2017年5月10日水曜日
興味深いスピンオフ
今朝、最近発見した近くの郵便ポストに投函
そのポストと同様、以前からそこにあったレストランに気付く
これまでそこをカフェ代わりに使おうという考えさえ浮かんでこなかった
そこで暫く読んでみたが、使えそうである
こんな近くにこんなところがあるとは思いもよらなかった
こういう盲点を発見するのも楽しみになっている
実はそれが余りに多くなっているので、楽しみは尽きないのだが、、
ところで、今回のフランス大統領選の後、日本の政治状況が浮かんできた
日本は今沈滞の中にあるという
その沈滞と並走しているように見えるのは、皮肉と揶揄と諦念と時に罵倒の類になるのだろうか
今の問題と真正面から向き合い、新しいビジョンを提示するような人が見当たらない
一見、この沈滞を打ち破るために立ち上がっているように見えるものもあるが、訴えかけてこない
それはおそらく深い思索のなかから生まれてきたものではないからではないか
出てくる言葉の背後に何かを感じないのである
そう感じたのは、マクロンが少なくとも言葉の上でその方向を向いているように見えたからだろう
この状況を打ち破るにはマクロン的な人物の登場が求められるのではないか
外から見れば1年ほど前には殆ど無名だったというくらいの若い人材、隠れている人材である
既存の野党が機能しない状態では、その枠を超えた思考をする人が必要になるのではないか
そのような人材が出るだけの余裕、スペースがいまの日本にあるのだろうか
悲観的状況をものともせず、既存の勢力を取り込み進むだけの力量を持つ人物は現れるのか
そんな夢想とでも言うべきものが浮かんできた
これは離れているからこそ浮かんできたものかもしれない
と同時に、今回、大統領選のカバーをしていなければ、こんな夢想も生まれなかっただろう
そう考えると、面白いスピンオフと言えるのかもしれない
哲学者ポール・リクールとエマニュエル・マクロン
フランス現代の哲学者にポール・リクール(Paul Ricoeur, 1913-2005)がいる
彼は自らの仕事を偉大なテクストを読み続けることと考えていた
巨人の肩の上の小人に例えながら
この哲学者とマクロンの意外な接点を知ることになった
マクロンはリクールの助手をしていたという
その時に前世紀について学び、歴史を考えることを学んだと選挙前に出した本で述べている
さらに、リクールについてESPRIT誌に論文も書いている
タイトルは、La lumière blanche du passé. Lecture de la Mémoire, l'histoire, l'oubli
リクールの『記憶、歴史、忘却』を読んでの考察になるのだろうか
この本にはマクロンへの謝辞も書かれているという
それ以来、リクールと関係のあった次のような人に深い影響を受け、変容して行ったと語っている
オリヴィエ・モンジャン(Olivier Mongin, un écrivain, essayiste et éditeur français, 1951-)
ESPRIT誌の編集長を1988年~2012年まで務めた
フランソワ・ドス(François Dosse, un historien et épistémologue français, 1950-)
カトリーヌ・ゴールデンシュタイン(Catherine Goldenstein)
テレーズ・デュフロー(Thérèse Duflot)
特に選挙戦後半だが、彼の主張には意外と背骨となっているものがあるような気がしていた
彼の中にある進歩への信仰や自由の尊重、フランスやヨーロッパへの強い思いの背後にあるもの
言わば、啓蒙思想そのものを推し進めようとする力になっているもの
それは文学や哲学の素養に裏打ちされているのではないか
さらに、痛みの癒しや和解という言葉の背後にはリクールの哲学が反映されていたのではないか
単なる政治・金融の技術だけではなく、そこから距離を取ることを可能にする文学や哲学からの目
彼はそれを持っていて、それが彼を動かす力になっていた可能性がある
これから調べなければならないが、興味深い視点を得ることができた
2017年5月9日火曜日
進歩という概念
啓蒙時代について少しだけメモしておきたい
18世紀に近代的な意味での進歩の概念が現れた
科学、芸術、哲学による知の発展が人間性の完成に導くという今に続く考え方の基本が生まれた
この時期に、古代人と近代人の論争があったことを知る
昔がよかったのか、今の方が優れているのかの論争で、新旧論争とも言われる
古代の作家を模倣することを勧めたニコラ・ボアロー(Nicolas Boileau-Despréaux, 1636-1711)
近代の優越性、創造的なイノベーションを主張したシャルル・ペロー(Charles Perrault, 1628-1703)
デカルト主義者のフォントネル(Bernard Fontenelle, 1657-1757)がペローを支持
進歩の概念が生まれ、それがフランス革命にまで至る
大統領選関連
昨日、予想通りマクロンが選ばれた
これからマクロンが国内に広がっている不満と分断を緩和できるのか否かが問題になるだろう
それ如何では、ル・ペンが主張している政策が魅力あるものに見える時が来るかもしれない
その点に注意しながらこれからの政治を見ていきたい
ここで、選挙後のそれぞれの会見と今日の式典の模様を貼り付けておきたい
今回のカバーで少しだけ現世に近付いたように感じている
今日でこのシリーズを一応終えることにし、また何か出てきた時には改めて観察することにしたい
2017年5月7日日曜日
女性美術展を観る
昨日、ホテル・グアン(Hôtel Goüin)の前を通ると、女性をテーマにした美術史展が開かれていた
土曜のこともあってか、前回とは異なり、非常に賑わっていた
絵画や彫刻の名作を現代の女性が演じ、写真に収めたものが作品であった
すぐに森村泰昌氏の作品を思い出した
しかし、あそこまで原作に忠実にすることには執着しておらず、ずっと自由である
前回来た時には写真撮影は禁止されていたが、今回はOKであったのでいくつか紹介したい
久し振りの至福の時間となった
2017年5月6日土曜日
フランス語のクラス、終わる
フランス語クラスの面々
昨日は久し振りにCUEFEEでの最後のフランス語クラスに顔を出した
実は教室が変わっていたようなのだが、そうとは知らずスペインからの女子学生と暫く待っていた
そこに先生(Pr Amaury Théret, 写真最後列)が現れ、新しい教室まで15分ほど歩く
最後のクールにはわたしを含めて9名が出席
普段の半分くらいだろうか
ドイツ(2名)、中国(2名)、メキシコ、スペイン、モンテネグロ、スコットランドからの学生さんであった
記憶が正しければではあるが、、
内容はSAMBAという映画の鑑賞であった
最後に記念撮影をお願いして快諾していただいた
12回、3か月に及ぶクールだった
余り進歩は期待できそうにないと判断、皆勤とはならなかった
ただ、籠る生活から出て、音としてのフランス語に反応する楽しい時間であった
殆どが20代前半の皆さんだが、しっかりしていて自らの学生時代を思うと感心せざるを得ない
皆さんのこれからの飛躍を期待したい
昨日は久し振りにCUEFEEでの最後のフランス語クラスに顔を出した
実は教室が変わっていたようなのだが、そうとは知らずスペインからの女子学生と暫く待っていた
そこに先生(Pr Amaury Théret, 写真最後列)が現れ、新しい教室まで15分ほど歩く
最後のクールにはわたしを含めて9名が出席
普段の半分くらいだろうか
ドイツ(2名)、中国(2名)、メキシコ、スペイン、モンテネグロ、スコットランドからの学生さんであった
記憶が正しければではあるが、、
内容はSAMBAという映画の鑑賞であった
最後に記念撮影をお願いして快諾していただいた
12回、3か月に及ぶクールだった
余り進歩は期待できそうにないと判断、皆勤とはならなかった
ただ、籠る生活から出て、音としてのフランス語に反応する楽しい時間であった
殆どが20代前半の皆さんだが、しっかりしていて自らの学生時代を思うと感心せざるを得ない
皆さんのこれからの飛躍を期待したい
2017年5月4日木曜日
選挙前最後の討論会
次の日曜が投票日になった第2回投票
その前の最後の一対一の討論が昨夜あったので貼り付けておいた
ライブでは聴けなかったが、後から少しだけ見た
前回見た予想ではマクロンが6・4で優勢だったが、少し減少傾向が見られた
しかし、その後の経過は平行線で全く変わっていない
おそらくマクロンが勝つのではないかという中でのデバになった
現実の政治を知らない身なので、あくまでも討論での見え方からの結論になる
インテグリティから見て、マクロンが圧倒していたようだ
彼は終始ル・ペンを諫めるような態度を見せた
発言には嘘があり、憎しみや分断をフランスに持ちこんでいる
それは国民戦線がここ10年以上の間で取ってきた戦略である
国民戦線の描く家族や国の姿はフランスの本来の姿ではなく、わたしの描く姿でもない
フランスは啓蒙の国、開かれた国で、国境を閉じることとテロ防止とは関係がない
問題に向き合い、それに打ち勝っていくという前向きの考え方で進める
これまで分断されてきたフランスを和解に導きたい、と力強かった
ル・ペンの訴えはスローガンが先に来て、細かい政策、財源などをはっきり示せなかったようだ
その点ではややアジ演説に近く、現状への不満を煽る後ろ向きの印象を与えるものになった
テロ対策として、イスラム原理主義者を国外追放するとしていた
国内にいる外国人一般に対しては、フランス人と同様に扱うと当初から表明していた
ただ、これまでのFNの歴史を見ると、人種差別的な見方がいつ噴出しないとも限らない印象もある
それから、負けを覚悟していたのか、皮肉や揶揄が多いのも気になった
総合すると、討論でもマクロンの方が優勢という印象を持った
一夜明け、どちらが説得力があったかという国民の評価も63対34でマクロン
フィヨン支持者では58対38、メランション支持者でも66対30とマクロン優勢
どちらが誠実であったか?どちらが自分の価値観に近いか?という問いでもマクロンが6割を得た
ただ、討論後の統計によると、両者の差はやや縮まり、55%対42%とのこと
それから、討論中の両候補の発言の正誤を評価する記事もあった
post-truthの時代では不可欠になりそうな検証である
これを見ると、政治家は恰も本当のことのように嘘をつくことが分かる
これも若干マクロンの方がよいという印象だ
これはこちらでいつも感じていることだが、討論とは言葉による激しい格闘技だということだ
イメージ、スローガンではなく、理念、具体的な政策について言葉で表現して闘わなければならない
ル・ペンは資料に頼っているところがあったが、マクロンは何も見ないで議論していた
今回、10年目にして初めて政治の世界を覗くことになった
政治を含めて外の世界を観るということは時間を要することである
その分、内に向かう時間が奪われる
これまで現世の動きに無頓着であったのは正解だったような気もしてくる
2017年5月3日水曜日
ぼんやりすること、再び
先週末から毎日が土曜日という感覚の中にある
月曜が祝日だったためなのか、日本が大型連休の中にあるためなのかは分からない、
今は全く関係がないはずなのだが、週の中で一番ほっとする曜日が土曜になって久しい
仕事が終り、もう一日休みがあるというあの感覚である
偶然はいつも何かを齎してくれる
Youtubeを開いてみると、以前に世の中を騒がせた新垣隆という作曲家がリストに出ていた
難聴の作曲家のNHK特集を帰国していた日本で偶然に見たことがあった
事態が明らかになった後に開かれた記者会見で、氏が正直に語っている姿が印象に残っていた
そして、再びの偶然で氏がいろいろな活躍をしていることを知ることになった
ある番組の中で、作曲する時にはぼんやりすることが大切なんです、とぼそっと語っていた
騒々しい番組だったので、周りの人の耳には届かなかったようである
以前のわたしであれば聞き逃していた言葉になるだろう
しかし、その意味がよく分かるようになっている今、なるほどと思いながら聞いていた
人の話を聴いて面白いと感じるのは、このぼんやりした時間が持っていることを想像させる場合だ
学者の話が概して面白くないのは、事実に埋もれ、この時間を経験していないからではないか
つまり、意識の第三層にまで入り切れていないのである
芸術家の場合には、ぼんやりした状態が創造に繋がるのだろう
普通の人間にとっては、哲学に繋がるものである
ひょんなところから、ぼんやりすることの意味を確認することになった
2017年5月2日火曜日
瞑想の効果?
本日は朝から小雨
外気を入れながら代り映えしない景色を眺めている時、こんなことに気付いた
特にトゥールに来てから、受け入れる容量が増えているのではないか
例えば、以前では到底無理だったと思われる多数のプロジェを同時進行させること
殆ど気にならなくなっている
それから、日常におけるいろいろな出来事に対しても許容範囲が広くなっているように感じる
そのため、ストレスというものがなくなっている
極言すれば、全世界を受け入れるという気持ちが生まれている
そのために脳の空間を極限まで広げるという感覚があり、実際に広がっているように感じている
いや、より正確には、それは殆ど無意識のうちに行われているような気がする
勿論、すべてが錯覚ということもあり得るのだが、、
それが錯覚にしても、その錯覚は精神に非常に良い影響を与えているようである
Liberté
Paul Eluard
Sur mon pupitre et les arbres
Sur le sable sur la neige
J’écris ton nom
Sur toutes les pages lues
Sur toutes les pages blanches
Pierre sang papier ou cendre
J’écris ton nom
Sur les images dorées
Sur les armes des guerriers
Sur la couronne des rois
J’écris ton nom
Sur la jungle et le désert
Sur les nids sur les genêts
Sur l’écho de mon enfance
J’écris ton nom
Sur les merveilles des nuits
Sur le pain blanc des journées
Sur les saisons fiancées
J’écris ton nom
Sur tous mes chiffons d’azur
Sur l’étang soleil moisi
Sur le lac lune vivante
J’écris ton nom
Sur les champs sur l’horizon
Sur les ailes des oiseaux
Et sur le moulin des ombres
J’écris ton nom
Sur chaque bouffée d’aurore
Sur la mer sur les bateaux
Sur la montagne démente
J’écris ton nom
Sur la mousse des nuages
Sur les sueurs de l’orage
Sur la pluie épaisse et fade
J’écris ton nom
Sur les formes scintillantes
Sur les cloches des couleurs
Sur la vérité physique
J’écris ton nom
Sur les sentiers éveillés
Sur les routes déployées
Sur les places qui débordent
J’écris ton nom
Sur la lampe qui s’allume
Sur la lampe qui s’éteint
Sur mes maisons réunies
J’écris ton nom
Sur le fruit coupé en deux
Du miroir et de ma chambre
Sur mon lit coquille vide
J’écris ton nom
Sur mon chien gourmand et tendre
Sur ses oreilles dressées
Sur sa patte maladroite
J’écris ton nom
Sur le tremplin de ma porte
Sur les objets familiers
Sur le flot du feu béni
J’écris ton nom
Sur toute chair accordée
Sur le front de mes amis
Sur chaque main qui se tend
J’écris ton nom
Sur la vitre des surprises
Sur les lèvres attentives
Bien au-dessus du silence
J’écris ton nom
Sur mes refuges détruits
Sur mes phares écroulés
Sur les murs de mon ennui
J’écris ton nom
Sur l’absence sans désir
Sur la solitude nue
Sur les marches de la mort
J’écris ton nom
Sur la santé revenue
Sur le risque disparu
Sur l’espoir sans souvenir
J’écris ton nom
Et par le pouvoir d’un mot
Je recommence ma vie
Je suis né pour te connaître
Pour te nommer
Liberté.
Paul Eluard
Poésie et vérité 1942 (recueil clandestin)
Au rendez-vous allemand (1945, Les Editions de Minuit)
2017年5月1日月曜日
メモの絶大な効用
本日はメーデーで、交通機関も含めてお休みのはず
籠ることにした
昨夜は久し振りに寝る前にいくつかアイディアが浮かんだ
それは、いま手の内にあるものの全体を思い浮かべた時のことであった
そのまま寝ようとしたが、メモしておいた
先日メモのことに触れたことが後押ししたのだろう
予想通り、朝起きると完全に忘れていたので正解であった
アイディアの一つは、何日か前に引っ越しの箱に入ったままの本を目にしたことから出ていた
それはフランスに渡る前に手に入れた上下二段で1000ページになろうかというものである
それまで、このような大部の本は買ったことがなかった
読む時間などないことを知っていたからだろう
当時は雑然とした内容に感心しなかったが、いずれ何かの役に立つだろうと思ったのだろう
あるいは、フランスに向かう記念にとでも思ったのかもしれない
しかし、この10年間、それに触れることはなかった
ところが、その本を取り出し、読み始めて驚いた
この10年ほどの間に蓄積され、関連付けされていた塊がある
現在の私の問題と言ってもよいものだ
驚いたのは、今の塊を超えて頭の中に散らばっていた他のものが一気に繋がってきたことである
このような感覚が襲ってきたのは久し振りである
いつも暫くするとその驚きは薄れていくのだが、今回はどうだろうか?
2017年4月30日日曜日
バンド演奏の中、ぼんやりと読む
本日は曇り、時々雨
その雨の中で試合が行われ、応援のバンドの威勢もよかった
ぼんやりといろいろなものを摘み読みする
読み始めた本の中にこういう指摘があった
われわれの理性の空間は、規範によって境されている
社会を安定させるための社会的な規範が一方にある
善い行いか悪い行いかを決めるものである
もう一方には、それを守らなければ生存に関わるという言わば機械的な規範もある
それに従わなければ、自然が罰を下すという類のものである
われわれが倫理と言う場合は前者を指し、そうすることをすべてに求める
後者は必ずしもすべてに求めるわけではないが、その結果責任はその人間が負うことになる
ヤスパースの哲学についての考え方にも近いものを見た
「書物の中に述べられ、そして教室の講義で説明されるような哲学思想は、いわば一方の側面であって、この側面は、歴史的に個別的で代替不可能な実存の内でしか実現されないような他の側面が共に語りかけるときにだけ、初めて価値あるものになります」
「私には、一九世紀の意味での、そればかりでなく私たちの時代の意味での、科学的哲学は、事実上終焉しているように見えます。それは今でもアカデミックな意味では、行われておりますが・・・」
「私の考えでは、人間が実存する限り、哲学は決して終焉することはありません。哲学の一定の形態・・・が一つのサークル、一つの教養界、一つの社会に対して、その時々に終焉する、ということはありえます。・・・学派における根源的な哲学する働きが一つの学説体系に転化し、おのおのの学派にとって自家撞着的なことが始まったとき哲学は終焉しました」
「私には、こうした新しい哲学を求める声は疑わしいものに聞こえます。・・・ひとは哲学を要望することができません。彼はそれを生きなければならないのです。哲学は決して未来のものではなく常に現在的です。哲学を待望するものは、すでに哲学を拒否しているのです」
「哲学は各々の単独者の実存的意識を明確にし、彼がそのために生死を賭けようとするものを明瞭にし、なしうることをなそうとする意志を強め、起こるかもしれない一切のものに対して覚悟を決めさせるのです」
大統領選関連
2日前の調査結果は以下のようになっている
マクロン: 59%
ル・ペン: 41%
マクロンは週の初めに比べると4%下げている
まだ決めていない人を入れると、次のような数字になる
マクロン: 47%
ル・ペン: 33%
未決定: 20%
沈黙を守っていたメランションが、Youtubeで声をあげた
自分は投票には行くが、誰に入れるかは言わない
そして、自分はグルではないので誰に入れろとも言わないとしている
そのメランション支持者の動向は以下のようになっている
40%がマクロン(13%減)
19%がル・ペン(8%増)
棄権40%(7%増)
アモン支持者は、マクロン63%、ル・ペン8%、棄権29%
フィヨン支持者は、マクロン50%、ル・ペン21%、棄権29%
時間軸で見ると、徐々にマクロン支持が下がっているようだ
あと1週間で両者の線が交わることはあるのだろうか
ロベール・ルグロさんによるロマン主義
本日も文句のない快晴
ぼんやりと考えを巡らせる
今日は啓蒙思想と反啓蒙思想に関連して、ロマン主義について見ておきたい
この二つの考え方は、今の世界を分けている一つの対立軸になるかもしれない
ロベール・ルグロ(Robert Legros)さんの分析に耳を傾けてみたい
彼はヘーゲルを専門とするベルギーの哲学者である
伝統を否定して理性と個人主義を最高位に置く啓蒙思想の検証からロマン主義は生まれた
フランス革命後の18世紀終わりに始まり、19世紀を通じてヨーロッパに広がった
しかし、この流れは後からまとめてラベルが付けられることになったものである
啓蒙思想にある理性主義や普遍主義から距離を取った最初のドイツの思想家は、次の人たちだ
アダム・ミュラー(Adam Müller, 1779–1829)
ヘーゲル(1770-1831)
ヘルダーリン(1770-1843)
シェリング(1775-1854)
フリードリヒ・シュライアマハー(1768-1834)
フリードリヒ・シュレーゲル(1772-1829)
ノヴァーリス(1772-1801)
E・T・A・ホフマン(1776-1822)
彼らは人間、歴史、政治についての新しい考えを持っていた
さらに、ベートーベンとシューベルト、そして特にウェーバーがドイツの伝統に根ざす音楽を求めた
これは普遍を目指したバッハやモーツアルトとは異なっている
絵画では、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich, 1774-1840)がいる
自然の中に物理的なものを見るだけではなく、神秘的なものをも見ようとした
イギリスにはターナー(Joseph Mallord William Turner, 1775-1851)がいた
啓蒙思想の哲学的意味は以下のようになるだろうか
この思想の下、人間は自律、普遍、独立を具えた主体になる
そうなることが人間の使命になり、ロマン主義はそこに疑義を差し挟んだのである
啓蒙思想同様に、ロマン主義もわれわれから法が生まれるとした
しかし、そのわれわれは個人の集合ではなく、われわれの伝統、習慣、風習、つまり文化であった
なぜなら伝統や文化から抜け出た普遍的な人間など存在しないからである
人間とは歴史的、社会的に生まれるものだと考えるからである
古典的な保守主義は伝統に忠実ではあるが、それは宗教に忠実である限りにおいてであった
ロマン主義者は、宗教はどうであれ、伝統に忠実である人間を考えた
その意味では、文化的な平等を訴えたことになる
政治的には保守主義であるが、上の理由で反植民地主義の立場を採った
啓蒙思想は人間の平等を訴えたが、それはヨーロッパの中での話であった
それ以外の人間を下に見て、従わせるものと考えていた
一方のロマン主義者は、それぞれの文化の特殊性を認め、普遍化することに反対した
人間の平等と文化の平等は合致することはあるのだろうか?
ロマン主義は理性に対して感情の側に立ったとする見方があるが、そんな単純なものではない
古典的な美はフランスの庭園に見るように数学的調和や秩序を見えるようにするものであった
ロマン主義者はこの考えを捨て、感知できるものは形によっては超えられないと考えたのである
Volksgeist(民族精神)という言葉を最初に使ったのはヘーゲルである
しかし、この概念は反啓蒙思想の基にいるヨハン・ヘルダー(Johann Herder, 1744-1803)が出した
ヘーゲルは啓蒙思想に従っていたが、精神の生気論的理解は保持していた
理性と進歩を掲げる啓蒙思想には、植民地主義的精神に導く危険性がある
民族精神を保持するロマン主義の危険性は、民族の純粋性を要求することである
人種差別主義との親和性である
啓蒙思想とロマン主義との対立を超える道はあるのだろうか?
一つには、現象学が開いた道がある
ロマン主義による世界への帰属と啓蒙思想による思想の自由は矛盾しないという
フッサールの理由付けについては、宿題としたい
大統領選関連
マクロンのアラスでのミーティング(4月26日)を貼り付けておきたい
国民戦線の性格として、「デマゴギー」、「分裂を煽る憎しみや怒りの言葉」などが耳についた
彼らは愛国者ではなくナショナリストで、それは戦争に結びつく
今抱えている問題はEUが原因ではなく、われわれに原因がある
怒りや憎しみや疑いを持っている人たちは、そこから逃れる希望を彼らに託することなかれ
彼らには問題解決はできない
分断されたフランスに再び統一と和解を齎すためにすべてのことをする
怒りや憎しみがあるところすべてに出掛けて行き、問題を克服したい
スローガンは Ensemble, la France !
機会の均等やイノベーションの導入や再工業化などを進め、ダイナミックな経済、社会をつくりたい
誇りを持てるフランスをヨーロッパの中で再構築していきたい
これまでになく力のこもった演説をしていた
2017年4月29日土曜日
変わらぬペースで
本日は昨日と同じような時間の使い方になった
午前中はリラックス
午後からカフェに出掛け、その空間をほとんど一人占めにしながら集中できた
何回目か分からないが、お店の人が、ご機嫌いかがですか?などと訊いていた
そして、いつものものを持ってきてくれた
初めてのことである
木々の緑はひと月も経たないうちに豊かになっている
町中の緑も益々深さを増している
生命が滴り落ちる素晴らしい季節になってきた
2017.4.6
大統領選関連
マクロンの番組があったので貼り付けておきたい
失業、教育、難民、EUなどが論じられていた
フランスの現状がよく分からないので評価のしようがない
それと、話が細かくテクニカルになりがちなので分かり難いところがある
この点では、ガッツに訴えかけるル・ペンの方が上になるのだろうか
それが実態を反映しているのかどうかは分からないのだが、、
ただ、マクロンからはEUを護り、変えていきたいという熱意は伝わってきた
難民に関しても、出身国も含め、ヨーロッパ諸国と協議しながら解決したいと考えているようだ
難問から逃げるのではなく、それを引き受け、頭を絞ろうとしている
ヨーロッパの大国としての責任のようなものを感じさせた
それが実現できるのかどうか、これから注視すべきところが見えてきたのは幸いであった
昨日観たミシェル・オンフレ氏によれば、教養のないやつはマクロンに騙されるとのこと
記憶に間違いがなければ、の話だが、、、
2017年4月28日金曜日
よく摘み取った一日
春を迎え、午前中はぼんやりするのが日課のようになっているが、今日も例外ではなかった
いくつか浮かんできたものがあり、控える
それが一段落してから南のカフェへ
バスとトラムの中で今道・自然哲学を読み終える
これからの移動の友はフッサールの『デカルト的省察』になるのだろうか
カフェでは、丁度ジョゼフ・ド・メーストルの選集が届いたところだったので、少しだけ目を通す
それからプロジェに入った
食事時は落ち着かないが、それ以外は気分が落ち着く場所で、今日もよい感じであった
エピキュリアンとしては、今日も一日をよく摘み取ったか?と問い掛けるが、ウィになるだろうか
大統領選関連
ル・ペンのニースにおける演説会を貼り付けておきたい
マクロンの方は、まだやっていないようだ
2017年4月27日木曜日
新しく始める者として
今朝の空は快晴ではないもののまずまずであった
しかし、気分がよろしくない
以前から聞こえてくる言い争いの声が朝から聞こえてきたからである
気にしなければよいのだろうが、そうできないほどの激しさなのである
どうもお隣さんのようだ
勝手な想像だが、定年後のご家族ではないだろうか
今朝は物が飛び交う音まで聞こえた
総合すると、一日中争っていることになる
彼らにとっては呼吸するようなものなのだろうか
ぼんやりしている時に目に入ったフッサールの『デカルト的省察』を読み始める
この哲学者を愛するために生まれてきたとフランスの哲学者からご宣託を受けたのは11年前
「イメージ、時間、現象学」(2006年4月28日)
丁度良い機会だと思ったようだ
以下にメモしておきたい
-------------------------------
デカルトは素朴な客観主義から超越論的な主観主義へと根本的な転換を行った
前世紀半ばから哲学の衰退は紛れもない
今日の哲学は統一性を持つ生き生きとした哲学ではなく、広がり関連がなくなった哲学文献の山だ
真剣に共にする哲学、互いのための哲学ではなく、見せかけの報告と批判の応酬でしかない
現代哲学の絶望的状況は、デカルトが根本から始めた省察の持つ活気を失ったためではないか
-------------------------------
アラン・バディウ氏が言っているように、哲学者は新らたに始める
そのエネルギーが失われていると20世紀初頭にフッサールは感じていたということなのか
大統領選関連
すべてで明確に対立しているように見える二候補の政策
開かれ、ヨーロッパを重視するマクロンに対して、賢い保護主義とフランス第一を掲げるル・ペン
マクロンの政策はその辺にある言葉で語られ、霧に包まれているのがこれまでは幸いしていた
決選投票までは一対一の討論になるので、その中身のなさが明らかになるだろう
そこで、意見を変える人がいるのではないか、と強気である
討論としてはこれからの方が面白くなりそうである
マクロンが商工会議所を訪問中の町の工場を訪れて、激しいマクロン批判を繰り返したという
マクロンは寡頭支配の仲間で、経済の破壊者であるジャック・アタリの側の人間である
自分はその対極にあり、フランス国民の側にいる人間だと訴えたいようである
今の世界的な流れに従うのか、それに抗して闘うのかという選択になりそうだ
ル・ペンの後にマクロンも同じ場所を訪問したが、手荒い歓迎を受けたようだ
解決策はグローバリゼーションを止め、国境を閉じることではないと反論したとのこと
2017年4月26日水曜日
反啓蒙主義とはどういう思想なのか?
本日は朝の内は曇っていたが、午後から雨が降り出した
予報が雨だったので、朝のうちに買い物に出た
この町に来た当初は遠い道のりに見えたが、慣れてくると軽い散歩という感じに変わっている
プロジェについてメールで打ち合わせをする
あくまでもamateurというのが主義になっているので、専門家として文章を書くことに抵抗が出ている
それをどこまでできるのかを見るのもこれからのテーマになりそうである
先日のプレスで、Philmag増刊号が反啓蒙主義を取り上げているのを見た
理性を重んじ、進歩や普遍性を謳い上げた啓蒙主義がこれまで世界を引っ張ってきた
しかし、ここに来てそれに抗する政治勢力が力を増している
それはおかしいでしょ、と反射的に言うだけでは何も理解できず、問題解決にも至らないだろう
啓蒙主義とは何であり、理性を働かすとはどういうことなのかについて考えたことはあるだろうか
その上で、それを体で理解したと言えるだろうか
自らを振り返れば答えは甚だ怪しく、そこに意識が向かうようになったのはこちらに来てからである
そもそもわれわれが理性などということを日常で考えることはあるのだろうか
これは全くの想像にしか過ぎないが、こちらもかなり怪しい
われわれはかなり意識的にこれらを勉強しなければ身に付かない状況にあるのではないだろうか
その上で、ニーチェが思想のもう一つの頂とまで言った反啓蒙主義がある
その歴史はエドマンド・バーク、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー、ジョゼフ・ド・メーストルらに始まる
ド・メーストルは、「フランス人、イタリア人、ロシア人は見たが、人間は見たことがない」と言っている
ヘルダーも次のように言っている
「如何なる国、人民、国の歴史も同じではない。したがって、真善美も同じではない」
そこに浪漫主義やドイツ観念論も絡んでくるようだ
このような人間の状況で、根を断ち切り、普遍性を求めるという営みは成功するのか
悪夢の内に終わるのではないか
そういう問い掛けが出てきてもおかしくはない
この思想についてもしっかり見ておかなければ、現在の状況は理解できないだろう
今日のところは、そのような認識が生まれてきたということで終えざるを得ない
2017年4月25日火曜日
新鮮な週の初め、静かに読む
今日も素晴らしい朝であった
明日から雨との予報もあるので、旧市街に出ることにした
その道すがら出会ったこの雲に驚き、写真に収めた
今日は久し振りのカフェで数時間、これからのことを考える
デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)が働いていたのではないだろうか
好きな時間の一つである
バスを待つ間だけ読んできた今道友信氏の『自然哲学序説』が終りに差し掛かっている
physicaから入って、そこには収まりきらない真理を探究するmetaphysicaに進むという営みである
わたしが今やっていることと本質的には同じことである
全体の印象は、非常に丁寧に書かれてあるということ
ただ、科学の部分が大づかみで、メタの部分がやや文学的に過ぎるような印象を持った
それは読んでいる方が科学出身だからだろう
適宜、参考文献の説明が添えられていて、門外漢にとっては親切な著者との感触を得た
帰ってから、届いたばかりのアメリカ人哲学者の本を読み始める
こちらは所謂哲学書というより、一般向けの本になるのだろう
哲学者が考えてきたことを説得しようとしている本で読みやすい
どういう主張が展開されるのか、まだ分からない
しかし、ものの見方、考え方に関わるところに行き着くのではないかという予想をしている
このところ、読むべきものが増えている
考えを纏めるという作業も待っていて、退屈しない
2017年4月24日月曜日
一つのプロジェが一段落
本日も見事な快晴
涼しげな風が吹いていた
静かに翻訳の仕事に向き合い、ファーストバージョンを終えることができた
今回は4か月の仕事だった
これからゲラでの校正が2-3サイクルあるはずである
ただ、最初のものの校正作業がまだ始まっていないので、そちらが先になるだろう
いずれにしても、翻訳という仕事、相当の時間とエネルギーを消費することが分かった
そちらが一段落したので、これから帰国時に行う6月の会の準備を少しずつ始めることにしたい
今回は新たに二つの会が増えたので、どうなるのか予想もできない
試みとして経過をよく観察しておきたい
大統領選関連
事前の予想通り、マクロンとル・ペンが決選投票に進むことになった
この二人になると、マクロンに投票するように訴える人が増えそうである
フィヨンもアモンもそうすると語っている
メランションはいずれの主張にも欠けているものがあると言っている
マクロンが有利であるというのは事前の予想でもある
EUは堅持しながら、EUとフランスを新しくして行こうということだろうか
メルケルからも応援のコメントが来ていた
いずれにせよ、マクロン陣営の集会にはすでに選挙に勝ったような熱気があった
今回、左派がすべて敗れたことは、世界の潮流がこれからも続くということなのか
何かが欠けているのだろうが、それが何なのか掴めていないのではないだろうか
討論番組に出ていたアモン支持者は、敗北の原因について訊かれても答えようとしなかった
先が思いやられる状況に見える
それは日本でも同じ状況なのだろうか
今回初めて選挙の経過を追ったが、何かを得ることができたのだろうか
フランス政治の大枠が分かり、少し視界が晴れてきた感じはする
しかし、それ以上のものはない
結果が分かった後の各候補の演説を貼り付けておきたい
2017年4月22日土曜日
目覚めの時が豊穣の時?
パリの学生時代には寝始める時と目覚める時にアイディアが浮かぶことが多かった
寝る前のものは、起きてからメモしましょうなどと思っていると、考えが浮かんだことさえ忘れている
目覚めた時のものも、他のことをやってからなどと思っているとどこかに消えていくことが分かった
そのため、その時点で纏めるようにしていた
トゥールでは、寝る前には殆ど浮かばなくなったが、暫くして目覚める時に浮かぶようになってきた
今朝もこれまであやふやな状態のままだったものが、明確な形となって現れた
夢が決断を促すとでも言えばよいのだろうか
早速、纏めると同時に行動に移すことにした
このような偶然を期待しないで待つというのが生活の基本になって久しい
そういう不確実なものを頼りに生きていることになる
しかし、それこそ生の本質になるのではないだろうか
大統領選関連
明日が第1回目の投票日である
これまでの世論調査がどれだけ正確なのか、実際の投票行動を予想できるものなのか
そして、最後の1日がどれだけの影響を及ぼすのか
まだ決めていない人が少なくないとの報道もある
今の世界的な流れとは違う方向性を示す候補が選ばれる可能性も皆無ではない
もしそういうことになれば、これからの世界はどう動くのだろうか
そこに注目したい
受け入れる力がついてきた?
今朝、アパルトマンの周りの芝を刈るローンモーワー(tondeuse à gazon)の音が聞こえる
パリでも同じ音を聞いたが、五月蠅いので扉を閉めるようにしていた
それがこの町ではどうだろうか
扉を開けてその音を聞きながら、どうしようもないほどの快晴の空を眺めていた
なぜかわからないが、騒音を受け入れることができるようになっている
変われば変わるものである
午後からポストに届いた荷物を取りに行く
書類が不足しているとのことで再度出掛ける
しかし、二度目は必要なかったとのこと
ややいい加減なところがあるポストだが、こちらも受け入れる余裕が生まれている
ただ、この能力が身に付くのは少々遅すぎないだろうか
夜が本当に長くなってきた
大統領選関連
昨日行われた最後の討論会を貼り付けておきたい
11名の候補者が一人ずつ15分で主張を訴えるというスタイル
15分というと少ないようだが、かなりの話ができる時間であることが分かる
順番は以下のようになっていた
ジャン・リュック・メランション(65): 欧州議会議員、元職業教育大臣、左翼党共同党首
マリーヌ・ル・ペン(48): 欧州議会議員、国民戦線党首
フランソワ・アスリノー(59): 元財務省監査官、共和国人民連合
ブノワ・アモン(49): 元国民教育大臣、社会党
ニコラ・デュポン=エニャン(56): エソンヌ県イェール市長、立ち上がれ!共和国党首
フィリップ・プトー(50): 反資本主義新党
エマニュエル・マクロン(39): 元経済・産業・デジタル大臣、アン・マルシェ!党首
ジャック・シュミナード(75): 連帯と進歩創始者
ジャン・ラサール(61): ピレネー・アトランティック県ルルディオ・イシェール市長
フランソワ・フィヨン(63): 元首相、共和党
最後に、番組中に起こったシャンゼリゼでのテロについて、各候補が考えを表明して終わった
今日の世論調査の結果は以前と余り変わらないようだ
この数字が実際の投票にどれだけ反映されるのだろうか
マクロン 23%
ル・ペン 23%
メランション 19.5%
フィヨン 19%
アモン 8%
いずれにしても、10年目にして初めて大統領選挙を見ることになるので興味が湧く
振り返れば、こちらに来た2007年と2012年の2回の選挙が行われていたことになる
しかし、どこ吹く風で過ごしていた
あの状態が懐かしい
2017年4月21日金曜日
綿毛が激しく舞う
本日も坦々と過ごす
午前中に翻訳の見直しをやり、午後から昨日のカフェに出かけて第二のプロジェのために読む
つい最近まで樹一杯に咲き誇っていた花が見られなくなっている
その代わり、緑が滴るような色に変わっている
タンポポなどの綿毛が激しく舞っていた
あっけないものである
そして、なぜか鼻水が止まらなくなっている
嫌な予感がしてきた
この世に天国はないことは知ってはいるのだが、、
大統領選関連
ハリスによる今夜の調査結果
マクロン 24.5%
ル・ペン 21%
フィヨン 20%
メランション 19%
昨日は二位と三位の間に差があったが、今日は一位と二位の間に差ができている
ここに来てル・ペンが落ちてきたようだ
マクロンは最後まで行きそうだが、もう一人は分らないという状況に入ったきたようである
今夜は第1回投票前の最後の討論会が行われているはずである
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