2020年8月17日月曜日

ウィリアム・ジェイムズを近くに感じる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい蝶が訪ねてきてくれた

モンシロチョウ(Pieris rapae) だろうか

暫しの間、遊んでいってくれた

 

プラグマティズムを推し進めたアメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズが興味深いことを主張していた

死後に発表された『根本的経験論』(Essays in Radical Empiricism, 1912)である

わたしの中でのプラグマティズムの位置はそれほど高いものではなかった

ただ、この書の説明を読むと、ジェイムズの考えを見直さなければならないかもしれない

 

経験主義は知覚を介する経験を重視し、そこに超自然的な要素を持ち込むことを拒否する

この点は多くの人が同意するだろう

その上で、この経験には個別のものと個別のもの同士の関係が含まれているという

従って、現実の説明にはこの両者を取り込まなければならない

物質レベルで説明が止まり、ものから意味や価値が発生する過程を説明できないとすれば、その哲学は間違っている


これは「科学の形而上学化」に通じる考えである

科学の中での説明に止まっている限り、そこから生まれる意味や価値については盲目のままである

科学の発展に伴い、関連性や意味といったものに対する思考ががどこかに追いやられてしまった

ジェイムズからすでに一世紀が経過しているが、この状況に変わりはない

ひょんなことから新しい人との関係ができそうである


 

 

 

 

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