2020年1月12日日曜日

「すべては繋がっている」再び、そして今年の修正

             Grüne Spitze (1932) - Wassily Kandinsky



昨日触れたティモシー・モートンの2010年の本The Ecological Thought仏訳されたという
アメリカで働くイギリス人哲学者である
この方の言葉に「すべてはすべてと繋がっている」というのがあるという
わたしも共有する感覚で、偶然にも出たばかりの拙エッセイでも取り上げた

ただ、彼の場合は人間や生物を超えてプラスチックからプルトニウムまでのすべてと繋がるのだ
そこから、我々の行為は気候変動や種の絶滅や温室効果に関わっているというところに導かれる
生物を超えて政治に至る
そこまで繋がっていると言うのだろう

それから「我々は時代の終わりにいるのではなく、始まりにいる」という言葉もあるようだ
この感覚は重要ではないだろうか
コンテクストは違うが、わたしが言う「まだ何も始まっていない」という感覚とどこか似ている







ところで、自分の意見を持つことは簡単である
我々はそれを日常的にやっている
しかし、他の人を説得して、それを理解させることができるかどうかは別の問題になる
そこでは科学や哲学的、論理的議論を用いる必要があるのだろう

自らを振り返ると、説得の過程が弱いように感じる
瞑想と称して唯我の世界に遊んでいることが多いので、そこまで至らないのだろう
それを改めるには過去の蓄積を「勉強」し、そこから材料を選び出す作業が欠かせない
天空から地上に降りなければならないのだ
何だか科学者の時代に逆戻りするようで、少々味気なくなるようにも感じる

今年はこのあたりの修正をしたいものだが、できるだろうか









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