2018年6月10日日曜日

文章の若さ



今回、拙エッセイを読んでいる友人からこんなことを言われ、驚いた

「文章が若い、若作りしているのではないでしょうね」

意識して若い人のように書いているのではないかというのである
勿論、そんなことを意識したことは一度もない
それではどんな理由が考えられるのだろうか

第一に、人間の成熟が未だ不十分で、中身の未熟さがそのまま表れている可能性である
作っているのではなく、天然である可能性だ
これは十分に考えられる

それから、あの文章を書く時に気を付けていることがある
一つは、頭の中にあることをできるだけ正確に再現しようとしていること
もう一つは、各文章間の論理の繋がりに乱れがないように気遣っていることである
これは全くの想像だが、そうすることで無駄のないものになっている可能性がある
純粋なものになっている可能性である

「純なるものは時を超える」

プラトニストとして、そのことは想像できる
ただ、余分なものが削ぎ落された純なるものとはどういうものを言うのか
それを見極めるのは難しい
そして、それがこのケースに当て嵌まるのか否かについては全く分からない








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