2018年3月25日日曜日

ハイデッガーの『存在と時間』2



昨夜、ハイデッガー関連のビデオを観た
その中からナチスとの繋がりに関係する発言を少しだけ

バディウさんのコメント
「彼がナチスであることは何の疑いもない。当時の知識人も含めた多くのドイツ人が支持していた。それは事実だ。ただ、恰も探偵小説を読むように、ナチスの証拠を探すように彼の作品を読むことは、どうだろうか。それは哲学の本当の味わい方ではないのではないか」
リチャード・ローティさんも同じ観察をした後で、こう付け加えている
「彼はナチスのやったことを知っていたはずだが、そのようなこと関して何も発言していないのはどうだろうか。・・・どうしようもない人間が素晴らしい作品を書くことがあるが、ハイデッガーはその好例だろう」
ハイデッガーの弟子ハンス・ゲオルク・ガダマーさんは、当時の驚きをこう語っている
「その事実を知った時、わたしだけではなく周りも言葉を失った。どうしてそんなことがあり得るのか。どうして彼がこのような過ちを犯し得たのか、と問わなければならない。そして、彼は気が狂ったのだと我々は考えた」

では、『存在と時間』の続きを始めたい

本書が扱っているのは、存在の問題である
生物や物理的世界というような特定の存在ではなく、存在そのものについての学問だ
抽象的で、普遍的で、最も根源的な哲学の領域
2,500年前にアリストテレスが「第一哲学」と呼び、後に形而上学と呼ばれたものである
我々はその答えを持っていないし、その問いに困惑を感じることもない
ハイデッガーがやろうとしたことは、存在についての困惑を呼び戻すことであった
ライプニッツの「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」という問い関するものでもある

まず、我々自身が解析されるべきものとしてあると告げる
つまり、この問いはわたし自身のものとなるのである
人間存在は何から成るのか?
それは時間によって規定される人間の実存(Existenz)である
個人的、文化的な過去を持ち、現在から未来にある一連の可能性へ歩み出す存在である
この存在はわたしに無関係ではあり得ず、自らに問いかける、開かれた存在である
これが彼の言うEigentlichkeit(オーセンティシティ、本来あるべき性質)の本体である
ここで、自分自身としてあるのか、そうしないのかという重要な選択が出てくる

哲学は、例えば、世界は存在するのかというような現実離れした推論をすることではない
そうではなく、我々の日常にある人間を記述することから始まるのだ
その日常性の中から一般的な構造を引き出そうとするのが哲学である
しかし、我々に最も近く、当たり前のことを記述することは極めて難しい

(つづく)





2018年3月24日土曜日

ハイデッガーの『存在と時間』1



本日は曇り後雨で暗い一日
週末が近づくと、目覚めが微睡に変わるようだ

昨日のハイデッガーについての記事の印象をここで簡単にまとめておきたい
ハイデッガーとナチスとの関連については、広く論じられていると思う
以前のブログでも結構取り上げている
ハイデッガーの二つの顔 (I)(2006-07-09)
ハイデッガーの二つの顔 (II)(2006-07-10)
ハイデッガーの二つの顔 (III)(2006-07-11)

ハイデッガーさんの 「科学は考えない」 を考える (2012-01-11)
ハイデッガーの 『黒のノート』(2014-02-11)
1931年から41年にかけて書かれた『黒ノート』が4年ほど前に出版された
そのことに関する当時の記事が二つあった

特に発見はなかったが、最近取り上げた認識により、その意味がより明確になってきた
その認識とは、啓蒙主義が唱える普遍主義と地に根ざした考えとの対立である
ハイデッガーは1933年にナチスに入党し、大戦終了まで党に留まった
彼はユダヤ人が西欧世界を動かしているのではないかという強い懐疑を抱いていた
その普遍主義により、自分の民族の血が犠牲になるのではないかという恐れである
それを救うのがナチスではないかとの期待を抱いていた可能性がある

普遍主義には自由主義や民主主義や共産主義が内在している
ハイデッガーには共同体や伝統を破壊し、帝国主義的にもなり得るこの思想への嫌悪があった
それはロシアやアングロ・サクソン文化への嫌悪にも繋がった
そこで行われる思考の凡庸さ、味気無さに耐えられなかったようである
私流に言えば、第三層の思考が行われない世界と言えるかもしれない

反ユダヤ思想の持ち主の哲学から学ぶべきものはあるのか、という問いがある
これまで読んできたものの中には、全否定する人もいた
その一方で、反ユダヤ主義的ではない部分からは学ぶべきところがあるとする人もいる


ここで、サイモン・クリッチリー教授の『存在と時間』についての考察を読んでみたい
1927年に発表されたハイデッガーの主著である
アングロ・サクソンの分析哲学者とは違い、大陸のこの哲学者の影響は甚大であった
哲学の外でも、建築、芸術、社会政治理論、精神医学、心理療法、神学などに及んだ
そこで目指しているのは、哲学の伝統の破壊であると宣言している
伝統的権威を受け入れるのではなく、世界の生きた経験の根本にまで掘り下げようとした
そのために、新しい言葉を造った

人間は、Dasein(現存在)と呼ばれる
英語では、being-there、「そこに存在しているもの」となる
孤立しているのではなく、他の存在とともに世界の中にいる存在である
その上で、「存在は時間である」となる
人間は生と死の間の存在、あるいは死に向かう存在という意味である

真の(authentic)人間とは、そのことを常に意識している人間のことである
生の有限性を理解して、その存在であるところのものになろうとする人間のことである
ハイデッガーの場合、生の有限性(死)の問題を神との関係では考えない

(つづく)





2018年3月23日金曜日

ハイデッガーが突然現れる



これから外で仕事を、と思った時メールが入る
宣伝だったが、ホーキング博士の追悼記事が目に入った
ここ10年ほど身近で博士をフォローしてきた方のようだったので読んでみた

博士の場合、病気で体が不自由になっていたが、精神の活動には衰えがなかった
それが外に現れるまでには、かなりの時間がかかったようではあるが、
その経験から生きることや考えることの意味を考えたようだ

連想したのは最近のエッセイのテーマ、プラトンが考えた肉体と精神との関連であった
プラトンに倣えば、肉体の影響が消えた方がさらに深い精神状態に入ることができる
博士もそうであったかもしれない
我々の体も同じよう衰えるが、それが精神の深さに結びつくとは限らない
そのように意識して努めなければ難しいだろう


それを読み終わった時、下の方にハイデッガーの名前があるではないか
ナチスとの関連の他、『存在と時間』についての8回連載の記事が紹介されている
まだ手に触れていない本なので、内容に興味を持って読み始めると夕方になっていた
こういう回り道はこちらに来てから進んでやっているが、大きな発見に繋がることがある

書いているのはマンハッタンにあるニュー・スクールのサイモン・クリッチリー教授
その内容を自らの歩みに重ねて読むと、この生の捉え方が極めて近いことが分かる
全く違和感がない

日本にいる時にフランスの哲学教師から届いた仏版ブログへのコメントを思い出す
それはご宣託と言ってもよいもので、次のようなものだった
「あなたはフッサールやハイデッガーを愛するために生まれてきたのです」
これまで確かめることはできなかったが、その切っ掛けを掴めたような気分である
フランスの哲学の先生がわたしの書くものの中に同質のものを見出したのだろうか
そうだとすれば、専門家の目は恐ろしい

明日以降、今日の印象をまとめておくことにしたい




2018年3月22日木曜日

驚きの出会い



今日は一日快晴であった
ただ、寒さは変わらない
日本のニュースを見ると、関東に雪とのことで同期している?
本日は朝から旧市街に出かけたが、まだそれなりにできているようだ
冬眠から覚めたのだろうか

帰りのバスでは、何年か前のモンペリエの学会でお会いした方とばったり
ここの大学の哲学科長として2年前に来られたとのこと
わたしの所属は医学部なので気付かなかった
これからディスカッションする機会を持つことになった
この小さな町でも驚きが時に顔を出す

本当に何が起こるかわからない






2018年3月21日水曜日

調子が出てきたのか



午前中は気持ちの良い快晴
午後から少し雲が出てきたが、明るい一日だった

午後から外に出てプロジェに当たる
3時間ほど集中できた
このところ、と言っても昨日からだが、調子が良いようだ
春で目覚めたせいだろうか

昨日も問題にしたが、この寒さの影響もあるのだろうか
出かける時のバス停で、お年寄りが話しかけてきた
「いやぁー、寒いですねー。昨日なんか、冬でしたよ」というような調子で

小学生が授業で植物園内を走っているのが見えた
良い景色であった




2018年3月20日火曜日

寒い春の一日



朝から旧市街に出て、プロジェに当たる
久し振りに4時間ほど集中できた
週の初めということもあったのだろう
しかしそれ以上に、このところの天候が嘘のような寒さが影響していたのではないか





2018年3月16日金曜日

第13回サイファイ・カフェSHEのご案内



第13回サイファイ・カフェSHEのご案内

ポスター
サイト 

2018年6月15日(金) 18:30~20:30

『テアイテトス』に見るプラトンが考えた科学 

西欧哲学の重要なテーマの殆どは、プラトンによって考えられているという認識があります。特に意識してはいなかったのですが、昨年のカフェフィロPAWLではプラトンを続けて取り上げました。想像以上に興味深い議論ができたと思っております。これからは多少とも意識してプラトンを読んで行きたいと考えています。今回は、『テアイテトス』を読みながら、プラトンが考えた科学あるいは知識の基盤を考える予定です。本は、岩波文庫、ちくま学芸文庫などで手に入ります。いつものように講師のプリズムから見えたところを概説した後、議論を展開していただきます。

東京都渋谷区恵比寿4丁目4―6―1  
恵比寿MFビル地下1F

 このテーマに興味をお持ちの皆様の参加をお待ちしております。






2018年3月15日木曜日

第7回カフェフィロPAWLのご案内



第7回カフェフィロPAWLのご案内


2018年6月8日(金)18:30-20:30

トルストイの『人生論』から生き方を考える
今回はロシアの文豪トルストイの『人生論』を手掛かりに、我々の生き方を考えます。本は岩波文庫、新潮文庫、角川文庫などで手に入ります。そのタイトルは『生命論』と訳してもよい内容を含んでおり、本来は生命を扱うべきだとトルストイは考えている科学に対する批判、そして科学の成果から考えられるあるべき生き方が問題にされています。このテーマはまさに PAWL の対象としているものと重なるものです。いつものように最初に講師が問題点を提示した後で、自由に議論を展開していただければ幸いです。

東京都渋谷区恵比寿4-6-1 恵比寿MFビルB1


興味をお持ちの方の参加をお待ちしております
 






2018年3月14日水曜日

第3回ベルクソン・カフェのご案内



第3回ベルクソン・カフェのご案内
サイト
  
  <2回シリーズ>


① 2018年6月9日(土) 16:00~19:00 
② 2018年6月16日(土) 16:00~19:00 

1回だけの参加でも問題ありません


テクスト
 
Pierre Hadot
« Apprendre à dialoguer »
「対話することを学ぶ」 

Exercices spirituels et philosophie antique, pp. 38-47
(Albin Michel, 2002)

参加者にはテクストを予めお送りいたします

会 場

恵比寿カルフールB会議室
 東京都渋谷区恵比寿4-6-1 恵比寿MFビルB1




日本語で議論しますので、フランス語の知識は必須ではありません
このテーマに興味をお持ちの方の参加をお待ちしております






第5回サイファイ・カフェSHE札幌のご案内


 


第5回サイファイ・カフェSHE札幌のご案内 

サイト


テーマ: 最小の認識能をどこに見るのか

今回は、認識を構成する最小要素は何なのかというミニマル・コグニションの問題を取り上げます。これは最初の認識能が進化のどのレベルで現れるのかという問題でもあります。この問いに対して、研究者や哲学者はいろいろな基準を出していますが、どの基準を採用すべきなのかというコンセンサスがないように見えます。認識能とその進化をどのように考えるべきなのかについて講師が概説した後、参加された皆様に議論を展開していただき、懇親会においても継続されることを願っております。

日時: 2018年6月2日(土) 16:00~18:00

会場: 札幌カフェ 5Fスペース

札幌市北区北8条西5丁目2-3


会の終了後、懇親会を予定しております
このテーマに興味をお持ちの方の参加をお待ちしております







2018年3月13日火曜日

パリ行きはディヴェルティスマン



今日は用事があり、パリに出た
用事が終わり外に出ると、雨
少し濡れたが、駅に着く頃には上がっていた
構内に避難したのだろうか、姦しい小鳥の鳴き声が嬉しい
このところのパリ行きは、ちょっとしたディヴェルティスマンになっている





2018年3月11日日曜日

少しだけほっとする



昨日はFEDEXが何種類かの箱(emballage)を持って来てくれた
ぴったり収まるものがあり、ひとまずはほっとした
これから最後ゲラの校正が待っているが、、

今日は気持ちの良い天候だったので、お昼から外に出た
もう夏のような格好の人も出ていた
こちらはまだ本調子ではない

アパルトマンに戻ると、向かいはラグビーの試合で大歓声が聞こえた
新しい季節に入ったようだ




2018年3月9日金曜日

肉体を信用しない



先日、エッセイの登場人物のリスト作りをしたことについては触れた
晴れている時にスタートしたので、外気を入れながら作業していた
しかしその後雨になり、冷たい風が吹き込んでいたが気にしないで4時間ほど続けた

そして翌日、鼻水が止まらなくなった
もの・ことには必ず原因がある
暫くはその理由が分からなかったが、午後になり前日の作業のことを思い出したのだ
あの程度で鼻水とだるい状態がまだ続いているとは、、

精神と肉体は繋がっている
しかし、それは別物である
精神で肉体をコントロールできないこともある
そろそろお歳を考えた方がよいのでは、、
それは、肉体を信用しないということである





校正ゲラ、送ることできず



朝明るくなるのが早くなってきた
少し前までは8時でも暗かったのが、7時になるともう明るくなっている
今日は朝から晴れてくれ、たっぷり朝の時間を味わった

昨日、翻訳ゲラの突き合わせを終え、今日、出版社に送る予定だった
FEDEXに頼んだのだが、発送用の袋を持ってきていなかった
電話での対応が怪しかったので、何度も確かめたのだが、、予想が的中した
アメリカ製のものはまだ十分に普及していないような印象がある
ヤマトなど日本の運送業者に比べると、その質は大きく見劣りする

明日はちゃんとしてやって来るだろうか





2018年3月7日水曜日

エッセイの登場人物をまとめる

    2009.4.21 @Cracovie


今日は雨が降ったり、晴れたりと変化があった
以前に途中までになっていたエッセイに登場した人物のリストを作ってみた
最初に人数を見た時には驚いたが、当初の予想よりは少ないものであった
それでも66回で626人
5回以上登場した人が32人(一つのエッセイに何度登場しても1回と数えた)
上から見ると、次のような人がいる

アリストテレス(22)
デカルト(18)
プラトン(12)
ダーウィン(12)
ソクラテス(11)
モンテーニュ(11)
ベルクソン(10)
ヘーゲル(9)
ニーチェ(9)
ハイデッガー(9)
パスカル(8)
アインシュタイン(8)

7回
エピクロス
ジョルジュ・カンギレム
オーギュスト・コント
フーコー
メチニコフ
マルセル・コンシュ

6回
スピノザ
ライプニッツ
ピエール・アドー
ラマルク
パウル・エールリヒ
クロード・ベルナール
エドガール・モラン

5回
ルソー
カント
ゲーテ
ショーペンハウアー
ペーター・スローターダイク
ニュートン
ジム・ワトソン


アリストテレスがこれほど多く登場していたとは知らなかった
それ以外の顔ぶれには、それほどの驚きはない
枕詞のように使っている人もいるので、中身に触れるのはこれからだろう





2018年3月6日火曜日

危険な夢

   クラクフ中央広場(2009.4.14)


午前中は雨
午後は明るくなったので、久しぶりに外に出ることに
比較的よい時間となった
移動の途中、緑が全く見えない樹から五月蠅いくらいの小鳥のさえずりが聞こえた
それを聴いている方は、なぜか嬉しそうに歌っているように感じた
春である


ところで、
上の方から大小のボールのようなものが次々に落ちてくる
これは絶対に避けなければ危ないというものが見えた時、頭を思いっきり左にやる
その瞬間、ものすごい音が聞こえてゆっくりと現実に戻る
固い壁に激突していたのだ
一瞬、頭蓋骨骨折でもしているのではないかと思ったくらいの痛みを感じた
それだけではなく、右手親指にも激痛が走る
見ると、爪が内出血していた
相当の圧力が加わったのだろう
壁と頭の間に挟まったのではないかと推測した

こういう起こり得ないようなことが起こるのである
人生、本当に何でもありだ
何が起こるかわからない




2018年3月5日月曜日

ゲラの突き合せを再開

  ヤギェウォ大学のコペルニクス(2009.4.21@クラクフ) 


昨日、今日と天候は優れなかった
今日はほとんど雨
しばらく休んでいたゲラの突き合せをやる
どこまで行っても限がないような感じもする
今週、残りの数章分が届くことになっている
それも併せて今週中には終えたいところである
ただ、これで最後ではない
今回のものをまとめたものを最終ゲラとするようだ
何度も書いているが、大変なエネルギーを要する仕事である




2018年3月2日金曜日

「あの人に会いたい」を観る

    クラクフのカフェ(2009.4.16)


昨日は午後には雪が解けてくれた
なぜかゆったりした気分でネットに行く
「あの人に会いたい」の石橋湛山が出てきたので、そのまま流していた
金子光晴、忌野清志郎、平山郁夫、陳舜臣、竹内均、手塚治虫、舛田幸三、高木仁三郎、加藤和彦、野上彌生子、山内溥、大野一雄、古今亭志ん生、古今亭志ん朝、なだいなだ、柏戸、山田風太郎、熊谷守一、平尾昌晃、三浦綾子、尾上松緑、・・・
流れるままに観る
困ったことに全く飽きない
ちょっとした発見がどこにでも転がっているからだろう

こういうシリーズを見ていると、人の一生など何とあっけないものかを痛感する
100歳の人生を眺めてもその感慨は変わらない
以前は100年というのは相当の長さだと思っていた節があるのだが、、
ここに来ての大きな変化と言えそうだ










2018年3月1日木曜日

想定外の可能性



今朝は雪は止んでいたが、予想通り一面白くなっていた

昨日、想像もしていなかったようなことを訊かれた
どこかに書いているような気もするが、このような経験をこれまで何度かしている
それはすべて外国で起こっている

おそらく最初に気付いたのはアメリカにいた時である
いくつかの大学にインタビューに行ったことがある
ファカルティの人と会うようになっていたが、その中のある人がこう訊いてきた
どこのお生まれですか?
それはアメリカのどの町ですかという意味だったのである
日本から来ていることを知って驚いたからである
この時、この私は全く想像もしないような人間として見られていることに気付いたのだ

内から見ると、それは決まりきったもの
しかし、その同じものは外から見ると何でもありということである
外から見ているだけでは人は分からない
しかし、内からだってよく分かっていない
自分を勝手に規定している、その幅を自ら狭めていることに気付く瞬間があるからだ

こちらの大学に入る数年前にフランスに来た時、1週間だけ語学学校に通ったことがある
その中には先生と一対一のクラスも含まれていた
ある時その先生が、フランスに来たのはこちらで職を探すためですかと訊いてきたのだ
なぜそう感じたのかまでは訊き返せなかったが、これには驚いた
その時もやはり、自分であり得ないと決めてかかっていることがあることに気付いた

同じようなことがこちらに来る1年前にも起こった
客員のような形で受け入れてくれる先生を探すためにパリに行った時のことである
一人だけ会うことができた老教授がいた
文系の先生はオフィスにいないと分かったのはその時である
会話の中でその先生が、あなたは学生になりたいのですかと訊いてきたのだ
今更そんなことはあり得ないと思っていたので、驚いたのである
学生を相手にしている専門家が言うのである
その想定外の質問は、あり得ないことなどないという声にも聞こえた
考えてもいなかったようなところから光が差してきたという感覚でもあった
自分が驚くような道の先には何があるのかという好奇心がくすぐられたのだろう
それが今に繋がっているような気もしてくる雪の朝である






トゥールに戻ると雪



今日は午後から用事がありパリへ
快晴で気持ちが良い
用事は何もなければ年に一度のもの
1時間半ほど話していた

その中で対応してくれた人が何を思ったのか、フランス国籍ですかと訊いてきた
このフランス語で?と返そうとしたが、関係がないことに気付き、思いとどまった
余りにも一生懸命に働いているようなので、こう言ってみた
仕事は人間によくないですよ
これは非常に受けたようである
マニュアル対応ではないので、人間がそのまま出てきて実に興味深い

帰りはゆっくりした電車だったので、よい読みができた
トゥールは雪
明日は積もりそうな勢いであった
春はもう少し先だろうか
クリスマスソングがしっくりくる夜である