2017年2月9日木曜日

大統領選の現況



恒例となってしまった大統領選の現況である
ル・モンドがフィヨン氏の説明に9つの問題があると指摘している

1.ぺネロプさんの雇用を止めたのは、法律で協力者の公表が義務付けられる2か月前だった
  常に透明にしてきたと言ったが、妻の雇用については明らかにされていなかった

2.ぺネロプさんの雇用時期をテレビと会見とネットで変えている

3.ぺネロプさんの仕事の内容が曖昧である
  2007年の英紙とのインタビューでは、彼女の母国語で、助手として働いたことはないこと
  子供はわたしを母親としてしか見ていないこと、自分は「田舎者」であると語っている

4.ぺネロプさんの正確な報酬をぼかしている

5.ぺネロプさんの報酬は正当化されると言ったが、平均より高い理由が説明されていない

6.解約補償金はすでにネットで公表しているとしているが、数字に問題がある

7.ぺネロプさんはまだ自分の仕事を正当化していない

8.フィヨン氏が子供を雇った理由が1月26日のテレビと2月7日の会見で矛盾している
  最初は弁護士としての能力を買ったとしていたが、当時はまだ学生だった
  最初、息子はサルコジの政策に関わっていたとしたが、後にそれを否定している

9.フィヨン氏は2013年の不動産から一部を除いていた
  


最新の世論調査では、ル・ペン氏が相変わらずトップを走っている(faire la course en tête)

ル・ペン   26%
マクロン   23.5%
フィヨン   18%
アモン    15.5%
メランション 13%

昨日フィヨン氏を批判していたバイル氏が出た場合、5%程度獲得すると見られている
その場合、他の候補は0.5%から1.5%下がると予想されている

興味深いのは、決選投票の予想である
もしフィヨンが残った場合、56%対44%でフィヨン
マクロンが残った場合には63%対37%でマクロンの勝利と出ている

選挙までまだ2か月以上ある
どのような流れになるのか、できるだけ追っていきたい





2017年2月8日水曜日

9年という沈黙の時間



バルザシアン3日目
3つのプロジェを並行して進めるという考えだが、すでに疲れが出ている
いつまで続くのだろうか

それとは別に、このところ外の情報を映像で取り入れるという要素が加わっている
10年目にして初めてのことである
それは、9年という長い間、自らの中に留まり、そこで遊んでいたことになる
それは同時に哲学という領域に自らを留めることでもあった
抽象化すれば、沈黙と孤独の中にいたことになる
よくもそんなことをかくも長きに亘ってできたものだと改めて驚かざるを得ない
この時間は大きな影響を与えているはずだが、自分では分からない
残念ながら、10年前の状態を思い出すことができないからだ
こちらに来る前に関連領域の本を取り寄せて読んだことがある
しかし、どこが面白いのかという感じで、全く興味が湧かなかったことだけは覚えている
その点では変わってきたことは分るのだが、、


さて、大統領選である
当初から「ぺネロプゲート」という形容も見られた今回の事件
今日、カナル・アンシェネが新たな疑惑を出したようだ
ぺネロプさんには45000€の解雇補償金(indemnités de licenciement)も支払われていたという
フィヨン氏は地方紙に先日の会見とほぼ同じ内容のフランス国民に向けた手紙を発表した

ル・モンドには、別の議員の元助手の証言が出ている
ぺネロプさんも同議員に雇われていたが、一緒に働いたことはないと改めて確認した
ただ、別の形態で働いていたことを否定するものではないと続く
1月25日のカナル・アンシェネで同じ証言をした元助手は自分であることも確認した
また、2年間の給与が先日発表されたフィヨン氏のサイトにはないとル・モンドは指摘している

民主運動(MoDem)党首のフランソワ・バイル氏もフィヨン氏を新たに攻撃している
最高権力者の候補がこれほど金の影響下にあったことはない
利益とは離れたところにいなければならないはずだ
もう撤退しかないだろう

このような状況だが、以前からぺネロプさん自身がなぜ語らないのか?という疑問が出されていた
今回フィヨン氏を支持している共和党のナタリー・コシュースコ・モリゼさんのコメントが出ていた
彼女はぺネロプさんが直接話をした方がよいと考えている
ただ、ぺネロプさんは二重に苦しめられていると見ている
まず、彼女は控えめな性格なので、激しいメディア攻撃で相当に痛めつけられているのではないか
多くの人が彼女を形容するのに"discrète"という言葉を使っている
第二に、このような政治的な状況に対応する言葉を持っていない可能性がある
やりたいのにできないという苦しみがあるのではないかというのだ

いずれにしても、フィヨン氏にとっては苦しい選挙戦が続きそうである





話は変わって、先日トラムで見つけたものについて触れた

トラムでの発見 (2017.1.31)

改めて注意してみたところ、壊れて外れているものもあるが、確かに付いていた
ただ、前回見たものとは違うものであった
ひょっとすると車両によってすべて違うのかもしれない
さらに注目してみたい






政治と道徳



本日はバルザシアンの2日目という意識で過ごす
仕事の部分は何とかこなすことができた
今のところ、のんびりしている時間が長いのは致し方ないか

午後から用事があり、駅に行く
それはどこかに出発するという用事ではないので、違った意識で歩き回ることができる
売店にハイデッガー特集があったので、駅のカフェで少しだけ読む
何でもない時に、ここで時間を過ごすのも面白い


大統領選を一つのテーマとして見たり聴いたり読んだりするようになっている
外界への反応が少しだけ回復してきたように感じる
それまで全く闇の中だったフランスの政治的状況がぼんやりと見えてくるようだ

今日の新聞記事にフィヨン氏の昨日の会見について、疑義が出されている
昨日の記事には書かなかったが、ぺネロプさんの英紙によるインタビューについてである
デイリー・テレグラフの記者キム・ウィルシャーさん(現ガーディアン)との会話が先週TVビで流れた
その中で、ぺネロプさんは一度も助手だったことはないと語っていた
フィヨン氏は、これはコンテクストから抜き取られたもので、記者も驚いているなどと言っていた
さらに、妻は助手ではないというのは真実である
なぜなら、同僚としてやっていたからで、あの発言には問題はないとしていた
しかし、キムさんはTVに出ることで迷惑をかけるとは伝えたが、インタビューは事実で驚いていない
すでにパブリックドメインにあるものだとして、フィヨン氏の言い分を否定したとある

それから昨日テレビで流れたことになっているターブル・ロンドがあった
その中で、フィヨン氏は正直だと思うかという調査にウィと答えた人は20%、ノンが67%となっていた
討論に哲学者のアンドレ・コント・スポンヴィルさんが出ていた
彼の言い分は次のようなものであった

今回のことは民主主義にとって不幸な面もあった
まず、フィヨン氏が無実であるということを前提にしないで話が進んでいく
彼のプログラムについては語らない
問題は、法的、政治的、道徳的の3つのレベルに分かれていて、混同してはいけない
われわれが議論できる最も重要な点は政治的な問題である
どのようにして失業を減らすのかが問題なのである
道徳はこの問題を解決できない
道徳的な問題は第三者が言うべきことではなく、自分自身が判断すべきものである
フィヨン氏が金を愛しているとしても、それは誰でもそうかもしれない
そこで彼が悪いとどこで判断するのか
報酬の多寡にしても同じである
モンテーニュは、道徳的に問題があることを実行する時に二つの条件を挙げている
一つは、それしか解決法がないこと、もう一つは、それが個人ではなく公共のためであること

そのような一般論に持ちこむことには賛成しないという人もいた
フィヨン氏を認められないと考える人もいた
彼は政策実行のために国民に犠牲を求めているという
あのような状態で、国民が犠牲を払う気持ちになるのか
これは法的な問題ではない
感情的に受け入れられないという
家族に報酬を払って雇うということは昔は普通だった
ただ、彼は社会が変わっていることに気付いていなかった


今回の出来事はフランスより外国のプレスの方が厳しいようだ
フランスの政界としてはいつものことで、それほど驚くべきこととは見ていないようでもある
いずれにせよ、理性を徹底できるのか、感情が勝つのか
最後は国民の判断ということになる






2017年2月7日火曜日

バルザック的生活を始める?



新しい週が明けた
空に雲はあるものの明るい日となっている
今日から少しオーガナイズされた生活を試みることにした

午前中は久し振りに旧市街へ
2-3時間比較的集中してから帰ってきた
ちょっとバスに乗るだけで往復できるのは非常に便利である
この町に来るまではなかった感覚である

午後からはノルマを課すことにした「仕事」に当たることをやる
夜にはもう少し自由なプロジェに沈潜する予定である
時間の割り振りは違うが、規則正しいという意味でバルザック的な生活がイメージされる
そう意識することが大事だろう
いつものように様子を見ることになる


ところで、大統領選のその後である
昨日はフィヨン以外は活動していたようだ
新聞には、dos au mur (崖っぷち)とかjouer va-tout(一か八かの博打をする)の言葉が見えた
彼がjeter l'éponge(タオルを投げる)かどうかではなく、それがいつなのかが問題だともあった
その判断が遅くなると後継者の選考や運動に問題が出るからだろう

ル・ペンのメインのスローガンは二つ
経済的グローバリゼーションとイスラム原理主義に反対すること
演説は攻撃的で分かりやすい
大統領としてもおかしくない雰囲気が漂っている

左翼党のメランションは名演説家の誉れが高く、今の政治家では一番だという人もいる
こちらも攻撃的で、聴いている人を奮い立たせるところがある
昨日はホログラムでステージに現れた
そう言えば、先日のアンボワーズでもホログラムのダ・ヴィンチを見ることができた

今日は午後4時からフィヨンの記者会見があり、以下のことを述べていた

自分の行為には法に触れることはなく、すべて合法である
すべての資料はサイトに載せた
ぺネロプさんの給料は月3600€程度で全く問題ない
今は家族を助手として雇うことは国民に受け入れられない
その点で間違いを犯したことには陳謝したい
右派の候補がル・ペンとマクロンでよいのか
このクーデターを起こしたのは、まともな右派候補がいなくなることで利益を得る人たちではないか
その意味で、自分の立場は重要になる
今から新たな選挙戦を再開したい

ここ10日ほどのマスコミの攻撃で相当参ったようである
しかし、今日はしっかり対応できていたのではないだろうか
この会見を観て、フランス国民がどう判断するのかがこれからの焦点になるのだろう




2017年2月5日日曜日

音楽家との週末



今日は久し振りに朝から青い空が見え、気持ちの良い週末になっている
youtubeを適当に選ぶと、暫くしてフルトヴェングラーの考えが流れてきた
1950年代に科学時代の音楽と芸術について論じたもののようであった
それからリヒテルの人生と演奏が延々と流れていた
若い時から縛られるのが嫌で、音楽家の家に育ったが、独自にピアノを始めたとのこと
バッハやショパン、ムソルグスキーの「展覧会の絵」などが聞えた

それを聴いている時、もう30年ほど前、マンハッタンの一番街に住んでいた時のことが蘇ってきた
週末、同じ階の部屋から大きな音でオペラがよく流れてきた
そこの住人は光るような白髪の老紳士で、一人住まいと思われた
今朝、ボリュームをやや大きめにしていたからだろうか
記憶を刺激したようだ
静かな環境にいると、頭の中のいろいろなところを散歩できる
形容し難い悦びになっている


Glenn Gould on Sviatoslav Richter







外の世界は忙しい



今朝も曇りで時々雨
風も強い
雲も西から東に速く流れている

午後になり青空が見え始め、向かいのグラウンドの緑が鮮やかになった
よく手入れされている証拠だろう
冬に見る緑は気持ちを昂らせてくれる

今日もプロジェを坦々と進め、小さな区切りを終えることができた
午後はゆっくりして、仏大統領選挙を覗く
一昨日のパリ・マッチの世論調査によると、以下のようになっている

マリーヌ・ル・ペン(国民戦線:46歳)       25%
エマニュエル・マクロン(独立系:39歳)     20.5%
フランソワ・フィヨン(共和党:62歳)       18.5%
ブノワ・アモン(社会党:49歳)          16.5%
ジャン・リュック・メランション(左翼党:65歳)  10%

フィヨンは数週間前はル・ペンに続き、僅差の2位だった
ここ3日だけで3ポイント落ちているという
週明けにどのような動きがあるのだろうか

とにかく外の世界に目をやると忙しい
そうしなくてもほとんど何の問題もなく過ごすことができることは証明済みなのだが、、





2017年2月4日土曜日

今日の収穫は、ザーズの 「パリの空の下」



今日も朝から曇天で、時折雨
籠ってプロジェに当たる
午後から二回目になるフランス語のクールに小雨の中出掛ける

今日は新しい人が4-5人加わって、何曲かシャンソンを聴いてのクールであった
重要な言葉や難しい言葉を聞き取ったり、曲の印象を述べたり、ストーリーの流れを追ったり
聞き取りが難しいものになっている
長い間のツケだろう

その中の一曲に「パリの空の下」があった
歌っていたのがトゥール出身のザーズ(ZAZ)という初めての歌手
正確には、トゥールの南にあるシャンブレー・レ・トゥール(Chambray-lès-Tours)の生まれ
それがこれまで聴いたものとは全く違い、なかなかの雰囲気を出していて、すぐに気に入る

  Sous le ciel de Paris

歌詞の中に「哲学者」が出てくることも今回初めて気が付いた
それから、この曲を聴いたことがないという学生が結構いたのには驚いた
それほど違う時代を生きている人たちと席を同じくしていることになる

もう少し聴いてみることにしたい

  La Vie en Rose
  Si jamais j'oublie
  Zaz à Montmartre : Les passants
  Champs Elysées


大学からの帰りは強風と雨に中られた
アパルトマンに落ち着くと、西から東に速く流れる雲の間に明るい空と太陽が見えてきた
いつものパターンであった




2017年2月3日金曜日

合間にフランス大統領選

     アンボワーズ城 (Château d'Amboise)


本日は終日どんよりと曇っていて、昨日よりも寒い
ということで、籠ることになった
プロジェの合間に現実世界をネットの映像から覗いてみた
フランスの大統領選のその後である
これまでにはなかった今年の特徴である


前回覗いたのは1月18日だったが、最近大きく揺れているようだ
右派・中道の候補、共和党フランソワ・フィヨンにスキャンダルが持ち上がっている
すべてはカナール・アンシェネの記事に始まったようだ
妻や二人の子供を助手として雇い多額の金を払っていたが、実態はあったのかという疑惑である
助手として雇ったことになっている子供はまだ学生であった

フィヨンの側は、陰謀とか制度の中でのクーデターなどと言っている
以前から知られていたことが、なぜ今なのかという疑問を持っているようだ
結論を出すまで2週間待ってくれということらしい
すでに調査が始まっている
国民の四分の三はフィヨンの説明を信じていないようだ
あるジャーナリストによれば、誰にでも分かる疑惑ということになる
それが反映されているのか、多くの人が難しい状況にあると見ている
それでも彼は最後まで戦うと言っている

国民戦線のマリーヌ・ル・ペンの反応は明快だ
これはフィヨンが法に則ってやっていたのかどうかの問題ではない
彼が本当はどんな人間なのか、イメージとは違い金を愛する人間なのかという問題だと言う
それによって彼が国民の信頼を失うのかどうかの問題だと言うのである
彼女の語りは細かい言葉遣いに拘ることなく、問題の中心に力強く執拗に迫っていくところがある
長い活動のためだろうか、テレビの方を食っているような印象さえある
その点では確かにトランプ的な要素を持っているようにも見える

背後に意志的な力が働いているのかどうか、今は分からない
しかし、現状ではフィヨンがこのまま行ってたとえ大統領になったとしても厳しいものになるだろう
彼が選挙戦を続けるのか、撤退するのか
撤退した時には誰がその後を継ぐのか
そうなると、マリーヌ・ル・ペンとエマニュエル・マクロンの争いになるのだろうか
予想通り、先が見えない選挙になりそうだ


夜、再び戻ると、新しいニュースがあった
2007年の英紙とのインタビューで、妻のぺネロプさんは仕事には関わったことはないと言っている
これは un coup de grâce (= un coup fatal)「止めの一撃」だというジャーナリストもいた
今回支持したニースの人の反応も「落胆した」が多くなっている
さらに厳しい状況になってきたようである





2017年2月2日木曜日

朝の時間の使い方

  時計塔(Tour de l'Horloge)@Amboise


今日も朝の内は曇り、時々小雨の状態だったが、午後には明るくなってきた
冷え込みも少ない
朝から始める気にならず、ぼんやりしていた
朝の新鮮で自由な空間と時間を他人のものを読んで過ごす気にはならず
自らの思索の中で遊んでいた
遊んでいたとは言うものの、自分にとっては興味深いアイディアがいくつか浮かんできた
これは精神衛生に良いだけではなく、新しいものを運んで来てくれることがあるので重要でもある

そう言えば、ニーチェではなかったかと思う
朝の貴重な時間を読書になど使うのは愚の骨頂
どうして自分の頭で考えることに使わないのか、というようなことを言っていたような気がする
この助言はわたしの生理も合っている











2017年2月1日水曜日

トラムでの発見



今朝も小雨が降っていたが、午後から青空が見えてきた
一日籠っていると体が鈍ってくるので、外に出ることにした
今日は非常に暖かい
春はもうすぐか

旧市街のカフェに落ち着くも、やる気がなかなか湧いてこない
プレスで手に入れた雑誌に目を通す
そこに出ていた本を見るためにリブレリーへ
これまでに何度も書いていることを今日も感じる
パリでは客にぶつかってくるという感じがするが、こちらでは客を受け入れようとする姿勢がある
相手が壁からクッションに変わったような感じがする
それが気持ちを和らげてくれるのだろう

もう少しでこの町に半年となるが、初めて気付いたことがある
トラムに乗るとすぐに目に入るスタンションポールとでも言うのだろうか
これまで何度も掴んできたが、そこにこんな飾りがついているとは知らなかった
どれにでも付いているのだろうか
これから注意して見ることにしたい

こちらはまだ書いていないが、初日から気付いたことである
トラム内では駅の案内がある
その中の1~2か所で駅名を言った後、2秒程度の軽やかな歌声が流れるのである
鼻歌と言った方がよいだろうか
遊び心なのだろう
これは先週クラスで会った留学生も楽しんでいるようだった




2017年1月31日火曜日

続くシンクロニシティ?



今日は朝から雨
その雨の中をいつものように小学生は走っている
こちらの人が雨を気にせずに歩いているのは、子供の時からの訓練の賜物なのだろうか
ただ、わたしもこちらに来てからそうなっているので、必ずしもそうとは言えないのかもしれない

ということで、今日は一日籠ってプロジェを当たることに
忍耐力が試される日になった
少しは前に進んだと思いたい

ところで、昨日シンクロニシティのような現象について触れた
今日手に取った本の開いたページが「共時性とは何か」という章だったので、再び驚く
その本は湯浅泰雄という方の『宗教と科学の間』であった
全ては偶然だという人と、そこに意味を見出そうとする人で意見が分かれるのだろうか
いずれにしても、注意深く見ていると、意味のあるなしに関わらず、このような現象は認められる
忙しくしていると、気にかけず忘れ去られているだけではないかという気がしているのだが、





2017年1月30日月曜日

取り留めのない一日



朝のうちは薄曇りだったが、午後から明るくなってきた
と思っていると、外から元気のよい歓声が聞こえてきた
応援団のいる試合である
なぜか春の訪れを感じる
元気の出る時間となった

今朝は以前に読んだテクストを読み直していた
読み直すことはいろいろなことを教えてくれる
さらに言えば、何ごともやり直さなければ身に付かないということかもしれない
やり直す過程は考える過程でもある
つまり、身に付けるためには振り返らなければならないということになる

今日は休息日と決めたのか、日本のドキュメンタリーをのんびりと数編観る
そして、現在翻訳中の本の著者とご挨拶のメール交換をする
フランスにいるのであれば一度会って話をしてもよいのではないかとの提案をいただいた
著者の声を直接聞くことは、訳す時に大きな助けになると前回感じた
これから進み具合を見て、パスツール研訪問のことも考えてみたいものである


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lundi 30 janvier 2017

昨夜寝る前に読んだ本の中に、この記事に関係する言葉が出てきて、いつものように驚く
ホワイトヘッドがこう言っているという
"Fundamental progress has to do with the reinterpretation of basic ideas."
(根本的な進歩は基本概念の再解釈と関係している)
ひょっとすると、創造の秘密も「再」の中に隠されているのかもしれない

昨日はこの他にも、これからを考えている時のこと
三桁の数字が浮かんできたが、同じ数字がその後に観たドキュメンタリーの中に現れたのである
このようなことが頻繁に起こっていることに気付くようになっている






2017年1月29日日曜日

アンボワーズ訪問

     アンボワーズ城 (Château d'Amboise)

本日は友人の案内でアンボワーズ訪問となった
幸いそれほど寒くもなく、曇っていた空にも晴れ間が見え、まずまずの散策となった
まず、駅から南に向かいロワール川にかかるマレシャル・ルクレール橋を渡る
川岸に像が見えたので、そこに向かう(その写真は後ほど)


 
     クロ・リュセ城 (Château du Clos Lucé)

最初に、ダ・ヴィンチ終焉の地となったクロ・リュセ城に行ってみることにした
広い敷地には緑溢れる空間が広がっていた
ダ・ヴィンチはここに最晩年の1516年から亡くなる1519年までの3年間を過ごした
フランソワ1世の招きであった 
彼は2歳で父を失っていたので、ダ・ヴィンチの中に父を見ていたようである
この地でのダ・ヴィンチ滞在500年を記念して、去年から行事が行われているようだ


 
    お城の食堂には簡素な食事が置かれていた



    サン・ユベール礼拝堂(Chapelle Saint-Hubert)

それからアンボワーズ城に向かった(冒頭の写真)
こちらも広大な敷地で、その中にサン・ユベール礼拝堂もあった
本当に礼拝するだけの小さな空間で、そこにダ・ヴィンチの墓もあった


  ダ・ヴィンチの墓(La tombe de Léonard)

ダ・ヴィンチが亡くなった後、近くのサン・フロランタン教会に埋葬された
しかし、200年以上前にほぼ完全に破壊された
1863年の発掘で骨が見つかり、現在のサン・ユベール礼拝堂に新たに埋葬されたようだ
ただ、当時の同定方法に疑問もあり、現在最新の技術を用いて検討中だという


   サン・フロランタン教会(Église Saint-Florentin)


     アンボワーズ城のダ・ヴィンチ

 
     アンボワーズ城からロワール川を望む

ロワールにできた中島「イル・ドール(金の島)」の木の下に青銅色の像が見える
拡大すると以下のようになる


    ロワール川沿いのダ・ヴィンチ像



お城に繋がる敷地の下に当たるのではないかと思う
そこの縁に当たるところが削られて崖のようになっている
そこを掘るようにして何軒かの家が作られていた
私有地なので入ることができなかったが、観光客も興味津々の様子で話を訊いていた


こじんまりした愛すべきお店と空間が溢れる町であった
トゥールから30分ほどでタイムスリップしたような一日であった
それは想像の中にあったこの町のイメージを一新させるものでもあった




jeudi 2 février 2017

昨年4月にトゥールを訪れた際、ダ・ヴィンチの500年記念祭の案内を見ていたことを思い出した

 好印象と共にパリへ  (2016.4.17)

その時に思い描いていた隣町のイメージが、おそらく「想像の中にあった」ものではないだろうか
それが今回具体的なものに置き換えられ、一新されたということになる





2017年1月27日金曜日

7年振りの授業、そしてヴィクトリア・トルストイさんが現れる



授業を受けるというのは久し振りだ
正確にはマスターが終わった2009年秋以来なので、7年振りということになる
本日、週一回2時間の口と耳によるフランス語の授業が始まった
効果があるのかどうかは分からないが、三か月ほど様子を見ることになる
ただ、外の世界に俊敏に対応する態勢を内に作るという点では意味があるのではないだろうか
外の世界に素早く反応するだけでは駄目だと気付いてこちらの時間を始めたのだが、、

教室は様々な国から来た学生さんが十数人
モンテネグロ、セルビア、スペイン、メキシコ、韓国、スコットランド、ドイツ、それに日本と多彩だ
わたしの他には日本人はいなかった
男が4人で、後は女子学生
兎に角元気がよく、お喋りだ

4か国語に馴染んでいる人は3人ほどで、3か国語は普通だ
なぜトゥールだったのかという問いには、この地域のフランス語が標準的だからというのがあった
これはわたしも日本にいる時に聞いたことがあった
今日の後半はトゥールが話題になっていた
皆さん、気に入っているようであった
わたしも気に入っている旧市街(les Vieux-Tours)だが、そこの広場の名前を今日初めて意識した

Place Plumereau プリュムロー広場

聞き取りのビデオでは、Greeter が話題になっていた
20年ほど前にニューヨークで始まったという地元の人が観光案内をするものである
ウィキによれば、世界で150ほどの都市がこれを取り入れていて、トゥールもその中に入っている
日本でも似たようなものがあるが、グリーターという言葉はホテルなどで出迎える人となっている
トゥールの町をまだ「観光」していないことに気付く
初回ではあったが、少し外に開かれてきたように感じる

帰りのバスでのこと
降りようとした中年男性に席を譲られる
お断りしたがどうしてもということで座った
自分で思っているよりは、年相応に見えるということだろうか
こんなことは初めてで、困ったことである


夜、こちらも久し振りのジャズ・チャンネル行くと、Viktoria Tolstoyという歌手が歌っている
早速調べてみると、文豪トルストイの玄孫になるスウェーデンの歌手であった
最近、トルストイをエッセイで取り上げたばかりだったので、直ちに反応したようだ
いくつか聴いてみたが、爆発しない静かな歌い方である

  When all is said and done
 Against All Odds

Official Site




2017年1月26日木曜日

作曲家ユリウス・レントゲンに出会う

   Julius Röntgen (1855-1932)


昨夜はトランプ大統領のDHS(アメリカ合衆国国土安全保障省)での演説を聴く
そのポイントは、次のようなことだった

国境のない国はない
国内に不法に入ってきている中にはギャングやカルテルの人間もいる
そのために命を落としている人もいる(その犠牲者を会場に招待していた)
メキシコとの間には壁を作る
メキシコの経済がよくなることは、アメリカの国益にも合致する
そのためにメキシコの大統領とはよく話をしたい
アメリカ国民の命を守るために新法は必要ではない
今の法をしっかり守って事態に対処したい

ごく当たり前のことを言っているようであった
レトリックを弄するのではなく、get to the point というか、問題の核心に一気に入って行く
ビジネスライクと言えないこともない
しかし、問題解決だけを求めている人にとっては魅力的に映るのではないだろうか


このビデオを見ているその横に分野違いの見たような見たことがないような人の名前が現れた

ユリウス・レントゲン

ライプチヒ生まれだが、オランダに帰化したというピアニストにして作曲家である
初めての方だ
生涯で650に及ぶかという作品を残している
多作である 
25の交響曲、7つのピアノ協奏曲、3つのバイオリン協奏曲、室内楽、ピアノソナタなどを含んでいる
ヴィルヘルム・レントゲンとは従弟同士であった
何曲か聴いてみることにした

Ballad for violin and orchestra
Symphony No. 8





2017年1月25日水曜日

実験経済学のセミナーを聴く

  Prof. Luigino  Bruni (Lumsa U., Rome, Italy)


今日は朝から大学へ
ローマの経済学の先生のお話を聴くためである
新年会でお会いしたイタリアからの留学生の論文審査をする方らしい
日本では見かけない底から明るいタイプだが、その中に明晰さをとどめている
ヨーロッパはイタリアのインテリという印象だ
英語での発表だった

経済学も今は実験経済学が盛んなようで、今日もそのお話だった
行動経済学の中に入る分野らしい
今では神経経済学というものまであり、こちらの研究室でもやっている方がいるようだ

実験はマウスの代わりに学生を実験材料?として使っていた
とは言っても、コンピューターの画面に向かって、ある設定の中で選択するのが実験であった
実験参加費はちゃんと支払っていると言って具体的に示していた

実験には相手への信頼や判断の損得というような意図や意志や直観が関与するものだった
そのため、実験のデザインを毎回一つのパラメーターだけを見るように設定しなければならない
人間が絡むと、一つの行動の裏にいくつもの要素が絡んでくるので、そこが難しそうだった
マウスでは意図などが絡む実験はありますか?などと参加者に訊いていた

内容をよく理解したとは言い難い
ただ、理論が予測するより、人間は相手を信頼する傾向が強いというのが結論のようだった
最後に、論文を投稿した雑誌の編集長とのバトルの様子を話していた
もうすっかり忘れていた世界を思い出す
これがないだけでもどれだけ精神衛生によいか分からない
セミナーはGrazie!で終わっていた




今日はどんよりと雲が垂れ込めた寒い日だった
大学の事務の方は、très を三つ付けて寒いと言っていた
つい最近まで市庁舎前の噴水は元気だったが、今日はこの通り
パリのアパルトマン近くの噴水はちゃんと水抜きをしていたが、ここではそれをやらないようだ
その寒さの中、グラウンドでは幼稚園児がラグビーに興じていた






デカルトを近くに感じる



今朝も霜が降りていた
空が雲に覆われているためか、冷え込みがきついためか、その白はなかなか消えなかった
午後、用事があり街に出る
ちょっとした問題が出たが、すんなりと片付いた
この町では何かあっても必ず解決するという確信のようなものが生まれつつある
強く働きかけることもなく

帰りには素晴らしい夕焼けも拝むことができた
写真では伝えられない広い空に描かれていた
アグレアーブルな町と言えそうである


今夜はデカルトの『方法序説』を手に取った
昨日との繋がりになるが、デカルトも役者よりは観客として生きたいと考えていた
その他にも共通点をいくつか見つけることができた
勿論、それは中身ではなく、やり方や認識についてということになるのは言わずもがなではあるが

例えば、40代の彼はこれからの生き方についてこう書いている
「わたしは生きるために残っている時間を、自然についての一定の知識を得ようと努める以外には使うまいと決心した」
それから僅か十数年の人生ではあったが、その意思を貫いたことと思いたい
わたしの場合、こちらに来る前は「持てる時間のすべてを使って考えること」を欲していた

デカルトは名声が自らの探究の邪魔になることを知っていた
オランダに隠れることにしたのもそのためだろう
彼のモットーは Larvatus prodeo (わたしは顔を隠して進む)だった
その気持ちはよく分かる
露出した人たちの思考に成熟を見ることは稀で、寧ろ腐敗が進む傾向さえあるからだ

彼はガリレオの裁判の行方を見て身の処し方を決めていた
同じような運命になる可能性がある本の出版を控えたのである
それを弱さと見る人もいるが、 活動を阻害するすべての要因を避けたかったのだろう

そう言えば、スートゥナンスのコメントの中にデカルトを評したシャルル・ペギーの言葉があった
それがなぜだったのかは分からない
しかし、デカルトとどこかで繋がっていると思いたい

これまで何人かの哲学者を近くに感じてきたが、新たにデカルトが加わったことになる








2017年1月24日火曜日

意識の第三層、美、そして観ること



今日は快晴で、寒さも緩んでいた

今夜は唐木順三著『「科学者の社会的責任」についての覚え書』を手に取る
4年ほど前、成田からパリに戻る機内で読んだことになっている
中味はあまり覚えていない
おそらく、今ではよく言われることが書かれてあったからではないだろうか
問題はどうするのかということになる

『朴の木』改版にあたって、というエッセイを読み直してみた
大きな問題として人間の退廃が指摘されている
その中に、教師に望むこととして次のようなことが語られている
――政治的、社会的に考えるだけではなく、人間として、自分の問題として考えてほしい――

これが行われていないことが人間の退廃にも結び付いていると思われる
この現象は、意識の三層構造理論で言う第三層の(活動の)欠落として説明できるだろう
これは本編で論じられている問題の解決にとっても重要になるはずである
自らの深いところに返ってものを考えることができるのかという問題である
そう言うことは簡単だが、実行は至難の業である
そもそも第三層が何たるかをイメージできなければ、具体的な実行には向かえないからだ
深いところがどこなのかが見えてこないからである

それから、「真・善・美」の中で美の復権を訴えている
科学で得られる「真」が絶大な力を持っている現代では、「美」が衰えているのではないかという
「美」の教育が求められると言っている
同じことは「善」についても当て嵌まるだろう
こちらは哲学になるのだろうか
この問題は最近のエッセイでも書いたばかりのテーマになる

最後に、「見ること」の重要性を説いている
そう言えば、最初のブログ「フランスに揺られながら」のサブタイトルがこれだった

"J'observe donc je suis." (われ観察す、ゆえにわれ在り)

デカルトに肖ってのフォルミュールである
あの数年間で観察を重ねていたことが、それ以降の基礎になっていたように見える
じっくり観ることが哲学の基礎にもなっていたように感じるのだ
それほど観ることは重要な運動なのだろう


「あとがき」を臼井吉見さんが書いていた
若い頃、あのまん丸いお顔と頭をテレビでよく見たことがあり、懐かしい
饒舌な印象しかなく、どういう立場を採っている人なのかは知らなかった





2017年1月23日月曜日

現代の哲学者の課題とは?



今朝、向かいの芝生には霜が降りていた
それもお昼には消え、鮮やかな緑が戻っていた
これからひと月くらいはこの寒さが続くのだろうか
ただ、日中は寒さをあまり感じない
先日のパリで感じたあの底冷え感は、風の強さのためだったのかもしれない

夜、小さな書庫となる部屋で見つけたこの本を摘み読みしてみた
『哲学に何ができるか』
廣松渉先生に五木寛之生徒が講義を受けるという形式の対談である
元々の対談は40年ほど前で、中公文庫に入ったのがその20年後
日常感覚ではかなり前のお話ということになるが、今のわたしの中に時差はない

タイトルの問いに対する答えがあるのかと思ったが、納得のいくものはなかった
最後の方で生徒が先生に哲学者の課題を訊いているが、明確な答えはなかった
考えてはいるけれども答えがないと先生は言う
それから、哲学者の苦闘の跡やその考えが広く伝わることはないのかと生徒は問い掛ける
まず、自分の仕事をどのように書くのかについて先生は迷っているようだ
これに対して、生徒の方は読者に媚びる必要などないのではないかと言っている
考え方としては五木氏に賛成である
ただ、本物の哲学書を一般に届けようとすると、やはり言葉の問題は大きいのではないだろうか
哲学の中に留まる言葉で書かれていると、特に現代では普通の人は手に取らないと思われるから






2017年1月21日土曜日

出るために入る



本日も快晴で快適である
ただ、寛容な心だけでは凌げない寒さが始まっているようだ

カフェでの時間の使い方、より正確にはカフェにいる時の意識のあり方について、考えが浮かんだ
これまでは終わりを全く意識しないで中に入っていた
それは永遠に縛られているという意識の中にいた院生時代の影響だろう
いつまでも解放されないのだから、眠くなることも稀ではない

今日、その意識を変えてはどうかという声が聞えた
結果としての2時間なり3時間の滞在になるのではなく、その時間だけと決めて入るのである
つまり、出るために入るのである
有限の中にいることが意識され、出る時には悦びさえ訪れるのではないか
その方がプロジェに集中できそうな気がしたのだろう

仕事と捉えることを始めると、こんな考えが浮かんでくる
困ったものである
仕事は人間を駄目にする、というわたしのテーゼがここでも顔を出す
捗らないかも知れないが、やはり永遠の中にいる方が魅力的に見える