2020年9月30日水曜日

9月を振り返って

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、来週の講義(生命倫理)のための資料を送った

これまでより理解しやすくなるのではないかと想像している

このような対応の変化は、おそらく新型コロナの影響なのだろう

今日、ZOOMの最終確認を行う予定である

この間、自分が考えている生命倫理の概略を見直していたが、考えがより明確になったところがあった

そのために再読したのではないが、『エコエティカ』にも繋がるところがある

このような継続的な見直しが新しい気付きを与えてくれるのだろう

 

さて、恒例の今月を振り返る日となった

まず、去年末から少しずつやってきたプロジェをやっと終えることができた

実際には、かなり長い間に熟成されてきたものが含まれており、わたしにとっては重要なものになる

「終えた」と書いたが、勿論最終的なものではない


それから今月前半は、数か月前から始めた植物免疫プロジェの最終的な詰めに追われていた

その結果として、わたしの主張が受け入れられたことは幸いであった

そして長期プロジェだが、上のプロジェ隠れて前面に出ることはなく、それほど前に進めることはできなかった

これについては、明日から始まる新しい月に期待したいものである 






2020年9月29日火曜日

「永遠の学生」と豊穣のとき


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今朝、何かの弾みで昔のブログ記事が現れ、そこに「永遠の学生」という言葉を見つけた

そこにあったリンクを開いていくと、スートゥナンスからフランスに渡る前までの記事が次々に出てきた

例えば、

永遠の学生 "Tu es un éternel étudiant !" (2009年10月9日)

内田光子 - free woman - nomade?(2005年4月10日)

一学徒として (2008年2月7日 )

永遠の学徒 (2015年12月18日)

読んでいると当時が蘇る豊穣の時間であった

当時と今は基本的なところは変わらないものの、何かが少し変化してきたようだ

それが何なのかを今は表現できないが、いずれ明らかになってくるだろう

偶に(まさしく偶然ではあったが)時間軸を取り込むことで、現在の見え方が変わってくるようだ

 

今朝は風がなく、秋の日差しがやや強いものの穏やかであった

そのためかどうか知らないが、やけに沢山のトンボが遊びに来てくれた

久しぶりに二匹繋がったカップルも見た

緑色のクモが寄ってきたので、暫し戯れる






2020年9月28日月曜日

「アトリエ」の覚束ない効果

 















今日は今回「アトリエ」と名付けた土間で仕事をすることにした

長期滞在になると、今まで背景にあったものに気付くことが少なくない

目に入っているが見えていなかったというやつである

庭がそうだったが、この場所もその一つ

草が生えていたり、虫が歩いていたりと面白い

調べると照明も壊れていないので、その気になれば夜もここでできることにはなる

ただ、寒さに向かうこれからは難しいだろう

 

残念ながら、昼からはアトリエの魔術が通ぜず

外に出て、講義の準備や長期プロジェなどに当たった

やはり、日常のものが周りにないことが集中を高めるのだろうか

 

 

 

 

 


2020年9月27日日曜日

描いて読んで考えて


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


朝の庭は穏やかであったかと思うと風が吹いたり

ただ今日は、蝶やトンボや蜂などが目に付き、全体的には長閑なものであった

 

午後から外に出て新しいプロジェの簡単なスケッチを描く

これはこれから肉付けする骨格になるものである

また、何年か前に読んだ今道友信著『エコエティカ』を読み直してみた

汎心論が含意するものはエコロジカルなものにも我々の関心を開くところがある

これまでの経験もあるのか、まだ途中までだがすんなり入ってきた

 

夜にはニールス・イェルネイディオタイプネットワーク理論に影響を受けた研究者の今の考えを読む

この理論は現在の免疫学からは完全に忘れ去られたものである

ただ、自己を認識するシステムとしての免疫という捉え方には一定の説得力があるように見える 





2020年9月26日土曜日

旅を終えた後に地図を見る

















新しいプロジェの枠組みについて考えを纏める作業を始めた

まだその姿は見えてこない

こういう作業の中で気付くことは、自らの勉強不足である

これまでの経験を基にした瞑想だけでは限界がある

ただ、勉強をしてから何かを始めるよりは良かったのではないかという気もしている

自分の中から出てきたものについて、これまでの蓄積と擦り合わせるという順序もあるだろう

その方が自らを自由にして進めることができそうである

そう考えると、勉強不足に気付いた今が擦り合わせという勉強の時になるのかもしれない

これは旅を終えた後に地図を見るというわたしの流儀に適っているようにも見える






2020年9月25日金曜日

ZOOM講義の準備を始める


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京理科大でのZOOM講義が迫ってきたので、その内容について検討を始めることにした

今回から学生さんがアクセスできるサイトに講義の情報をアップする必要があるとのこと

以前のように直前まで内容を考えるという贅沢は許されないことになる 

来週にはまとめを作らなければならないだろう

先日の印象では、昨年までの話し方とは全く別の語りになるような予感はしている

念のため、来週もう一度アクセスを確かめてくれるようである


 

 

 

 

2020年9月24日木曜日

昔から居場所は天空?
















今日は朝からのんびりしたい気分

庭を何気なく眺めながらゆったり考えを巡らす 

お昼からは昔のフォークソングなどを流したままにする

若き日が通り過ぎてしまった遠くにあるのではなく、すぐそこにある

そうすると、どうしたあの時、ああいう判断をしたのかなどという疑問も浮かんでくる 

分かれ道に来た時には5秒で決めているなどと話していたことも思い出す

余り深く考えずに行動していたのだろう

現実にあまり深入りしてこなかった(あるいは、しようとしなかった)とも言えるかもしれない

昔から天空を居場所にしようとしていたのだろうか

 

 

 

 

 


2020年9月23日水曜日

また一歩踏み出す


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休み明けの気分で、ご無沙汰していたサイファイ研ISHEのサイトを見直し、手を加えた

今年の前半、毎日のように訳して本ブログに掲載していた『現代哲学』を新しいページに纏めた

改めて全体を眺めると、よくやったものだという感慨が湧いてくる

こなれていない日本語も満載なのだが、、

 

また、長期プロジェを謳っている免疫についてのページは10か月もご無沙汰していた

それだけ進展が見られないということだろうか

最近の植物免疫の論文について簡単に触れた

 

それから昨日触れたお誘いにはポジティブに返答した

一歩踏み出すという感覚である

これから頭を絞らなければならなくなる

この過程で新しい景色が見えてくるとよいのだが、、


 

 

 

 

2020年9月22日火曜日

もう一つの山になるのか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世の中は連休中だという

連休の喜びが理解できなくなって久しいが、世の中に合わせてのんびりすることにした

しかし、海の向こうは忙しく動いているようだ

2週間ほどの間に考えなければならないお誘いが届いた

どうしてそうなるのか分からないのだが、前向きに考えて判断してはどうかという側に傾いている

今月は月の初めから、地上の世界の真っ只中という感じである 


夜、激しい雨音が聞こえた

 




2020年9月20日日曜日

久し振りに長期プロジェと向き合う























今日も気持ちの良い朝を迎えている

薄紫の花だが、気のせいか昨日よりもさらに目立つようになっている

嬉しいことである


このところ短期のプロジェに追われていた

少し遅れたが、やっと長期プロジェに向き合う精神的余裕が生まれた

朝の庭を味わった後、終日お付き合いすることにしたい

免疫という大きなテーマなので、終わりがないというのが率直なところである

最後はどこで切り上げるのかという決断の問題になるのだろう

つまり、終わりとしたものは本人の都合によるものなので、その後も続くということになりそうである







2020年9月19日土曜日

外界の 関係見直す コロナ禍な


 




















今日は久しぶりに気持ちの良い快晴となった

先日気付いた薄紫の可憐な花はさらに広がっている

昨年は気付かなかったように思うが、そもそも注意がそちらに向かっていなかったのかもしれない

蝶々も何羽か遊びに来て、自由に飛び回っている


目を横に転じると、車庫のシャッターが錆びて穴が開きそうになっている

これも以前は目に入っていなかったものだ

錆の広がりを抑えるために、ペンキでも塗ることにしようか

こんな心境になるのは、長い滞在でなければあり得ないことだ

コロナ効果の一つだろう


フランスは天空(頭の中)の生活だが、日本では地上の具体的なことが否応なく目に入ってくる

今回の日本ではそれがさらに進み、本当に地(球)に足が付いたような感覚を覚えることが少なくなかった

これも長期滞在でなければ難しかったのではないだろうか

内面だけではなく、外界との関係についても見直すことになっているコロナ禍な






2020年9月18日金曜日

「植物免疫における認識と記憶機能」のご紹介


 













 

この夏、植物の熱を感じたからではないが、植物の免疫に関するエッセイを書いてみた

科学雑誌向けだったが、哲学的考察というセクションを設け、「形而上学化」を実践したものである

ささやかではあるが、論文形式のものとしては初めての試みになる

 

レビュワーの中には、こういうコメントをする方がいた

「科学者はこのような省察をもっとしなければならない。しかし、これは科学の雑誌で適切とは思えない」

しかし、やり取りをする中で、前段にもあるように思慮深い方であることが分かり、建設的な助言もいただいた

そして、最終的にはわたしのやり方を認めてくれたようである 

 

Yakura, H. Cognitive and memory functions in plant immunity. Vaccines 8:541, 2020

 

 興味をお持ちの方はお読みいただき、ご批判をいただければ幸いです






2020年9月17日木曜日

内的活動と社会活動とのバランス

 














サイファイ研ISHEの活動とわたしの関係について考えてみた

昨年の秋に個人的な理由でFPSS以外の会をお休みにした

そして今年に入り、春と秋の両方(秋のFPSSについてはまだ分からないが)が中止になった

こちらはCOVID-19の影響である


この状態は、個人的なプロジェをじっくり進めるためには良いのかもしれない

本当のところは分からないが、注意が分散しないという点では常識的には良さそうである

ただ、いろいろなテーマに向かう内的活動は活性化されない

それに、1年に亘って対面で議論できないという状態は、精神的にはあまりよろしくないのではないか

こちらの対応能力にもよるが、これらの活動は長期的に見ると内的状態に活力を与えているのではないか

最近、そんな感じがしてきた 





2020年9月16日水曜日

一つのプロジェが決着する

 















ここ1-2週間はいくつかのプロジェに追われて慌ただしい地上の生活を強いられていた

本当に大変であったが、そのうちの一つが最終的に一件落着となった

ということで、今日は少しリラックスして過ごした

明日あたりから長期プロジェに向き合うことができればよいのだが、、

 

 

 

 

 

2020年9月15日火曜日

「何とか」の繰り返しか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、もう一山も何とか越えることができた

なかなか大変であったが、、

「何とか」がこれからの口癖になりそうである

 

それはそうと、この山を越えた後に小山がもう一つ飛び込んできた

何ということかと驚いている

しかし、こちらも何とかケリをつけることができそうなのでホッとしている

 

明日からは長い間ご無沙汰していた長期プロジェに向き合うことができそうである 

まだ今月のまとめには早いが、前半の特徴が浮かび上がってくるようだ

 

 





2020年9月14日月曜日

一山越えるともう一山


 



















数日前から薄紫の花が目に付いたが、以前に白い花を咲かせていたものかと思っていた

今朝、改めて観ると結構いろいろなところに広がっている

この季節になると咲く花なのかもしれない

いずれにせよ、もう少し花を愛でることができるのは嬉しいことである

 

さて、先週一山越えたばかりだが、もう一つ山が見えてきた

何とか越えたいとは思っているのだが、どうなるだろうか

明日にはその結果が分かるだろう







2020年9月13日日曜日

汎心論、それは物理主義を乗り越えることができるのか


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「医学のあゆみ」誌に連載中のエッセイ『パリから見えるこの世界』第95回のご紹介です

 

汎心論、それは物理主義を乗り越えることができるのか

医学のあゆみ(2020.9.12)274(11): 1149-1152, 2020 

 

19世紀から20世紀前半までの経過を追い、類似の考え方と比較しながら汎心論を振り返っております

お読みいただき、ご批判いただければ幸いです

よろしくお願いいたします







2020年9月12日土曜日

静かな読みの時間

 




















今日の前半は昨日を引き摺り、ゆったりと過ごす

そのまま行こうとも思ったが、後半は静かに読む時間となった

やはりこのような時間を毎日とることが欠かせないようだ

そうすることにより、精神がしゃきっとするだけではなく、体にも張りを与えるように感じるからだ

あくまでも主観的な変化なのだが、それが重要である





2020年9月11日金曜日

集中の後の異常な充実感


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週に入ってからの3日間は、これまでにないほど集中していた

重要な仕事だと思っていたのだろう

驚くほどしっかりやったので、昨日は何もやる気が起こらなかった

その中にまだ留まっていたいという気持ちと、出し切ったという充実感があったのだろう

ただ、体は嘘をつかない

鼻風邪の症状が出てきた

この2日で仕上げる予定だったものもあったが、少し延ばしていただけることとなった

天空からのお計らいという感じで、今日は予定を変更してゆったりすることにした





 

 

2020年9月10日木曜日

「ゆったりと大きく」哲学を


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝、出かけようとした時、ナベサダ70歳の時のドキュメンタリーが始まった

現在87歳とのことなので17年前になる

高校卒業したての18歳のドラマーを交えての全国ツアーを追ったものであった

それを観ながら感じていたのは、人間に成ろうという意志を持ち、前に進む姿の美しさではなかったか 

何か美しいものを観させてもらったというのが第一印象だった

 

「ジャズは人生のすべてを音にするもの」という彼のフォルミュールは、音楽一般にも哲学にも当て嵌まるだろう

自分を嵌め込んでいる型から抜け出して弾けることが重要だというようなことも言っていた

これはプラグマティズムの提唱者でもあるウィリアム・ジェームズが哲学に対して抱いていた違和感にも繋がるだろう 

型が先に来て、その人間が持っている内的な迸りのようなものを大切にすることが蔑ろにされているというのである

それが哲学が本来持っている活力を失わせているのではないか

わたしも同様の危惧を感じていたので、今日のナベサダの姿勢には共感を持った

それと、18歳のドラマーのメモによれば、演奏する時には「ゆったりと大きく」と教えていたようである

この言葉にも共感したのは言うまでもない


「ゆったりと大きく」哲学を

「ゆったりと大きく」生きたいものである

 

 

 

 

 

2020年9月9日水曜日

相変わらずの最後の一日


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今日は自分で決めた締め切りだった

朝からよく集中できたものである

普段からこれくらいできれば大したものだが、そうは問屋が卸さない

第一、目だけではなく体が腫れ上がったような感覚で大変である

いつからか決まりになった最後の1日で何とかするという方針を変えるのは難しそうである

これからもう一つの最後の二日が待っている

天空は遥か彼方である

 

ところで、写真は今朝の風景

緑の毬栗が一面に転がっているだけではなく、軽い音を立てて地上に落ちてくる

わたしのような状態の者にはかなり危険な現場ではあった

秋の匂いがそこかしこに感じられるようになっている

 

 

 

 

 

2020年9月8日火曜日

耐える日、続く

 















今日の午後、ガスがかかったような状態になった

海はどうかと思い、向かってみた


さて、今締め切りを前にして、なかなか前に進まない状態だ

少し甘く見ていて、準備を怠ったところがあった

ただ、このような状態にいても、以前のように浮足立つということはなくなった

どこまで踏ん張って絞り出すことができるのか

このような機会がなければ考えることはないと思われるので、もう少し耐えてみることにしたい






2020年9月7日月曜日

地上の生活、真っ只中


 













 

 

庭が長い間見てきた姿に近づきつつある

もう完全に秋である

 

今日、再び訃報が届いた

今度は教え子に当たり、1年ほど前に定年前に退職せざるを得なくなったとの連絡が入った

そして今回の連絡で、何とも残念である

 

それとは別に、急にやらなければならないことが出てきて、締め切りがあるものは少しだけ延ばしてもらった

こういうことは殆どなかったのだが、どうしたことだろうか

何とか間に合うように仕事をしたいものである

まさしく地上の生活である

天空の時間はいつになるのだろうか

 

 

 


2020年9月5日土曜日

底から見えるもの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このところ3つくらいのプロジェを抱えて単調な日々を送っている 

その昔の意識のレベルがふわふわと浮いていたように見える

それくらいの沈潜振りが持続している

これが体に良いのかどうか、まだ分からない

一つの実験になるのだろうか

 

 

 

 

 

2020年9月4日金曜日

最初であると同時に、最後の機会として





























先程、研究生活において同じ領域でお世話になった先生がお亡くなりになったとの連絡が入った
 
退職後は、わたしが書いているエッセイに毎月のように最も長い感想を送っていただいた 

それは大きな励みになるものでもあった

1年ほど前に「老いは突然訪れます」という言葉と共に感想を送ることができなくなる旨のメールが届いた

それ以来、心配していたのだが、このような結果になり残念である

3年ほど前に数名の方とご一緒して一献傾けたことがあったが、お会いしたのはそれが最後になった
 
もう一度ざっくばらんに言葉を交わしたかったというのが、今の感想である
 
それが最初のものであると同時に最後のものとしての「一期一会」を肝に銘じたいものである
 
 
 
 
 



2020年9月3日木曜日

天空を羽ばたくのはいつの日か


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地上に降りて具体的なことをやるといろいろなことが起こり、目が離せない

一昔前であればストレスになっただろうことだが、今は感情の揺れが全くない

これは相当に揺れただろうななどと想像しながら、流れを見守るという感じで落ち着いている

そういうことが昨日あり、かなり起伏の激しい一日だった

昔の目から見れば、ということなのだが、、

この分では天空を羽ばたくような自由の時間はなかなか戻って来そうにない







2020年9月2日水曜日

ZOOMを初めて経験する

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ZOOMというものを初めて経験した

講義をするという必要に迫られて

仕事をしている人から見れば何を今更ということになるのかもしれないが、興味深いものであった

第一印象は、意外とあっさり繋がるものだということ

それと家で話をしているので、顔を見ながら電話をするような感覚であった

自宅からの講義はこれまでと違い、話しかけるようなリラックスしたものになりそうな予感がした

問題はインターネット環境を低く抑えているので、60人ほどを相手にスムーズに進むのかという点である

結局、ぶっつけ本番ということになった

 

 

 

 


2020年9月1日火曜日

サイファイ研究所ISHE、この秋の予定


 















今秋のサイファイ研の活動をどうすべきか、考えていた

最終的には、まだ時期尚早ではないかというところに落ち着いた

参加される方は勿論だが、開催する方も気持ちに余裕が持てるような状況でなければ難しいと考えたからだ

先に案内を出した会は、延期ではなく中止とした

年が改まり少し落ち着いてきた時に、新しいプログラムのもとに再開できればと考えている

サイファイ・フォーラムFPSSに関しては、厳格に対処している日仏会館が開館する時には開催することとした

予定が決まり次第、この場でもお知らせすることにしたい


来年は『「科学から人間を考える」試み』と銘打って2011年11月に活動を始めてから10年目に当たる

不安の中でスタートした会だったが、ここまで継続することになるとは想像もできなかった

これは一重に会を支えていただいた皆様方のお陰で、感謝の言葉しかない

今は、節目の年になる2021年に活動が再開できることを願うばかりである

これからもご理解とご協力をいただければ幸いである