ルドヴィコ・ザメンホフ(1859-1917)
うとうとしている時、昨日の聞き取り試験でエスペラントが話題になっていたことが浮かんできた
その語りとインタビューを聴いている時、驚いたことを思い出したのである
エスペラントと言えば、ザメンホフ先生が作り出した言語であることを知っていた程度
先生はポーランドのユダヤ人眼科医で、若い時から共通の言語体系を模索していた
異なる言語間の争いを避ける方法として
しかし、わたしの中ではすでに死に絶えた言語で、人工的に言語は作れないなどと考えていた
そのため、現在では数百万人がこの言葉を理解しているという語りが出てきて驚いたのである
ウィキによれば、一時期しっかり学んだ人まで入れると一千万人にも達するとある
そのテープには実際にエスペラントを話すとされる3人が出てきたので益々身近な言葉として感じた
そして、会話に出てきた次の言葉は何を意味するのか?という問題まであった
iam ・・・ (ある時)
ĉiam ・・・ (いつも)
neniam ・・・ (決して・・ない)
このような話題が出るのもヨーロッパならではないかなどと考え、今フランスにいることを確認する
ところで、昨年10月末に帰国した折、科学の学会に参加した
その時の発表を聞きながら、専門領域の言葉は母国語で話されていても外国語だと再認識した
専門外の人には全く分からないだろうと想像したからである
その上で、例えば比較的人口が多いとされる免疫学を例に採ってみる
日本の学会員は5000弱、米国は8000弱、アジア・ヨーロッパを加えても多くて数万人程度だろう
免疫学語を話す人口に比べると、エスペラント語人口の数百万人という数の凄さが分かる
思わぬところからザメンホフ先生の偉大さが明らかになった
日本語ウィキによれば、エスペラントが日本語にもかなり入っていることも分かった
人工語が文化を豊かにしていたのである
夢見心地とか、ぼんやりすることの大切さを改めて思い知らされるエピソードにもなった
それがなければ、忘れてしまうところだったからである
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