2018年1月16日火曜日

晴れの日の次は雨、そして哲学者を読む



昨日は朝から気持ちの良い晴れとなってくれた
そのため、予定したことをやる気にならず、陽の光に身を任せていた
久し振りのことである
今日は打って変わって曇り時々雨だったが、午後からの雨は結構激しかった

夜、コンシュ・形而上学の第2章「哲学者」を読む

わたしは哲学的問いに向き合ってきた
他のことには心からの興味を感じなかったからだ
かりそめの恋もわたしの道をそらすことはできなかった

哲学における一つの重大な真理はコギトであると考え、デカルトについて書いた
この見方をフッサールを読んで確信した
その中には1947年に出た『デカルト的省察』(エマニュエル・ルヴィナス訳)があった
「すべての根源的哲学が基盤を置くべき究極の、論理必然的に確実な領域である『エゴ・コギト(われ思う)』への回帰」
この必要性の肯定がわたしの心を捉えた
すべての若い哲学者と同様、わたしも「根源的な」哲学だけを欲していた
それは「論理必然的で、それ自体として根本的な証拠」に基づいていなければならない
「われ思う、故にわれ在り」のものに過ぎないことは言うまでもない
フッサールは「われわれが自分自身で見ない」ものについて語るべきではないとも言った
神は見えなかったが因果律による推論で結論されたので、デカルトに従う必要はなかった
彼が神について語る時には





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