである
これからは十分に注意したい

今日も昨日と同じテーマだったが、議論の重点は違っていたようだ
実証主義が支える科学を唯一の世界認識の基礎に置く方とそうではない方の間で議論が続いた
科学だけで世界を認識できるのかという問いにどう答えるのか、という問題でもある

個人的には、思索・妄想の世界に長いためか、科学が捉えている部分は非常に小さく見える
科学の領域に身を置いていた時には、広大な世界が広がっていたはずなのだが、、、
科学の中にいると、次々に課題が出てきて終りがない世界に見えるため広く感じるのだろうか
おそらく、その世界としては広いということなのだろう
これは科学に限ったことではなく、あらゆる専門分野がそういう性質のもののはずである
そう理解すると、やはりそれぞれ次元の違うものを繋げて世界を観たいという欲求が出てくる
「科学の形而上学化」の背後には、この欲求があるようだ

いずれにせよ、科学ですべてを理解できるのかという問題に近いうちの決着はないと思われる
現場を離れた者ができることは、やはり考え続けることなのだろう
それは無駄だという声も聞こえたが、、、

今日は二名の欠席はあったが、大阪から参加された方もおられ、活発な議論が行われていた
お忙しい中、参加された皆様には改めて感謝したい

これからも多様な方の声が聞こえる空間が維持されるよう、微力を傾けたいと考えている
ご協力いただければ幸いである


まとめはこちらから






2016年3月10日木曜日

第9回サイファイ・カフェSHEの初日終わる



今日はサイファイ・カフェSHEの9回目があった
今回は全く慌てることなく最後の最後まで準備ができた
準備万端ということではなく、時間の範囲では致し方ないという程度の準備である
講師としては、これから何かを考える最低限の材料が含まれていたことを願いたい

テーマは、「オーギュスト・コント(1798-1857)の科学、哲学、宗教」 であった
実証主義者がなぜ最後は自ら宗教と名乗るものを始めたのかという個人的な好奇心から選んだ
わたし自身、科学から哲学に入っているので、このような転換には興味が湧くのかもしれない

この会は、科学からテーマを選び、それについて哲学するという趣旨で始めた
しかし、今回は「生き方としての哲学」を語るPAWLとも通じる内容になっている
そもそも境界などというものは人間が決めたもので、絶対的なものではない
全的な生活を目指す者としては、境界についてはおおらかに捉えたいところである
ただ、実際に参加された方はどのように感じられたのだろうか

今日は複数回参加されている方が大半を占めていた
そのせいなのかどうか分からないが、主観的には落ち着いて話ができたように思う
参加された皆様にとっても有意義な時間であったことを願うばかりである

会の纏めは明日の会が終わってから、専用サイトに掲載する予定である
お忙しい中、参加された皆様に改めて感謝したい






2016年3月9日水曜日

二年振りに昔の職場の皆さんと



今日の東京は、朝から冷たい雨が降っていた
朝、出掛けはまだ降っていなかったので傘なしで出かけた
しかし、途中その雨に濡れた
大丈夫ではないかと思っていたが、夜には花粉症の症状が出てきた




今夜は昔の職場の皆さんと食事会
二年振りになる
皆さんお元気だが、確実に時が流れていることが分かる
それを見ている側も同様のはずだが、幸いなことにそれは見えない
この人生、大事に生きなければならない
そんな思いにさせてくれる一夜であった








第三回カフェフィロPAWL終わる



今日は、三回目となるカフェフィロPAWLを開いた

生き方に関わる哲学を扱っているカフェだが、今回はエピクテトス(50-135?)の哲学を選んだ
この世界にあるものの中で、自分の手の及ぶものと及ばないものを峻別すること
それが心の平穏、すなわち幸福への道であるとこの哲学者は説いている

自分の手の及ばないものを及ぶものとしたり、その逆を考えると心乱れる状態になる
わが子、わが妻など愛する人間の命も自分の手の内にはない 
彼らが目の前からいなくなることに対して、われわれは何の力も持っていない
そのことを理解する必要があり、それは自分の体についても同様であると言う

エピクテトスの現代的意味をどのように捉えるのかについては議論が盛り上がっていたようである
参加者は12名とこれまでよりも多く、名古屋からの参加もあった
それから、これから自らのカフェを立ち上げようという方が3名も参加されていたのは驚きであった
哲学カフェなるものが広がりを見せていることの証左かもしれない
国内のカフェに精通している方のお話では、全国に200程のカフェがあるとのことであった
PAWLがどれだけ参考になるのかについては、疑問に思うところも多いのだが、、、
長所、欠点を含めて得るところがあったとすれば、幸いである

今日の纏めは、参加者からのコメントを含めて、いずれ専用サイトに掲載する予定である
お忙しい中、参加された皆様には改めて感謝したい











2016年3月7日月曜日

最後の最後まで考える



今週は火曜と木・金に哲学と科学のカフェを開く
準備も含めるとハードな週が始まるとも言える
以前であれば、そういう感じで臨んでいた
しかし、今の心境は違うようだ
その理由は既に触れているが、次のようなことである

昨年12月にスートゥナンスの準備をしている時、一つのメカニズムに気付いた
私の場合、怠惰のせいもあると思うが、最後の最後まで纏める気にはならないことである
そのため、いつも不確定の状態に居ることに常に苦しんできた
予定の前に纏めを終え、残りの時間をその推敲に使いたいと思っていたからである
しかし、その時、この状態は変えることのできないわたしの性向ではないかと気付いたのである
より正確には、そう考えて諦めることにしたのである

自分の心のメカニズムに気付くと、あとはその状態を受け入れ、耐えることだけが問題になる
これはネガティブ・ケイパビリティに掛かっていることになる
ネガティブ・ケイパビリティ、あるいは不確実さの中に居続ける力
この能力が試されていたのが、直近では昨年一年だったと理解したのである

今週を前にしても全くストレスを感じない平静の状態にあるように見える
最後の最後まで落ち着いて考えることができそうである
このような心境になって来たのもパリ滞在の一つの成果ではないか
そう思える雨の朝である





2016年3月5日土曜日

新渡戸稲造の筆跡を観る



先日のサイファイ・カフェSHEの会場は「札幌カフェ」であった
北大の近くだったので、翌日正門から少しだけ中に入ってみた
入るとすぐインフォメーションセンター「エルムの森」があった

そこで新渡戸稲造(1862-1933)の英語の筆跡を初めて見た
型に嵌らないおおらかさがある
どこか笑っているようにも見える
人を包み込むような大きさも感じる

雪のため明るい朝の室内で、何か有難いものに触れたような気分になった











2016年3月3日木曜日

二年振りの快適な時間



今日は同期生との会食があった
二年振りになる
この間、病を経た人あり、病との付き合いが上達した人ありで、時の流れを感じる

皆さんまだ仕事をしているようだが、仕事は早く辞めるべきとの言葉も効き目なし
対象となる人たちとどのように向き合うのか考えることは興味が尽きないようである
同時に、暇な時間の扱いが分からないところもあるような印象

今夜は次から次に運ばれるビールがすいすい入ってきて驚いた
何杯飲んだのか思い出さない
昨日会を終えすっきりしたことと気のおけない仲間と言いたいことを言い合う快適さのためか
久し振りではないだろうか  

知らなかったが、どうも口数の多い男と思われていたようである
その逆ではないかと思っていたので、これにも驚いた





第一回サイファイ・カフェSHE札幌終わる



冬の嵐の後の札幌で、第一回サイファイ・カフェSHE札幌を開催した
初めての試みだったので、どれだけの方が参加されるのか不安もあった
しかし、三名の欠席はあったものの神戸から参加された方も含めて活発な会になったと思う

初回のテーマは、「科学にとっての哲学、哲学にとっての科学」とした
わたしの視点から見た科学と哲学の関係について50分ほど話した後、ディスカッションに入った
的確な疑問やコメントが出され、予定をオーバーする語り合いとなった
長引きそうに見えたので9時前に終わりとして、場所を変えて継続することにした
そこでも話が途切れることなく、貴重な意見交換が行われていたのではないだろうか

次回の予定は不明であるが、可能であれば年内にもう一度やりたいと考えている
主宰者としては、どのように皆さんの考えを引き出すのかを工夫する必要があるとの感を深めた

お忙しいところ、参加していただいた皆様には改めて感謝したい


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dimanche, 6 mars 2016

会の簡単なまとめをサイファイ研究所 ISHE のサイトに掲載しました
ご覧いただければ幸いです
サイトは、こちらから






2016年3月1日火曜日

「その中に入る」、そこは永遠



フランスに渡る年の初め、9年前の丁度今頃のこと
アメリカ時代の日付が必要になり、その当時のノートを読むことがあった
その時、貴重な経験をした

ノートを読んでいる間、周囲の音が全く聞こえなくなり、時間が完全に消えていたのだ
30年ほど前の世界に完全に入ってしまったのである
そこを出て現実に戻って、初めてそれまで異次元の世界にいたことを悟った
しかし、それは何という豊穣の時間だったことだろうか
パリにおいても同様な経験を求め、何度かその境地に入ることができた
しかし、そのような経験をするのは意外に難しいものであった

そこでは時間が消えるので永遠であり、果てが見えないので無限の中にいることにもなる
目の前に広がる世界に無垢の気持ちで入り込んでいるのである
自分の意思などというものも消えていたのではないだろうか
それ故、実に豊かな世界が広がるのだ

人生の極意などを語るにはまだまだ早いが、この問題に絡めると次のことが言えそうである
それは、「その中に入る」機会をできるだけ多く持つこと、となるだろう
新しい年を迎え、すでにニか月が経過した
「その中に入る」時間をどれだけ取り、その世界の至福をどれだけ味わうことができるのか
これが今年の一つのテーマになりそうである