2018年3月25日日曜日

ハイデッガーの『存在と時間』3



本日から夏時間
朝からの明るい優しい日差しが嬉しい
素晴らしい季節の始まりであることを願いたい

先日目に入った記事の中に、ガダマーさんの追悼記事があった
長命だったことは知っていたが、それ以外は気にかけていなかった
彼が生まれたのは1900年で、2002年に102歳で亡くなっているので年齢が分かりやすい
その記事に「60歳で出した『真理と方法』で有力な哲学者になった」とあり、驚いたのだ
ドイツ語のウィキに行くと、彼の作品はすべてそれ以降のもの
76歳、83歳、89歳、93歳、96歳(2冊)、100歳(3冊)という具合だ
驚くべきスタミナである

その記事によれば、略歴は以下のようになる
29歳でハイデッガーの下へ
昨日の記事にもあったが、彼はナチスには加わっていない
学生時代にポリオに罹ったようで、兵役にも行っていない
34歳でナチスの拠点だったキール大学で教え、37歳でマールブルクの教授となる
その2年後にはライプツィヒに移り、戦後ソビエトが彼を学長にしたという
しかし、47歳でフランクフルトに戻り、49歳でハイデルベルクへ
亡くなるまでそこに留まり、最後まで独身を通したようだ


再び、『存在と時間』に戻りたい

本書の目的は、形而上学の根本問題である存在の問題についての困惑を呼び起こすこと
彼は、この世界における日常の存在としてのDasein(人間)を解析することにより行う
Daseinはこの世界に投げ出(投企)された存在である
その状態をGeworfenheit(thrownness)と彼は言った

ハイデッガーは心の状態、気分、投企された状態という三つの概念について解析する
心の状態(Befindlichkeit)は、英語では次のように訳されている
'already-having-found-oneself-there-ness' 「すでに自分自身をそこに見出している状態」
つまり、人間はこの世界の中のどこかにすでに存在しているものということになる

気分(Stimmung)は感情や情緒を意味するが、心理学的な含みはない
寧ろ、この世界と調和しながら向き合っている我々の根源的な在り方を意味している
我々は世界との関係抜きには存在し得ず、その関係は理性ではなく気分の問題である
我々の日常は、恐怖、退屈、興奮、不安などの諸々の気分の中にいることを意味している

Daseinは投企された受け身の状態ではなく、我々はその状態を理解することができる
理解するとは、どのように何かをするのか、操作するのかという活動の概念である
真の人間は、存在する可能性、能力(Seinkönnen)によって規定される

纏めると、人間は世界に投げ出されているだけではない
その状態を取り払い、具体的な状況における可能性を掴むという運動に入ることができる
これがハイデッガーの言う投企(Entwurf)であり、自由の経験である
自由とは抽象的な概念ではなく、世界内での行動を通して可能性を示す人間の経験である
真の人間とは、そのように行動する人のことである

(つづく)





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