2019年10月21日月曜日
哲学と文学の違いとは
田中美知太郎の『人間であること』所収の「哲学の文章について」を読む
プラトンの『パイドロス』を引き、作家と哲学者の違いを紹介している
興味深いことがあるので書き留めておきたい
哲学者は自分の思想を表現するための最善のスタイルを求めなければならない
哲学書は国民文学として広く読まれるようなものでなければならない
デカルト、バークリー、ヒューム、ライプニッツなどがそうであったように
日本では、明治初年から20年代までイギリス、フランスの流れでエッセイ風だった
明治憲法発布以降はドイツの影響で、講義をそのまま文章にしたようなものが中心となった
田中は、表現の選択の幅が狭いと見ている
文学は書かれたものがすべてで、ある意味その人間はどんな人間であってもよい
それに対して哲学は、書いたものについての批判が出ればそれに応え説明しなければならない
つまり、書いたものがすべてではなく、それから先も続くものだという
あるいは、書くということは哲学者にとって次善のものかも知れない
ソクラテスは何も書き残していないのである
プラトンによれば、哲学者は作家よりも深い知(真善美に関する)を持っていなければならない
それがなければ哲学者とは言えない
そのような知を具えた上で語り書く人間が哲学者ということになるのか
「科学と技術」についての文章もあったが、こちらからは余り得ることがなかった
他のものはまだなので、何か出てくれば書くことがあるかも知れない
2019年10月19日土曜日
雨の札幌での語らい
本日は旭川時代にお世話になった片桐、西川、長谷川先生との会食が札幌であった
わたしがやっているサイファイ・カフェSHE札幌にはほぼ毎回参加していただいている
都合が付かなかった西川先生を除いてということになるが、次回はどうなるだろうか
そのカフェが今秋なくなったこともこのような機会を持つことになった理由かもしれない
いろいろな話題が出たが、特に印象に残ったのは、最近の医学教育の現場の問題だろうか
教育の目的は、有能な医者を育てることで、それ以外ではないという印象であった
そう考えると当然のことになるのか、職業教育の色合いが非常に濃くなっている
カリキュラムの締め付けが厳しくなり、他のことを考える余裕が持てないのではないだろうか
特に医学はそれ以外の要素が重要になる職業ではないかと思うのだが、、
わたしの方は持論の意識の三層構造理論について解説、よく理解されたと思う
しかし、現場の人から見ると現状を変えることは至難の業のようだ
世の中の多くの人が二層止まりでよいと考えているか、三層の存在を意識していない可能性が高い
そもそも現在の方針を出している側も同様の認識しかないと思われることが問題の根の深さだろう
今日は二次会もあり、さらに論を進めることになった
仕事を終えた後の生き方、あるいは論文を書くということについても持論を展開した
時間を忘れる語らいとなった
お忙しいところ、遠くから足を延ばしていただいた皆様に改めて感謝したい
又このような場を持つことができれば幸いである
2019年10月17日木曜日
古代人として生きる
このところ、午前中はゆっくり、ぼんやり、時にシガーの紫煙を眺めながら過ごしている
日の光を浴びてそうしていると、こころからの至福を感じる
わたしが言うところの瞑想の時である
そういう無為の時間を至福と感じることができるようになったことが幸せなのかもしれない
プロジェに当たる時は、「決してこころを強いない」ということが大原則になっている
必要のないストレスをかけないということである
アタラクシアを求めているのだろうか
ぼんやりしていているとその気になってくる時が来るが、その時まで待つのである
所謂仕事をしているとそうはいかない
そこから解放されなければ到達できない境地になるだろう
すでに老境に入っているのだろうか
あるいは、古代人として生きているのだろうか
2019年10月13日日曜日
台風が齎してくれた青春
台風のため予定を変更せざるを得なくなり、週末を東京で過ごす
今日は台風一過の快晴で気持ちよい
午後から街に出て書店に遊ぶ
当たり前ではあるが、目に付く本がフランスにいる時と違うのが楽しみになっている
今日は最初の学生時代以来の名前が目に入り、何冊か手に入れた
亀井勝一郎、三木清、田中美知太郎、T・S・エリオット
この中では亀井勝一郎が一番懐かしいかもしれない
手に取ったのは『青春論』
他の人はこれまでにも目に触れたことがあったが、この人は初めてではなかっただろうか
この手の本は20歳を境に手にしたことがないはずである
台風が齎してくれた贈り物とでも言うべきだろうか
2019年10月11日金曜日
台風前夜の豊かな語らい
本日は順天堂の奥村、垣生、葛西先生との会食があった
普段からあまり勉強していない身にとって、現場からの情報は大いに参考になる
中には自分でも考えてみたいと思わせるものもあり、人と会うことの大切さを痛感した
幅広い交際範囲を誇る奥村先生は情報の宝庫で、今回も思いもかけぬ話を聞くことができた
この世はそう動いているのかと感じることが少なくなかった
現世の只中に生きておられる諸先生からのお話は馴染みがないのでいつも新鮮である
本日は台風前夜の貴重なお時間を割いていただいた
また、小生に対する励ましも含めて感謝に堪えない
これからもいろいろなお話を伺うことができれば幸いである
2019年10月10日木曜日
哲学者ミシェル・セール、あるいは「橋を架ける」ということ
新しいエッセイが雑誌「医学のあゆみ」に掲載されました
エッセイ・シリーズ「パリから見えるこの世界」の第84回
哲学者ミシェル・セール、あるいは「橋を架ける」ということ
医学のあゆみ(201910.12)271 (2): 226-230, 2019
今のところ私の哲学者ではありませんが、その哲学観には共感するところがあります
お目通しいただければ幸いです
2019年10月9日水曜日
東京理科大での講義を終える
このところ例年の行事になっている東京理科大マスターコース「生命倫理」の講義を終えた
いつものように、その時が来るまで準備が終わらず、困ったものである
そうは言うものの、もう諦めていて精神的な乱れは全く感じなくなって久しい
最後に如何なる苦境が待っていようとも、平静に受け止め処することができるようになったからだ
これはどのようなプロジェにも応用でき、今ではわたしにとっての強力な武器になっている
この講義では小テストが義務付けられており、今日発見したことについて書いてもらった
車内でその回答を読みながら帰ってきた
これから研究者や職業人として旅立つ若者なのでわたしの意識とは異なっている
しかし、思考の重要性と思考の異なるやり方には気付いてくれたようで、講義には意味があった
どこに意識を持つのか、どのように「もの・こと」を考えるのかが文化的な質を決めると考えている
殆どの人が向けていると想像される身近な現実を超えて考える精神的な余裕と暇が求められる
まず、そのことに気付くことが重要になるが、その切っ掛けは伝わったように見える
これからの研鑽を期待したい
それはそのままわたし自身に対する言葉でもあるのだが、、
2019年10月7日月曜日
「パリから見えるこの世界」2017 のご紹介
雑誌「医学のあゆみ」に連載中のエッセイ「パリから見えるこの世界」の2017年分をアップしました
それ以前のものもサイファイ研究所ISHEのサイトに掲載されています
お暇の折にでもお目通しいただければ幸いです
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(52) 文化としての科学、あるいは「科学の形而上学化」の実践
医学のあゆみ (2017.1.14) 260 (2): 187-191, 2017
(53) トルストイの生命論、科学批判、人生観、そしてメチニコフ再び
医学のあゆみ (2017.2.11) 260 (6): 550-554, 2017
(54) 植物という存在、あるいは観るということ
医学のあゆみ (2017.3.11) 260 (10): 934-938, 2017
(55) オーガニズム、あるいは「あなたの見方を変えなければなりません」
医学のあゆみ (2017.4.8) 261 (2): 204-208, 2017
(56) 「自己の中の他者」、あるいは自由人葛飾北斎とルネサンスマン平田篤胤
医学のあゆみ (2017.5.13) 261 (7): 778-782, 2017
(57) 現代フランスにおける「生の哲学」、そして哲学すべき状況とは?
医学のあゆみ (2017.6.10) 261 (11): 1123-1127, 2017
(58) 文明と文化、そしてそこから見える科学
医学のあゆみ (2017.7.8) 262 (2): 190-194, 2017
(59) エピクテトスとマルクス・アウレリウス、そして現代に生きるストア哲学
医学のあゆみ (2017.8.19) 262 (7, 8): 750-754, 2017
(60) 瞑想とフランス生活、そしてその効果を想像する
医学のあゆみ (2017.9.9) 262 (11): 1061-1065, 2017
(61) マルセル・コンシュ、あるいは哲学者の生活
医学のあゆみ (2017.10.14) 263(2): 211-215, 2017
(62) 絶対的真理への道、その第一歩はあらゆる生の経験を意識することか
医学のあゆみ (2017.11.11) 263 (6): 551-555, 2017
(63) エルンスト・ヘッケル、あるいは一元論的知、倫理、美の探究
医学のあゆみ (2017.12.9)263 (10): 886-890, 2017
2019年10月6日日曜日
体を動かすための哲学
ラグビー・ワールドカップの日本の戦いを観ていた
そこで驚いたことは、試合中、終始体に異常な力が入り、実際に動くことであった
スポーツ観戦でこんなになることは、最近ではなかったのではないだろうか
昔は世界との壁が厚く、日本は勝てない競技だと思っていた
前回のワールドカップ辺りから状況が変わってきたのだろうか
南アに勝ったことは知っていたが、3勝もしていたとは思わなかった
当時、ヘッド・コーチ、エディー・ジョーンズさんの会見を観たことがある
そこには確かな哲学があり、それが何か新鮮に映ったことを思い出す
体のトレーニングを支える思想、試合に向き合う時の哲学といったものだろうか
体を動かすのは精神だが、論理なき精神では効果が現れない
その過程を支える創造的な論理が必要になる
いまの日本チームにはそれがあるのだろう
そして、実績が自信を生み出しているようにも見える
何をやるにも創造的な哲学が求められる
スポーツにおいても然り
肉体という制約を背負った中、我々は進まなければならないのだろう
もう暫く体が動き出す観戦が続きそうである
2019年10月2日水曜日
「これからの微生物学」シンポジウムのご案内
『これからの微生物学』(拙訳、みすず書房)の著者パスカル・コサール博士が来日されます
この機会に日本パスツール財団と国立国際医療研究センター共催でシンポジウムが開催されます
日時: 2019年11月12日(火)14:00 ~ 17:50
会場: 国立国際医療研究センター 研修棟5階 大会議室
(〒162-8655 東京都新宿区戸山1-21-1)
プログラム
参加は無料ですが、日本パスツール財団への申し込みが必要になります
参加申し込み書
宛先: 一般財団法人 日本パスツール財団 事務局
中村 日出男 / 大谷 恵子
TEL: 03-6228-5361 FAX: 03-6228-5365
E-mail: jimukyoku@pasteur.jp
興味をお持ちの方の参加をお待ちしております
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