2017年11月5日日曜日

吉野山奥千本『西行庵』へ



吉野山散策、今回で最後になる
修行門からきつい登りが始まる
時に下界を見ながら只管歩く

先に「いま・ここ」に意識を集中して歩くと書いたが、それはこうも言えるものである
「自分は全く動かず、周りが過ぎ去っていく」という感覚である
この感覚を体得して久しいが、このような苦痛を伴う局面では特に有効である
今回もそれが実証されたことになる




金峯神社と義経の隠れ塔の案内が現れた





金峰神社は吉野山の地主神、金山毘古命(かなやまひこのみこと)が祭神
少し高いところにあるので、今回は敬遠
下ったところにある義経隠れ塔に向かう





隠れ塔はどうということはない建物に見えた
元に戻るためには再び上らなければならないことを忘れていた
そして、さらに歩みを進める
只管である







道行は、わたしが「内なる友」と呼ぶ相手との会話を交わしながらであった
マルセル・コンシュ氏が「内なる神」と呼んだものである
しかし、アリストテレスも知性は「我々の内なる神」と言っている
しかも、それがヘルモティモスのものであれ、アナクサゴラスのものであれ、と加えている
「すべては考えられている」のである
しかし、それはどうでもよいことだと考えるようになっている
問題は、それを自分が発見できるかどうかだからだ

ところで、この紀元前6世紀のヘルモティモスという方
wikiによれば、物理的な世界は静的であるのに対して、心こそ変化の原因になると考えていたようだ
アリストテレスによれば、アナクサゴラスに先んじて、このことを唱えたとされる





今回の目的地である西行庵の案内が現れた
下千本の辺りの茶屋の御主人は、西行庵に行く最後はちょっとした下りですからね、と言っていた
広い緩やかな下りの道があるものだと勝手に想像していた
しかし、様子が変である
「ちょっとした」が曲者であった




まず、道が狭い
左の方は谷で右は山、台風の後で山が崩れて道を塞ぎ、しかも土が濡れている
気を付けないと危ない
山側には手摺りが付いている

最近、この体は自分の意思の下にないことに気付き始めている
以前であれば、思えば答えてくれた
しかし、いまでは意思に耳を貸さなくなっているのだ
こちらも体を信用しなくなってきた
今回ほど手摺りのお世話になったことはないのではないだろうか
緊張しながら歩いて暫くすると、目的地に辿り着いた





見晴らしの良い方には休憩所のようなものが建っている
一人ゆっくりとされている方がいる
そして、目を右にやると目的の建物があった
なぜか、あっけない





庵にはこの日二度目の西行さんが座している
こんな粗末なところに3年ほど住んだとのことだが、冬もここで越したのだろうか
 




休憩所に行き、下を見るとこの景色
今回はこれで満足とすることにした
ただ、紅葉が進むとどれだけ素晴らしいだろうかと想像はできた
そして、春の桜の季節も
しかし、人が溢れた中では味わいたくない空間にも思えた
 




庵を目にした時、その前に座って絵を描いている方がいた
丁度、左手の木の根が見えなくなる当たりである
上の写真では、碑の写真を撮っている方である
どれくらいここに座っていたのだろうか
わたしを含めて三人だけの空間であった





西行さんも使ったと言われる苔清水で手を浄める
岩の間から小さな蟹が顔を出した
写真を撮ろうとしたところで姿を隠した





そうすると、今まで気付かなかったこんな置物が目に入ってきた
実はもう一組置かれてあった
他の場所でもこういう仕掛けがされていた




そして句碑もあったが、苔でよく読めない
拡大すると
 春雨の こしたにつたふ清水哉
 『笈の小文』に出ているようだ

今回吉野を歩いて感じたことは、ここは俳句ではなく短歌で詠む世界ではないかということ
情念を揺り動かされるような何かがあるところだからだ
いずれにしてもどちらも駄目なので、自分には直接の関係はないのだが、、




この穏やかな稜線と水墨画を思わせるその色合いがなかなかよい
こころを穏やかにしてくれる




西行庵から上ったあとは、只管下るだけ
これが意外にきつい
それでも2時間はかかったのではないだろうか
一体何時間かけて登ったのだろうか
帰路、われながら感心しながら歩いていた

そして今回、下を行く曲がりくねった道を眺めることが快感となった
あそこを登って来たのだという満足感が湧くからだろう
初めてのことである




登り口まで降りると地図があった
左下の吉野駅から右上の西行庵を往復したことになる
どれだけの距離を歩いたのか、ネット検索したところ、以下のサイトがなかなか良くできている

ヤマレコ

この図によれば、片道7-8キロで15キロを往復したことになる
このようなサイトを最初に見ていれば、おそらく行ってみようなどとは思わなかっただろう
空を見上げて座っているだけの者にしてみると、考えられないことであるからだ
最初に見た漫画の地図さまさまである




夕方の黒門の辺りは朝とは打って変わって結構な人出だった
出発点に近づいた時、大きな満月が目に入った
吉野の月も拝むことができ、思い立ったが吉日の散策も満足のいくものになった





夕方の5時ごろ吉野の駅に到着
駅横のお店で焼き立てのよもぎおやきを頬張ってから帰路についた







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