2020年6月3日水曜日
現代哲学のまとめ(5)
哲学の倫理(1)
ある時代が他の時代よりも輝かしいという気持ちを持つことはあるだろう
プラトンやアリストテレスらがアゴラですれ違う時
あるいは、18世紀、19世紀のパリ大学やオックスフォード大学
あるいはまた、デカルト、アルノー、パスカル、スピノザ、ライプニッツ、そしてこのレベルの幾人かの知性が自身の思想を交換した60年間
18世紀後半の終わりのスコットランド
あるいは、二つの世界大戦を挟んだリヴィウとワルシャワ
これらもまた、知性がより強く息をしていたように見える時と場所である
我々の時代はどうなのか
哲学においてどんな価値があるのか
それは以下のことを検討することによってしか判断できないようにわたしには見える
「何の権利があって」現代の哲学者は時に奇妙でしばしば常識や良識に強く反する哲学的主張を表明したのか
何の権利があって、ハイデッガーのように、恰もその主張がソクラテス以前の哲学以来の思想史を理解する上で決定的であると言い張ることによって、すべての哲学史は存在の問題の喪失の歴史であると主張するのか
何の権利があって、ファイヤアーベント、ローティ、チャーチランドや今日の他の哲学者がやったように、我々の信念、欲求、意図は結局のところ物理的状態以外の何物でもなく、すべては物質に還元されると主張したのか
何の権利があって、フーコーが示唆したように、すべての知は多少とも暴力的で疎外された形で行使される権力であると言われるのか
何の権利があって、クワインのように、話者が意味することは最終的にはどんな事実にも対応しない、なぜなら明示的意味は非決定論的であるからと結論することになったのか
何の権利があって、デイヴィド・ルイスのように、我々がいる現在の世界に加えて、現実に可能な世界が存在し、そのため世界が複数存在すると主張するのか
この点において、現代の哲学者は過去の哲学者に比べ、我々に意外で常識に反することを信じるように要求する傾向が少ない
パルメニデスは、変化の存在を否定した
マルブランシュは、精神と身体は相互作用できないと主張した
ライプニッツは、実在の世界は時空間には存在せず、如何なる範疇のものとも因果関係を持たないモナドから構成されていると主張した
フィヒテは、自由な主体、自己を制作する主体は認識だけではなく、現実の源泉であると主張した
なぜこれほどの明らかに知性溢れる人たちが、誰も(その中の多くは理性的である)が理不尽だと考えることができたことを言い得たのだろうか
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