今朝、出かけようとした時、ナベサダ70歳の時のドキュメンタリーが始まった
現在87歳とのことなので17年前になる
高校卒業したての18歳のドラマーを交えての全国ツアーを追ったものであった
それを観ながら感じていたのは、人間に成ろうという意志を持ち、前に進む姿の美しさではなかったか
何か美しいものを観させてもらったというのが第一印象だった
「ジャズは人生のすべてを音にするもの」という彼のフォルミュールは、音楽一般にも哲学にも当て嵌まるだろう
自分を嵌め込んでいる型から抜け出して弾けることが重要だというようなことも言っていた
これはプラグマティズムの提唱者でもあるウィリアム・ジェームズが哲学に対して抱いていた違和感にも繋がるだろう
型が先に来て、その人間が持っている内的な迸りのようなものを大切にすることが蔑ろにされているというのである
それが哲学が本来持っている活力を失わせているのではないか
わたしも同様の危惧を感じていたので、今日のナベサダの姿勢には共感を持った
それと、18歳のドラマーのメモによれば、演奏する時には「ゆったりと大きく」と教えていたようである
この言葉にも共感したのは言うまでもない
「ゆったりと大きく」哲学を
「ゆったりと大きく」生きたいものである
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