2017年11月3日金曜日

吉野山散策始まる



今回の吉野「散策」は、久し振りに写真をふんだんに使って振り返ってみたい
すでに触れたように、吉野駅からケーブルに乗る予定だったが故障中
乗り場に続く道をゆっくり歩き始める
最初は少し苦しいが、そのうち慣れてきて苦しさがなくなる




歩き始めは感覚も鋭く、すべてが新鮮に感じられる
自然の中に身を置いた状態を意識すると、次第に体が消えてくるのが分かる
せせらぎも耳に心地よく、精神を浄める効果がある
そして、この日は自然の中にあるいろいろな形を見ることができた
最近、この「形を見る」ということに悦びを感じていることが分かってきた




この辺りから散策が始まるのだ、という気持ちになってきた




直ぐに紅葉はこれからだと分かる







こういう形を見るだけでこころが穏やかになってくる




少しすると、黒門(くろもん)が現れる
金峯山寺(きんぷせんじ)の総門に当たり、吉野一山の総門にも当たるという
この辺りは、まだ散策の気分である
この先にはお土産屋さんや食事処が連なっている




直ぐに「銅(かね)の鳥居」が現れる
正式名は「発心門」とのこと
重要文化財に指定されているようだ 





そして、金峯山寺の「仁王門」が現れたが、修復中の模様
修験道の根本道場で、国宝と世界遺産に指定されている




更に進むと、やはり国宝で世界遺産の「蔵王堂」が現れる
丁度人が降りてきたところなので、中を見られるかどうか訊いてみる
はっきりした声で、見られますと答えてくれたので上がってみることにする




檜皮葺(ひわだぶき)がこれまでに見たことのない色合いでなかなか良い
歴史の中に引き込まれるように感じる
ただ、残念ながら写真ではその色合いを感じ取ることができない 







村上義光が親王のために忠死したところが蔵王堂だったようで、境内にその碑があった
暫しの時を蔵王堂で過ごした後、更に歩き始める







人はあまり歩いていない
そんな中、知らない人が店の前を通るのである
お店の人が声を掛けてくれるが、その調子が何とも言えないのだ
相手の領域を邪魔しないように、しかしその中に入ることができるように
恰も両者のインターフェースを微かに振動させるように挨拶するのである
こちらも同じように答えるようにした




役行者が開基したと言われる東南院が現れる
修験行者の暫しの憩いの場になる宿坊だったようだ





中に多宝塔がある




庭には芭蕉の句碑があった

   砧打ちて我にきかせや坊が妻

『野晒紀行』に収められているようだ





坂道の途中には、いろいろな色と形のお店が目を楽しませてくれる




勝手神社の鳥居が見える



 


嬉しいことに、この日は7-8回この雲に出会うことができた
ひょっとすると、今回の滞在で初めてのことかもしれない




さらに歩みを進め横を見ると、先ほど通ったばかりの蔵王堂があんなに遠くに見える
これには驚いた
しかも心地よい驚きであった

アリストテレスの言う最高善とはどのようなものだっただろうか?
それは、何かのためにすることではなく、そのことをすること自体が目的になっているものである
何かのためにあることをするのは、価値としては落ちることになる

普段、座ってばかりいる人間にとっては、とんでもない山道を歩いている
しかし、歩いている時にはどこかに向かおうという気持ちが消えている
「いま・ここ」だけに意識が集中している
それ自体が目的になっているのである
その時、苦しみは感じない
どこかに向かうためにいま歩いていると思うと、それだけで苦痛になる

そしてその時、ニュートン的な時間も消えている
何時間歩いたのかということも気にならなくなる
そんなことは意識に上らなくなっているのである
これは実に気分の良いことであった
ベルクソンの言う「持続」に近い感覚が生まれているのではないだろうか
まだ旅の半ばだが、今回の道行を支えていたのは、実はこのメカニズムだったことが見えてくる

明日も続く






2017年11月2日木曜日

吉野山へ、あるいは「地図はそれが表す土地ではない」



いつものように突然、吉野山へ行きたくなった
初めてである
おそらく、久し振りに体を使ってみたいという気分になったからだろう
ただ、なぜ吉野山なのかは分からない

ということで、朝から吉野に向かった
奈良からだと1時間半ほどかかる
車中ではアリストテレスを読んでいた
駅名がわたしにとっては不思議な響きに聞こえ、少しだけ外国にいるような気分になる
あるいは、日本の奥の奥に入り込んだような気分だったのだろうか
それ故、外国のように感じたのだろうか

日本の田舎は本当に長閑である
フランスの田舎とも異なり、非常に自分に近い、家の中のような感じがする
対象化できないのだ
吉野の駅は写真のように小柄なヨーロッパの駅のようで、不思議な気分がした
そこからロープウェイがあるはずだったが、春から故障しているとのことで運休中
バスが出ているようだったが、最初から歩くことにした

出る前に漫画の地図をざっと見て、予定のようなものを立てていた
吉野山散策のような気分であった
地図は真っ平らに見えたからだ
「地図はその土地ではない」 とは、アルフレッド・コージブスキー(1879-1950) さん、よく言ったものである 
これは散策ではなく、登山であると気付いたのは途中まで行った時であった
そこで折り返すわけにもいかず、最後まで歩き続けた

その経過は明日以降にしたい










2017年11月1日水曜日

吉田秀和さんの姿勢と観察、あるいは中原中也



探しものではないものが現れる時、しばしば大発見をする
この偶然が何ものにも代え難いことを知って久しい
Youtubeに吉田秀和さん93歳の時の「言葉で奏でる音楽」という特集が現れた
それを観ていて驚いたことがある

自宅の庭で、作家の堀江敏幸氏と対談している
まず、椅子に座っている姿勢である
体が上の方に向くように、悪く言えばふんぞり返ったように座っている
これはわたしの普段の姿勢だとすぐに気付く
それはふんぞり返っているのではなく、空を仰ぎ、全世界を自分に呼び込むような感覚なのである
その全体を捉えたい、その全体の中でいまの話題を語りたいという姿勢である
吉田氏の場合はどうか分からないが、おそらくそうなのではないかと勝手に想像していた

もう一つは、その中で語っていた内容である
高等学校の時に好きだった独文の先生がいたという
阿部次郎の弟、阿部六郎(1904-1957)である
その先生からニーチェを知ったようだが、さらに重要なことを感じ取ったという
それは、人々が生きている世界とは違う世界があるということ
そして、その先生は世の中で活躍している人たちとはどこか違う別の世界を持っていたこと
さらに学ぼうと思い、阿部六郎宅に下宿までしたようだ

人の世の中を生き抜いている人では、そのことに気付けない
そこから離れた目を持っていなければならないからである
真の芸術家の視点とでも言うべきものが必要になるのだろうか
これは人間にとっても、社会にとっても非常に重要なことだと考えるようになっている
先日の「超世俗的」ともどこかで繋がっている

それから、聴いたことを正確に言葉で伝えるという仕事についての観察である
それは非常に難しいことだが、難しいが故に面白いと思ったという
同じことは、自分の頭の中にあることを正確に言葉に移すことにも当て嵌まるだろう
外国語を日本語に移し替えることだって同じである
殆ど不可能な作業なのである
そこに挑み甲斐のある仕事だと思った理由があるのだろう

阿部六郎宅に下宿していた時のエピソードとして、中原中也が出てくる
中也は最初のブログで何度か取り上げたことがある
少し長いが、その中の一つを以下に再掲してみたい


2006年11月14日

記念館にて中也を想う PENSER A CHUYA AU MUSEE MEMORIAL

 

 



雨が止むのを待って県立美術館を離れ、歩き始める。バスが来たので目的地に行くのか運転手に訊いてみるが、よく理解できない。待ってくれているのでとにかく乗り込む。近くの老婦人に聞いてみる。「中也さんのところでしょう。温田温泉ですよ。」 と言って、まるで知り合いのことを語るように教えてくれた。気持ちよく、流れる景色を眺めていると、10分ほどで中原中也記念館に着いた。

中原中也 Chûya Nakahara(1907年 明治40年4月29日 - 1937年 昭和12年10月22日)

こじんまりしているが、手入れが行き届いていて美しい。中に入ると、正面で中也さんが迎えてくれた。東京に出た18歳の時に写真館で撮ったといわれる有名な写真が。

温田温泉で医院を開業していた父謙助 (30歳)、母フク (27歳) の長男として結婚7年目に生れる。「奇跡の子」 として大切に育てられる。小学校では勉強に打ち込んでいたようだが、次第に文学に興味を持ち始め、5年の時には短歌会に顔を出すようになる。それから次第に成績が落ち始めたようで、中学の時落第。うるさい父親から逃れるために落第し、京都の立命館に転校。17歳の時広島出身の女優の卵、長谷川泰子と運命の出会いの後、同棲をはじめる。その時期に富永太郎からランボーやボードレールを紹介されている。

彼の人生には、いろいろな人が顔を出す。

小林秀雄
河上徹太郎
大岡昇平
諸井三郎
古谷綱武
吉田秀和
青山二郎
坂口安吾
太宰治
北川冬彦
草野心平
萩原朔太郎
伊藤静雄
など

特に小林秀雄とは、中也が泰子と上京後に出会い、三角関係になり、彼女が小林の元に去るという事件以来、深い関係が生れる。今回、上京してからアテネフランセや東京外語大学でフランス語を本格的に勉強していたこと、また亡くなる年にも関西日仏学館に申し込みをしていたことなどを知る。ランボオの訳詩も展示されていた。

彼の人生は子供の時から死に取り囲まれていた。8歳の時、三歳年下の弟亜郎が亡くなる。中也は毎日、蓮華の花を摘んできては、「あーちゃんに」 と言って、仏様に供えていたという。また4歳下の恰三を24歳の時に結核で失う。「亡弟」 という小説を書いている。

それから自分の長男、文也も失う。これが相当応えたようだ。日記を見ると、文也に向けた男親の愛情に溢れる記述が見つかる。
「文也も詩が好きになればいいが。二代がかりなら可なりなことが出来よう。俺の蔵書は、売らぬこと。それには、色々書き込みがあるし、何かと便利だ。今から五十年あとだって、僕の蔵書だけを十分読めば詩道修行には十分間に合ふ。迷はぬこと。仏国十九世紀後半をよく読むこと。迷ひは、俺がサンザやったんだ。」 (昭和11年7月24日)

文也が亡くなってから遺体を抱いて離さず、葬式の日以来位牌の前から離れなかったという。文也の霊に捧げた 「在りし日の歌」 の原稿を小林秀雄に託す。中也の死後出版される。

   わが半生

私はずいぶん苦労して来た。
それがどうした苦労であったか、
語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。
またその苦労が果たして価値の
あつたものかなかつたものか、
そんなことなぞ考へてもみぬ。

とにかく私は苦労して来た。
苦労してきたことであった!
そして、今、此処、机の前の、
自分を見出すばつかりだ。
じつと手を出し眺めるほどの
ことしか私は出来ないのだ。

   外では今宵、木の葉がそよぐ。
   はるかな気持ちの、春の宵だ。
   そして私は、静かに死ぬる、
   坐ったまんまで、死んでゆくのだ。

        La Moitié de Ma Vie

     J'aurai eu jusqu'ici bien des peines.
     Quelles peines, direz-vous ?
     Je n'ai aucune envie d'en parler.
     Quant à la question de savoir si ces peines avaient
     Quelque vertu ou n'en avaient pas,
     Cela ne vaut même pas le coup d'y penser !

     Mais j'aurai eu bien des peines.
     Oui bein des peines en somme !
     Et voici que, maintenant, ici-même, devant mon bureau,
     Je ne trouve plus que moi.
     Sans broncher, j'allonge mes mains, les regarde, et c'est bein là
     Tout ce que je peux faire.

        Dehors ce soir, les feuilles des arbres frémissent.
        Soir de printemps, aux lointaines émotions.
        Et voilà que, doucement je meurs !
        Oui, je reste assis, et je me meurs.


亡くなる3ヶ月前に阿部六郎宛に手紙を送っている。

「小生事秋になったら郷里に引上げようと思います。なんだか郷里住みといふうことになってゴローンと寝ころんでみたいのです。もうくにを出てから十五年ですからね。ほとほともう肉感に乏しい関東の空の下にはくたびれました。それに去年子供に死なれてからといふものは、もうどんな詩情も湧きません。瀬戸内海の空の下にでもゐたならば、また息を吹返すかも知れないと思ひます。」 (昭和12年7月7日)


四行詩 

おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発する都会の夜々の燈火を後に、
おまへはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。

Quatrain

Pour toi il est mieux de rentrer dans une chambre paisible
Laissant derrière toi les feux éclatants des nuits de la ville
Pour toi il est mieux de prendre le chemin du retour
Et d'écouter tranquillement les murmures de ton cœur


弟の思郎氏が中也の最後をその著書 「兄中原中也と先祖たち」 に書いている。

「母の指を、タバコを吸うときのようにして自分の二本の指ではさんだ。眼も見えたのであろう。『おかあさん』 という声がでた。一層奇跡を思う。もう一度 『おかあさん』 と呼んだ。中也は自分の指にはさんだ母の指を、二度ばかりはじいた。タバコを吸っている気である。そして 『僕は本当は孝行者だったんですよ』 といい、『今に分かるときが来ますよ』 とつけ加え、数秒おいて 『本当は孝行者だったんですよ』 といった。最後の声は正気の声であった。中也の指は母の手から離れて落ちた。」

長男が亡くなった1936年に次男愛雅が生まれている。しかし、その翌年10月に中也が亡くなり、さらにその翌年1月には生まれたばかりの愛雅が亡くなっている。それが彼の死後であったことがせめてもの救いである。


    歸 郷

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    椽の下では蜘蛛の巣が
    心細さうに揺れてゐる

山では枯れ木も息を吐く
あゝ今日は好い天気だ
    路傍 (ろばた) の草影が
    あどけない愁 (かなし) みをする

これが私の故里だ
さやかに風も吹いてゐる
    心置きなく泣かれよと
    年増婦 (としま) の低い声もする

あゝおまへはなにをして来たのだと・・・・・
吹き来る風が私に云ふ


        Retour

    Sec les piliers et secs les jardins
    Aujourd'hui il fait beau
       Sous la terrasse une toile d'araignée
       Bouge langoureusement

    Les arbres morts respirent dans la montagne
    Qu'il fait beau aujourd'hui
       Au bord des chemins l'herbe dessine
       Une ingénue tristesse

    C'est mon pays
    Un vent frais s'est levé
       Pleure sans hésiter
       Me dit à voix basse une femme plus âgée

    Oh  toi qu'as-tu fait.....
    Me dit le vent qui vient souffler


二階の資料室に上がり、CDに入っていた母親フクさんの思い出話を聴く。

中学から詩にのめり込んだ中也の成績はどんどん落ちていった。本を買ってやるから駄目だというようなことを先生からも言われ、本から遠ざけるようにする。すると、彼は本屋に入り浸るようになり、帰りが遅くなったという。そして帰ってくる時は、遠くから 「今日は本屋に寄ったんじゃありませんからね」 と言ってから家に入ってきたという。そんなこと言わなくてもいいのに、という感じで遠くの息子を懐かしむように語っていた。

この話はフクさんの回想録 「私の上に降る雪は ― わが子中原中也を語る」 の中にも出てくるのかもしれない。

今回、中也の詩にいろいろな人が曲をつけ、いろいろな人が歌っていることを知る。諸井三郎が曲をつけるのはわかるが、大岡昇平も作曲している。また、友川かずき、伊藤多喜雄、おおたか静流、小室等、そして五木ひろし、石原裕次郎までもが歌っているのには驚いた。

来年は中也生誕100年、没後70年に当たる。記念行事が予定されているようだ。

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フランス語訳は以下の本からです。
Nakahara Chûya « Poèmes » traduit du japonais par Yves-Marie Allioux (Philippe Picquier, 2005)







2017年10月31日火曜日

取り敢えず一段落



昨日はベルクソン・カフェで読んだテクストの試訳を終えることができた
そして本日は、溜まっていた事務的な仕事を2軒ほどカフェの梯子をして何とか終えることができた
これですっきりした
と同時に、気分が新たな準備状態に入りつつある
少し精神を休ませ、肉体を使う時間を取りながら様子を見たい






2017年10月30日月曜日

学友といつもの談笑、あるいは目の前の鏡



今日は帰国の度に声を掛けていただいている学友お二人とのデジュネがあった
これまではディネであったが、お仕事が忙しいのか昼時の談笑となった
兎に角、未だに仕事をされていることに感服する

前回もそうだったが、意識の三層構造について話をする
さらに理解が深まっているようであった
第三層がなくても生活はできるという意味では必須ではないのかもしれない
そのためか、その存在に気付かないことが多い
しかし、我々が人間であることを考えれば、欠かせないように思うのだが、、

学生時代から知っている人は、その人間の根になるところを見ている可能性がある
少なくともそう唱える人がいた
その方から「超世俗的」という言葉が出てきた
わたしの辞書にはなかった言葉だ
それは何と、わたしの若い時の特徴を捉えた言葉で、いまも変わっていないという
これには本当に驚いた

それにしても自分の姿はなかなか見えないものである
こういう瞬間、自分の前に鏡があることを意識する
貴重な時間であった







2017年10月29日日曜日

すっきりするが、詰まらない世界



すべての活動を終え、一夜明けた
会を始める前と今では何かが大きく変わっているのが分かる
それを解析するのは、これからになるだろう

この振り返りの過程が重要だと気付いて久しいが、重要だというより深い悦びを齎してくれるのだ
あるいは、悦びを齎してくれるので重要だとも言える
義務感を伴う重要性ではないのだ

この過程は記憶がなければできないことである
如何に記憶が重要であることか
その形は違っても、すべての生物が記憶を持っていることに深く納得する

さて、昨日、心身問題についてカール・ポパーが語っているのを読む機会があった
こころと脳の関係をどう見るのかというこの問題に対して、人間はいろいろなことを考えてきた
一方の極に、過激な唯物論、物理主義がある
すべては物質からできていると考えるので、そもそも心身問題は存在しないという立場だ
他方の極には、バークリーなどの過激な唯心論がある
そして、その間にはいろいろなニュアンスを持った考え方がある

注目したのは、過激な唯物論あるいは唯心論に対するポパーの評価であった
これらの考え方は論理的には問題がなく、それで心身問題は片付くように見える
しかし、それは問題を解決したのではなく、興味深い問題を排除しただけである
つまり、頭の中はすっきりするが、何と詰まらないのだろうか、と言っているのではないだろうか
これは、わたしがこれまで感じ続けてきたことと繋がる






2017年10月28日土曜日

第2回サイファイ・フォーラムFPSS、盛会のうちに終わる



本日は午後から日仏会館で第2回のサイファイ・フォーラムFPSSを開催した
雨交じりの天候にもかかわらず、多くの方に参加していただき、会は盛会のうちに終わった

今回は4名の方に15分の発表をしていただいた後に20分のディスカッションの時間を取った
想定内ではあったが、議論の時間が十分に取れず、掘り下げが十分でないところが少なくなかった
また、進行役の不手際でご迷惑をおかけしたこともあった
この経験から、今後の指標のようなものが少しだけ見えてきた感じがする

これからも試行錯誤を繰り返していくことになると思われる
皆様のご協力をこれからもお願いしたい
話題を提供していただいた皆様、ならびにその発表に的確に反応していただいた皆様に感謝したい

次回は来年の春以降になると考えている
詳細が決まり次第、サイトに掲載する予定である

今日で今回の日本での活動がすべて終わったことになる
どうなることかと思った1か月10回の会だったが、どうにか終えることができた
少しだけ、コツのようなものを掴んだ気がする
それは、そのようなものだと思って「その時間の流れを淡々と感じる」という簡単なことである
以前は、それを「耐える」と言っていたものである


会のまとめ





第12回サイファイ・カフェSHE、無事終わる



本日も朝から準備に追われた
テーマが「ミニマル・コグニションを考える」となっており、何のことを言っているのか分からない
そんな中、週末の夜にも関わらずお集まりいただいた皆様に感謝したい

これまでのテーマよりも専門性が増したという印象を持たれたようである
ざっくばらんに言えば、分かり難い話だったようだ
生物が複雑でダイナミックな環境で生き残るためには、記憶と情報処理を基にした決定過程が必須だ
昔はこの仕事は中枢神経系が担っていると深く考えることなく思っていた

しかし、最近では必ずしも中枢神経系に依存しないという見方が広がりつつある
それでは、どこまでを神経系様の機能と考えているのだろうか
その機能を広くコグニションと言い、その最小限の条件をミニマル・コグニションと言っている
コグニションは認識と訳すこともできるが、ここではもっと基本的な過程のことを指している
すなわち、情報の獲得、保存、処理、使用に関わるメカニズムとして論じられているようだ

これまで、脳、ニューロンに関連した構造と機能を持っていなければならないという考えがあった
その後、神経とは関係がないが、感受して運動に変換されるものもコグニティブだと考える人が出た
さらに極端な例は、運動とは関係しないシグナル伝達や遺伝子ネットワークまで含める人もいるという
いずれの場合も、そのように定義した時、その枠内では比較的明確に選別ができる
しかし、どの定義を正当なものと考えるのかという問題が出てくる

それに対して、免疫系での解析結果を絡ませて、適切ではないかと思われる見方が提示された
直感的にはなかなか受け入れられそうにもない説である
講師も100%確信しているわけではないが、論理的には矛盾しないのではないかと考えている
まるで先週のプラトンの霊魂不滅の証明のように、あっという間の出来事であった
いずれにせよ、今後いろいろな批判を受けながら、練り上げていく必要があるのではないだろうか
参加された皆様の感触はどうだったのだろうか

カフェの中でも懇親会でも様々な議論が出たという意味では、よいテーマだったと言えるのだろうか
少なくとも議論を呼ぶテーマであったことは間違いなさそうである


会のまとめ






2017年10月26日木曜日

パスツール財団でのランデブーで新たな方向性が見える



今日は午後からパスツール財団でランデブーがあった
帰国の度に代表理事の渡辺様にいろいろなお話を伺っている
今回も財団のパーティーが終わったばかりでお疲れのところ、2時間以上も時間を割いていただいた

まず、最新のニュースを教えていただいた
パスツール研究所の新しい所長がスチュアート・コール博士に決まったばかりとのこと
訪問先のパリでニュースを目にされたようだ
コール博士はイギリス人微生物学者で、ヨーロッパを広く経験されている人物
ご本人の専門とは関係なく、感染症が研究所の最重点課題であり続けることに変わりはないだろう

それから、財団の活動が新展開している様子と来年に向けてのプロジェクトをお聞きした
お話を伺っていると、プロジェクトの中にサイファイ研ISHEが絡むことができそうなものも見受けられた
まだどうなるのかは分からないが、来年に向けて注目しておきたい

その他、フランスの科学書の翻訳の問題が出ていた
意外に訳者の人口が少ないようだ
人文系の人だけで訳したり、科学者とフランス語の専門家という組み合わせも少なくないようだ
忙しい時代に入っているので、科学者がわざわざフランス語をやるということは考え難い
時間が許せば、そこに少しは貢献できるのではないかという気になる
ただ、これまでの経験では、あの勤勉さが求められる「仕事」は体に合わないと感じているのだが、、

また、科学者の文化度についても話題になった
科学から生まれる事実だけを論じるところで留まっているケースが多いのではないか
それは科学の世界そのものではあるのだが、そこを超えて考えることが求められるのではないか
そんな話も出ていた 

それは余裕がなければ生まれない世界で、科学に対する態度の成熟度を表しているようにも見える
暇がなければ文化は成熟しないのである
そこにフランス的と言ってもよいだろう科学の捉え方が示唆を与える可能性を見ているのだが、、
どうだろうか






2017年10月25日水曜日

東京理科大学、最終の第三講終わる



昨日は終日の準備だったが終わらず、今朝に持ち越された
しかし疲労が蓄積しているのか、今朝は危うく遅刻しそうなお目覚めであった
デジュネの予定もキャンセルして、最後まで準備
最後の電車の中で最終版が出来上がった
問題はまだ待っていた
今日は雨天のため、駅前にタクシーが一台もいない
慌てることなく待っていると、時間通りに教室に滑り込むことができるタイミングで現れてくれた

今日のテーマは生命倫理という大きな領域だが、基本的な考え方と個別の問題を一二取り上げた
個別の問題として、生の終わり、死に纏わる問題、死の誘導と不死について考えた
不死とまでは言わないが、例えば人生150年となった場合にどのようなことが考えられるのか
人生は長ければよいのか、そのような社会に新たな問題は出て来ないのかなど、、問いは尽きない
健康状態にもよるのだろうが、そんなに長く生きたくないという考えの学生が少なくなかった
老人が増えている今の社会の状況を反映しているのだろうか
今日で3回目なので、普段はやっていないと思われる頭の使い方にも慣れてきたように感じた

今回のテーマはフランスにいる時にぼんやり考えていたこととは異なるものになった
向こうにいると、日本の状況を現実感を持って捉えられないところがある
そのためだろうが、なかなか手を付ける気にならないのである
こちらでやり始めてその次が見えてくるという感じだろうか
最後の最後まで、というやり方はこれからも変えられそうにない 

今回は3回に亘って生命と倫理について考えたが、講師の中にも一つの枠組みが出来つつある
これからそれを基に考えを広げていくことができるのではないだろうか
その意味では貴重な経験をさせていただいた






2017年10月24日火曜日

自己への参照を経ながら進める



平凡な日常である
すなわち、準備のために静かに頭の中を整理している
勿論、まだその姿は見えていない

今月の準備の時間で感じてきたこと
それは、機械的に作業をこなすというのではなく、自らに還るように行われているということである
自らの外にある知識を外にあるままで集めるのではなく、常に自己に参照しながら纏めようとしている
そのことと関係しているのかどうか分からないが、最後まで慌てることがなくなっている
精神の上での疲労や拘束の感覚がないどころか、深い満足を感じるようになっている

そのことを明確に意識したのは、今回が初めてではないだろうか






2017年10月23日月曜日

準備の合間にアーチボルド・マクリーシュを発見



昨日は台風の影響で時々強い雨が降っていた
今日は台風と選挙一過の気持ちの良い秋の日となっている
わたしの方は、途中散策を交えながら水曜と金曜の準備をする
今月のこれまでの状態を考えれば、まだ余裕があるという感じである
つまり、まだ盛り上がってこない

今日、準備の過程でアーチボルド・マクリーシュというアメリカの詩人にして劇作家を知った
Archibald MacLeish (1892–1982)
アメリカ議会図書館長も務めた
ピューリッツァー賞を詩の部門で2回、演劇部門で1回受賞しているという
次のような言葉が目に入った


"Freedom is the right to choose: the right to create for oneself the alternatives of choice. Without the possibility of choice and the exercise of choice, a man is not a man but a member, an instrument, a thing." 


Dr. Sigmund Freud Discovers The Sea Shell

Science, that simple saint, cannot be bothered
Figuring what anything is for:
Enough for her devotions that things are
And can be contemplated soon as gathered.

She knows how every living thing was fathered,
She calculates the climate of each star,
She counts the fish at sea, but cannot care
Why any one of them exists, fish, fire or feathered.

Why should she? Her religion is to tell
By rote her rosary of perfect answers.
Metaphysics she can leave to man:
She never wakes at night in heaven or hell

Staring at darkness. In her holy cell
There is no darkness ever: the pure candle
Burns, the beads drop briskly from her hand.

Who dares to offer Her the curled sea shell!
She will not touch it!--knows the world she sees
Is all the world there is! Her faith is perfect!

And still he offers the sea shell . . .

What surf
Of what far sea upon what unknown ground
Troubles forever with that asking sound?
What surge is this whose question never ceases?




2017年10月22日日曜日

第2回ベルクソン・カフェ2日目、終わる



昨日はベルクソン・カフェ2日目を開催した
前日の会の直後だったので準備が大変であった
今日は会場に向かう山手線の中でやっと最後の形が見えてきた
それほど遅れることなく何とか会場に辿り着いた

今回は直前に2名の方の欠席が伝えられたので、初回と同様に3名の方の参加となった
前回も感じたが、これくらいの人数だと肩ひじ張ることなく自然に議論ができるという印象を持つ
信州から参加された方もおられ、感謝したい
以下に簡単にまとめてみたい

ピエール・アドー氏のエッセイ「生きることを学ぶ」の後半4ページ半を3時間で読んだ
今日のところでは、ストア派とエピクロス派の対比が出ていた
ストア派は自己に常に注意を向け、道徳的な逸脱を監視している
プロソケイである
将来起こるかもしれない災いを思い描いて、その時が来ても耐えられるように準備する
プレメディタチオ・マロールムという
その意味では、精神が常に緊張を強いられる状態にある

それに対してエピクロス派は、この緊張を解こうとする
辛いことを思い描くのではなく、楽しいことを考え、コントロール可能な現在への集中を説く
「その日を摘め」(カルペ・ディエム)である
エピクロスは有名な「四つの治療法」(テトラファーマコン)を提示した
「神々は心配するに値しない。死は危険がない(死んだ後には何もないので心配する必要はない)。善いものは手に入りやすい。そして、悪いものは耐えるのが容易である」
これらは当時の人々を心配事から解放しただろうことを想像させる

そして、物理的な世界を瞑想すること、無限を想像することは、もの見方の完全な変化を惹起する
そこで広がるのは閉じた宇宙が無限に膨張する像で、自然がその姿を露わにする像である
この行為自体が魂の悦びを引き起こすのである
エピクロス派は友情を大切にし、共同体を作った
そこでは良心の検討と関連する誤りの公共での告白、友愛を基にした誤りの訂正が行われた
そして、それ自体が魂の鍛錬になったのである


会のまとめ






2017年10月21日土曜日

第6回カフェフィロPAWL、終わる



本日は、第6回のカフェフィロPAWLを開催した
他の会と同様、開始5分前にやっとのことで纏まりを作ることができた
そのためかもしれないが、最初のカフェでの撮影を完全に失念していた
懇親会には4名の方が欠席されたので、全員で9名の参加があった
その内、新しい方は北海道から参加された方を含めて3名であった

今日は、魂と肉体との関連を扱っているプラトンの『パイドン』を読んだ
真の哲学者についても論じられていて、人間は如何に生きるべきかという問いにも繋がるものである
心身問題は現代でも解決されていないテーマで、その原点にある作品と言ってもよいだろう
機械論者から見ると、魂の永遠などというテーマは議論するに値しないものかもしれない
事実、少し余裕を持った見方をする方々との間で興味深い活発な議論が展開していた
それはそのまま懇親会にも持ち込まれていた

わたし自身は霊魂不滅の真偽には興味はなく、生き方と絡めて読んでいた
つまり、そうだと想定した時にプラトンが考えたことには聞くべきところがあるという立場である
魂が永遠に存在するのであれば、魂の面倒は見なければならない
そのためには肉体の影響をできるだけ遠ざけ、魂そのものになって対象を観、考えるようにすること
肉体が魂の働きを邪魔するからである
そうしなければ真理は見えてこない
死が魂と肉体との乖離であるとすれば、真の哲学者の生き方は死人同然であるということになる

日本から見ると、フランスでのわたしは死人に近いと言えないこともない
おそらくそのためだと思うが、思索に集中するには良い状態にあるように見える
そのようなこともあり、プラトンの言いたいことはよく分かると感じながら読んでいた
参加された皆様はどうだったのだろうか
何かを考える機会になったとすれば幸いである

週末のお忙しい中、参加していただいた皆様には改めて感謝したい


会のまとめ









2017年10月19日木曜日

サイファイ研ISHEの活動への参加者数に驚く



今日は、明日のカフェフィロPAWLの準備をした
勿論、まだ姿は見えていない
最後の最後まで姿が見えそうもないことに変わりはないだろう
今回はプラトンの『パイドン』を読むことになる
実は昨日、懇親会で出た話がこのテーマにそっくりそのまま繋がることに驚いていた
こんなによく繋がるとは、という感じだろうか


今日、これまでのサイファイ研の活動に参加された人数について初めて調べてみた
昨日の雑談の中で訊かれたからである
その結果、総数が160名にも及ぶことが分かり、驚いた
リピーターの方もいるので、延べ人数となると更に多くなる
また、今年の春から始めたFPSSについては賛同者が36名で、今回も20名ほどの会になりそうである
これらの会で展開された議論がわたし自身を刺激し、変容に大きな影響を与えていたと想像される
参加された方々にも何らかの影響があったことを願いたい

これまでお時間を割いて参加された皆様に改めて感謝したい






2017年10月18日水曜日

東京理科大学、第二講とセミナーが終わる


  (左から)安部良、北村大介、水田龍信、小園晴生、久保允人、岩倉洋一郎の各先生


今日は、生命倫理シリーズの講義の直後にセミナーというハードなスケジュールであった
昨日は都内を移動しながらその準備のために明け暮れた
しかし、予想通り終わらず、今日の午前中に縺れ込んだ
昼食の予定もキャンセルして、何とか生命医科学研究所に滑り込むことができた
本当に困ったものである

今日の講義は「生命について」という大きなテーマとした
先週の英語の講義がどれくらい理解されていたのは分からなかったが、今日その実態が知らされた
実は直前、今日はスライドは英語でもよろしいが、話は日本語でお願いしたいとの連絡が入った
そのように準備して出掛けた

今回はスライドの数を減らして、ゆっくり説明するようにした
そして、残りの20-30分で小テストをするという形式であった
まだよく見ていないが、書いていることに自信を持っている様子が伝わってくる
前回、英語で質問していた子供の時にアメリカ生活を経験している学生さんがいた
しかしレポートを見ると、全般的に心ここになしという感じのものが少なくなかったようである
やはり、学生のうちは日本語でなければならないのかもしれない

講義の後はセミナーで、このところ考えている免疫の形而上学について発表した
こちらが考えている形而上学化の意味がまだ明確に伝わってこないという意見があった
それは、人によって異なる内容のものとして理解されることがあるのではないかという指摘でもあった
もう少し頭の中を整理し、説明を練り直す必要がありそうである

それから、免疫系の捉え方も研究者によって微妙に異なっているのを知り、驚いた
わたしは当然のものとして受け取っていたことでも疑っている場合があった
それは免疫系の中での現象の定義にも表れていた
データが蓄積されるにつれ、それまで明確に分けられていると思われたものの境界が怪しくなる
つまり、全体像が整理されるよりは、却ってごたごたして来るという状態を招くような印象がある
システムは自然界にあるのではなく、人間の頭で考えたものだとすれば、当然なのかもしれない
これからの科学の進展にも注目していきたい


セミナー終了後、生命研の諸先生との食事会があった
最初は科学のことから入り、途中政治の話も出ていたように記憶している
しかし最後は、魂の不滅や生まれ変わり、そして神や宗教の話にまで広がったのには驚いた
これは第三層の領域で、そこでは科学的思考から解放された様子を見ることになった
やはり、人間が考えているのである
そこには人生経験の影響もあるだろう
これから味わい深い境地に入って行くのではないかという予感のようなものも感じていた
まだまだ老年には早いという先生方もおられたが、、

このような展開になるとは予想もしていなかったので、実に興味深いものがあった
人がどのような考え持っているのか、話を聞くまで分からないものである
そのことを新たに実感した貴重な時間となった

お忙しい中、お時間を割いていただいた諸先生には改めて感謝したい








2017年10月16日月曜日

編集者との建設的なランデブー



本日も雨で、このところ雨天が続いている
それにしてもよく降るものである
こうして秋が深まっていくのだろう

今日は午後から編集者とのランデブーがあった
会社が新社屋に引っ越したとのことで、案内していただいた
翻訳の校正作業の進め方やそれ以後のことについても話が広がった

英米の本だけではなく、フランスの本をどんどん紹介していきたいという意向をお持ちのようであった
我田引水になるが、その背後に我々の意識の第三層を広げるところに寄与したいという願望を見た
その点での認識には共通するものがありそうである
総じて、前向きで建設的な話になったのではないだろうか
あとは、如何に実行するのかという問題だけである