2020年8月27日木曜日

ウィリアム・ジェイムズによる哲学的思考





















ウィリアム・ジェイムズが哲学的思考と一般人の思考の違いを説明している

哲学に入って10年以上になるが、未だに哲学的思考に弱さがあると感じているのでメモしておきたい

 

どんな哲学にも二つの部分がある。その一つは、その哲学が我々をそこにみちびいてくれる最終的な見解、信念、あるいは態度であり、もう一つは、その態度に至るみちすじにある推論である。ジェイムズ・フェリア―が我々にいうのを常としていたように、哲学はなるほど真なものでなくてはならないが、しかしそれは哲学に課せられた最小の要求にすぎない。哲学者でなくても、あて推量か啓示かによって、真なことをいうかもしれない。哲学者の真理を他の真理からわかつものは、それが推量によってえられるという事実である。想像ではなく、論証によって哲学者は真理を獲得しなくてはならない。(吉田夏彦訳)

 

簡単に言えば、より重要になるのは結論ではなく、その結論に至った過程である

そこで使われた論理の強靭さや明晰さ、論証のために持ち出したテーマの適切さのようなものである

まだまだ研鑽が必要である

 

翻って世の中に目をやると、結論だけを説明なしに言ったり、声高に叫ぶ場面に頻繁に遭遇する

どうしてその結論に至ったのかを説明しないか、できないのである

それなしには、その結果の検証もままならなし、将来にも繋がらない

ゆっくりと立ち止まって考えていないという印象で、すべてが流れ去って行く

頭の中に霞がかかったまま「こと」が進んでいくのである


 

 

 


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