2017年6月14日水曜日

子規庵と書道博物館を訪ねる



昨日は小雨降る中、鶯谷まで足を延ばした
友人に勧められた子規庵書道博物館を訪れるためである
この辺りは、恰も家の中を歩いているようなこじんまりした居心地の良さがある

子規庵は何ということはない日本の昔の家屋で、記憶を刺激するものがあった
第二次大戦で焼失した後に復元されたものとのこと
八畳の居間と子規終焉の間にゆったりと座りながら、雨に濡れる庭を眺める
時に映像に現われる子規の句を追う

久し振りに自分の中の根のところにあるものとしっくりと合う時空間に身を置くことができた
雨がその感覚を補強していたようにも感じた
それは平穏な気持ちに導いてくれるもので、至福の時間であった
訪れる僅かな人もそれぞれ静かにものを想っているようであった


  左は八畳の居間、右が終焉の間、糸瓜の棚が見える


雨の庭に出て、暫くその中にいた
子規について少し読んでみたい気になり、ショップで金太郎飴と共に何冊か手に入れた





子規の絶句三句が碑になっていた
糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
痰一斗 糸瓜の水も 間にあわず
おとといの へちまの水も 取らざりき


          中村不折(1866-1943)


書道博物館は子規庵の向かいにあった
画家で書家の中村不折が集めた書道史における重要資料を展示している
石に刻まれた文字と静かに向き合う

小さな四角の空間に線を入れて区切っていく漢字
しかも同じ文字でも多様な区切り方がある
絵画にも通じる小宇宙がその四角の中で展開されている
途方もない世界である

画家の後、その世界に入って行った不折
書を見るという経験が少ないのでその書体が新鮮に映った
不折による漢詩をフランスでゆっくり味わうことにした




小さな庭だったが、雄大な自然の中にいるようにも感じた


雨に降られながらの一日
夜は半世紀ほど前からの友人とのディネ
イタリア語に凝っているようで、イタリア山中での語学留学から帰国したばかりとのこと
動けるうちに、という気持ちもおありのようだが、お元気そうで何よりであった
例のプラトンの哲学者=死者の話をすると、もう仙人ですね、との感想
そんな感覚は全くないのだが、、

実はお隣に話し方はゆっくりだが、次から次に注文するお年寄りの女性がいるので気になっていた
本当にお肉でよろしいのですか?まだお食べになるのですか?などという料理長の声が聞えた
後から知らせていただいたのだが、御年90の女優野村昭子さんとのこと
私の目にはそのようには見えなかったのだが、、
いずれにせよ、あのくらいの健啖家でなければ長生きできないのか





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