これから外で仕事を、と思った時メールが入る
宣伝だったが、ホーキング博士の追悼記事が目に入った
ここ10年ほど身近で博士をフォローしてきた方のようだったので読んでみた
博士の場合、病気で体が不自由になっていたが、精神の活動には衰えがなかった
それが外に現れるまでには、かなりの時間がかかったようではあるが、
その経験から生きることや考えることの意味を考えたようだ
連想したのは最近のエッセイのテーマ、プラトンが考えた肉体と精神との関連であった
プラトンに倣えば、肉体の影響が消えた方がさらに深い精神状態に入ることができる
博士もそうであったかもしれない
我々の体も同じよう衰えるが、それが精神の深さに結びつくとは限らない
そのように意識して努めなければ難しいだろう
それを読み終わった時、下の方にハイデッガーの名前があるではないか
ナチスとの関連の他、『存在と時間』についての8回連載の記事が紹介されている
まだ手に触れていない本なので、内容に興味を持って読み始めると夕方になっていた
こういう回り道はこちらに来てから進んでやっているが、大きな発見に繋がることがある
書いているのはマンハッタンにあるニュー・スクールのサイモン・クリッチリー教授
その内容を自らの歩みに重ねて読むと、この生の捉え方が極めて近いことが分かる
全く違和感がない
日本にいる時にフランスの哲学教師から届いた仏版ブログへのコメントを思い出す
それはご宣託と言ってもよいもので、次のようなものだった
「あなたはフッサールやハイデッガーを愛するために生まれてきたのです」これまで確かめることはできなかったが、その切っ掛けを掴めたような気分である
フランスの哲学の先生がわたしの書くものの中に同質のものを見出したのだろうか
そうだとすれば、専門家の目は恐ろしい
明日以降、今日の印象をまとめておくことにしたい
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