2019年8月22日木曜日

実りの秋



今日も申し分のない快晴で始まった
先週あたりに気付いたのだが、アパルトマン前の街路樹に小リンゴ?がたわわに実っている
根元にはその実が落ちて絨毯のようになっている
確実に秋が始まっている

ところで、今日も晴天につられて午後から旧市街へ
このところのプロジェに3時間ほど当たる
亀の歩みであるが、それに苛立つのではなく、愛することができるようになってきた
その僅かな積み重ねを

長い時間をかけての成長と言えるのだろうか





2019年8月21日水曜日

ボサーッとした翌日は



本日も快晴だが、涼しい
朝から旧市街へ
昨日閉まっていたカフェは夏時間になっていたようだ
確かに朝の客は少ない

今日はそこで考えをまとめようと試みる
昨日ぼさーっとしていたせいか、結局4時間ほど集中できたようだ
まとめたとされるものは、まだまだではあるのだが、、






朝の空気を感じながら



本日も晴れ上がってくれたので、朝から街に出た
まず旧市街のいつものカフェに向かうも閉まっている
そこで偶に入るカフェに行ったがなぜかネットに繋がらず、中心街のカフェへ移動
新鮮な空気を感じながら午前中を過ごす

午後からは結局のんびりと受け身で過ごした
Youtubeからは、ニーチェ、オルダス・ハクスリー、ジョージ・オーウェルなどが流れてきた
明日はこの状態から抜け出すことができるだろうか








2019年8月20日火曜日

トゥールがゆっくりと変容中



今日は気持ちよく晴れ上がってくれた
やはり週の初めは新鮮である
用事があり、午後から街に出た

久し振りにフランス語を使って会話をした
なかなか言葉が出てこないものの何とか用事を済ますことができた
日常生活で便利なことを知らなかったことが分かった


ところで、これまでも見ていたはずだが、目に入っていなかったようだ
街の中心部で工事をしていることは知っていたが、特に気に留めていなかったのだろう
今日の写真がその完成図のようである

これは、ロワール川の北側から近未来の街の中心部を一望したところ
ウィルソン橋の先がアナトール・フランス広場で、川沿い左にあるのが市立図書館
同じくロワール川沿いでウィルソン橋の右にあるのがトゥール大学
ここには哲学を含めた文系の学部がある

ウィルソン橋から少し行くと、左側にサン・ジュリアン教会、右側には現代美術館が見える
美術館はCCCOD(Centre de création contemporaine Olivier Debré)と呼ばれている
ここには一度だけ入ったことがある

今回の工事では、アナトール・フランス広場周辺に新しい建物がいくつか建つようだ
それから、ロワール川沿いの景色がかなり変わりそうである
ウィルソン橋の右の川岸にはお店が出ているが、それらは一掃され、広い道や段々の休息所になる
同じようなコンセプトで左の川岸も変容しそうである


それにしても、いつ完成するのだろうか
ゆっくりと、気が付かないうちに姿を変えているという感じになりそうである
如何にもフランス的で?、いいペースである





2019年8月19日月曜日

パースの哲学: 可謬主義と連続主義



本日は朝からしっかりと雨が降っていた
一雨ごとに秋が熟していく
向かいのグラウンドの芝もこれまで一部茶色くなっていたが、この雨で緑が浮き立ってきた
午後からは日の光が顔を出してくれた


昨日取り上げたチャールズ・サンダース・パースの哲学に興味深い考え方があった
7-8年前に調べた時にも気付いていたことを思い出す
自分の中にも見られる考え方でもあるので、ここで簡単に纏めておきたい

一つは、可謬主義(fallibilism)
如何なる信念や見解にも理性的な確実性はないという立場で、わたしも同意したい

もう一つは、連続主義(シネキズム: synechism)
この言葉は、ギリシャ語の連続性を意味するsynechésに由来する
唯物論は物が第一で、観念論は観念が第一のものの見方である
同じように、連続主義はすべてを連続性の中に見る傾向としてパースが提案した

物の世界と観念の世界が全く別物であるとは認めない
連続主義者は、わたしはすべてがわたしで、あなたでは全くないとは言うべきではない
死を迎えたとしてもすぐには意識はなくならないと連続主義者は考える
ただ、この世界に不連続がないとは考えていない

完全に理解しているとは言えないが、世界に広がるストア派の意識と関係するのだろうか
最近のわたしは、この存在が外に少しずつoozingを起こしているように感じている
繋がっているという感覚が、恰も物理的な変化を伴っているように感じているのである
これもシネキズムに関係しているのだろうか

この問題には、これからも注意して行きたい







2019年8月17日土曜日

チャールズ・サンダース・パースというアメリカの哲学者

   チャールズ・サンダース・パース


本日は朝から雨模様
一段と涼しくなってきた

昨日、メールで届いた情報からこの哲学者が蘇ってきた
チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce, 1839-1914)
記号論(semiotics)について調べていたのは7-8年前になるので、それ以来である
今日は彼の人生をざっと振り返ってみたい

彼は1839年にマサチューセッツ州ケンブリッジに生まれている
父親ベンジャミンはハーバード大学の天文学と数学の教授
10代後半から神経性の症状に苦しみ、その影響で社会との関係がうまく取れなくなる

子供のころから論理学の本を読み、終生論理の進め方に興味を持つようになった
ハーバード大学ではウィリアム・ジェームズと親交を結ぶ
ただ、40年間ハーバードの学長の椅子に座ることになる人物がパースを評価せず
大学での正規の採用が難しくなった
父親の影響もあり、1859年から1891年まで米国沿岸測量局での職は維持したようだ

1869年から1872年まで、ハーバードの天文台の助手
1879年、ジョンズ・ホプキンスの論理学の講師に採用
1884年、女性問題で大学を解雇される(これが唯一の大学での職となった)
この後も測量は続けながら、哲学、論理学、科学についての研究に打ち込む
1909年までの15年ほどの期間が最もプロダクティブだったようである

1887年、親からの遺産でペンシルベニア州ミルフォードに2,000エーカーの土地を買う
そこに引き籠り、「アリズビー」(Arisbe)と名付けた家を建てて執筆を続けた
1914年、その家で74年の人生を閉じた
800以上の発表論文(12,000ページ)の他、手書きの未発表原稿が10万ページ以上あるとされる

今ではアメリカの最も独創性に富む思想家とも言われているパース
彼に会ったホワイトヘッドは、パースのことを「アメリカのアリストテレス」と言ったという
因みに、ヨーロッパの知性が見たアメリカのプラトンは、ウィリアム・ジェームズとのこと







2019年8月14日水曜日

そういうものだと思うこと



シャッターを開けると、今朝も快晴
実に気持ちがよい
昨日、バスを待っている時に浮かんできた考えを思い出した

トゥールの町は所によっては古く、やや汚らしいところもあり、とてもいいとは言えない
これまでは、この状態をどうにかならないものかと思っていた
しかし、それこそがトゥールなのだと思えばよいのではないか、という考えが浮かんだのだ
そうすると、これまで違和感があった景色も美しいものに見えてきた
不思議である

この考え方は、現状に何の変化も齎さないのでコンサーバティブだとされ兼ねない
振り返ると、仕事をしている時は、いつも現状をどうにかならないかと思っていた
いまの状況に安住せず、どこか別のところ、何か別の状態を常に求めていたようだ
プログレッシブだったのだろうか
しかし、この状態はそこで生活していなかったことを意味しているのではないだろうか


一瞬の見方の転換であった





2019年8月13日火曜日

記憶を揺すって繋がりを探す



今朝は快晴だが、やはり涼しい
東京は未だに真夏日が続いているようだが、体調には十分にお気を付けいただきたい

昨夜は寝る前に何冊か速読し、古いメモに目を通した
そのせいかどうかわからないが、ボサーッとしている時より早く目が覚めた
脳を適度に刺激し、その後に発酵の時間が用意されているのだろうか
目が覚めたのは、これまでに見えなかった繋がりが見えたところであった

この関係は以前にも経験しているので、わたしの法則になるのかもしれない
これからは読書の、沈潜の秋
頻繁に試してみたい


ところで、今日も朝から旧市街へ
朝の冷気はどこかを刺激する
道路工事は続いているが、道の閉鎖は解けていたのでバスを利用した

待ち時間にサックのポケットに気付き中を覗いてみると、数年前のメモが7-8枚現れた
中にもう忘れていた非常に重要な記述があり、嬉しくなる
どこかに繋がりそうである








秋空の下、久しぶりに街へ歩く



今日も朝から涼しかった
朝の内、曇っていたかと思えば午後には晴れ上がり、そうかと思ったら再び激しい雨
夕方には再び晴れてくれた

こんな天気を愉しみながら、今日は午前と夕方に旧市街と街中に出た
道路がガスか水道の工事のため閉鎖されているため、アパルトマンの近くにはバスが通らない
仕方なく、別の路線まで歩くことにしたが、涼しいためか気持ちがよい
帰りも離れたところで降りて歩いてきた

もう秋の気候のせいか、外での仕事も結構集中できたのではないだろうか
進み方とは比例しないのだが、、
明日も今日のやり方に肖ってみたいが、起きてみないと分からない

ところで、ロワールの水嵩が減っているようだ





2019年8月11日日曜日

ディベート「21世紀に宗教の場所はあるか」を観る





今日は朝から雨模様で、非常に涼しい
もう秋に向かっているようだ
昨日に続き、ケンブリッジ・ユニオンにおけるディベートを観た

テーマは「宗教は21世紀の生活に合致しているか」である
宗教の役割は次第に少なくなるという立場の人の中にはリチャード・ドーキンス博士もいる
確かに、宗教が人類にいろいろな害を齎したことは認めなければならないだろう
その中には宗教の名を語ってのものも含まれているかもしれない

わたしの印象に残ったのは、宗教には意味があるとする最後の人の考えだろうか
彼は自らの無神論者とした上で、次のようなことを言っていた
人間の生活で重要になる問題の中には無神論の世界では扱われないものが含まれている
死の問題であり、赦しの問題であり、自己の問題であり、価値に関わる問題である
宗教はその問題を考えてきた
そのことはいつの時代にも無視できないのではないか
その上で、これまでは宗教が人々の生活を制約してきたが、それは止めなければならない


参加者の判定は、21世紀も宗教には場所があるというものであった
いずれにせよ、このような機会が日本では殆ど見られないのは残念である






2019年8月10日土曜日

ジェームズ・ボールドウィンとウィリアム・F・バックリーの対論を観る





1965年、ケンブリッジ大学で行われた歴史的ディベートを観る

アメリカの黒人作家ジェームズ・ボールドウィン VS. 保守派の論客ウィリアム・F・バックリー

テーマは「アメリカン・ドリームはアメリカの黒人の犠牲の上に成り立っているのか」

肯定するボールドウィンのサイドが圧勝したようである


こういうのを見せられると、言葉の持つ力を信じたくなる

彼らの文化が我々のものとは全く別物であることを痛いほど感じざるを得ない

真剣なるディベートの伝統は、日本には根付かないのだろうか







涼しさが秋の気配



昨日一昨日とやや暑い日が続いたが、これまで通り外に出ていた
今日は涼しくお昼辺りから雨が混じる展開だったが、午後には収まったので外に出た
少しだけ集中力が増してきたように感じるが、おそらく錯覚だろう

今日はもう秋の気配である




2019年8月7日水曜日

こんな日は迷わず外へ



日本では真夏日が続いていると聞く
さぞ大変であろうと同情する
幸いこちらはこのところ20℃台
今日は曇りで特に涼しかったので旧市街に出る
完全に観光地の様相を呈していた

そんな中、これまで籠っていてはできなかったことにすんなり入っていくことができた
気分が爽快になり、さらにできそうな気がしてくるから不思議である
こういう状態が続くと理想的なのだが、、
兎に角、こんな日は迷わず外に出ることにしたい







2019年8月2日金曜日

いい感じの植物園のカフェ



今日は完璧な快晴である
思い描いていた予定を朝の気分で変更し、植物園のカフェから一日を始めることにした
何度か行っているので、ご主人は全くの他人とは見ていないことを感じる
お昼が満席になるとのことで、それまでの2時間ほどをいい感じで使うことができた
午後からどんなことになるのか、楽しみである




2019年7月31日水曜日

秋は始まっている



今日は用事があり、朝からパリへ
想定とは異なり、バスが来るまで運悪く20分の待ち時間
これはTGVに乗り遅れると思ったその時、タクシーが来てくれた

問題が起こった時、思いも掛けないような解決が待っていて、何もなかったように次に進む
このような展開をよく経験するようになっている
あるいは以前にもあったのだが、よく観察していなかっただけなのかもしれない

街を歩いていると、すでに枯れ葉が芝生を覆っている
ところによっては、掃除の後か、山のようになっているところもある
秋が忍び寄っている

用事の方は問題なく終わった
朝のカフェもよい集中ができた
これからトゥールに戻る

今日はオステルリッツ駅からのアップとなった






2019年7月30日火曜日

A・N・ホワイトヘッド「単純さを求めよ、而してそれを疑え」



昨夜、A・N・ホワイトヘッド(1861-1947)のプロセス哲学関連のビデオに行き当たった
その中に、この哲学を引き継いだチャールズ・ハーツホーン(1897–2000)が出ていた
名前は知っていたが、どのような哲学者かは知らなかった

お話を聞いていると、真摯に探究する人という印象を持った
そこで紹介されていたホワイトヘッドの言葉に膝を打った
"Seek simplicity and distrust it."
このようなことが言えるホワイトヘッドには天才がある、とハーツホーンは言っていた
こういう反応によって、哲学とはどういう営みなのかについての感触を得ることができる
この言葉は、次のような文脈にあったものだ
「科学の目的は、複雑な事実の最も単純な説明を求めることである。単純さが我々の探求の目的なので、求める事実は単純であると考える誤りに陥りやすい。すべての自然哲学者の人生を導く座右銘は『単純さを求めよ、そしてそれを疑え』でなければならない」
わたしなりに少し敷衍してみたい
科学は17世紀以降、大きな発展をしてきた
その根にあるのは、還元主義や物理主義や決定論を科学の哲学にしたことである
単純化の道を歩んできたのである

しかし、そこで得られたものが自然を反映していると言えるだろうか
自然はもっと複雑なはずである
つまり、単純化して得られた結果は、常に反省の対象でなければならない
これはわたしの言葉で言うところの「科学の形而上学化」に当たるのではないのか
哲学者の役割は、まさにそこにあるとも言えるだろう

実は以前からホワイトヘッドは気になる存在であった
人生の歩みに興味を持ったのが最初であった
また、有機体の哲学を展開した人でもある

思わぬところから、ホワイトヘッドに繋がる糸口が見えてきた感じがしている






2019年7月27日土曜日

熱波からの帰還





今朝は小雨が降り、昨日とは20℃ほど気温が違う
やっと落ち着いてくれたせいか、月曜のような気分であった
今日から活動開始という感じである

朝から用事があり、外に出た
しかし、後から勘違いをしていたことに気付き、戻る
こういうことが多くなっているが、こころの揺れは全くない

今日は結局三か所で仕事らしきことをすることになった
若いアメリカ人の学生か観光客の話声を大きく、気になった
途中リブレリーに寄り、新しい本を探す

夕方、久しぶりに涼しい風を部屋に入れることができた
やはりホッとする




2019年7月26日金曜日

合唱というジャンルを発見




それにしても本日も40℃を超え、カニキュールが続いている
何ということか
結局、諦めてぼんやりすることに
ネットサーフしている時、合唱が流れ始めたのでそのままにしておいた

久し振りに聞く合唱だが、暑い中こころを鎮める効果があることを発見
これまでは殆ど訴えかけることがなかったジャンルだ
一つ大きな要素は、日本語の詩をより純粋な形で味えるところにあるようだ
詩を味わうもう一つの方法と言ってもよいかもしれない

そのタイトルは「群青」となっていたので別の曲を予想して聴き始めたが、なかなか良い
その昔の心象風景を思い起こさせるところがある
懐かしさとでも言えばよいのだろうか
そこに向かうことは心頭滅却の方法になるのかもしれない

思わぬ発見であった












2019年7月25日木曜日

バルザックでも読みたい気分の夕暮れ時



予報は中ったようだ
朝から快晴で、しっかりと暑い
カニキュール二日目、今日は籠ることにした

夕方、植物園の柵で展開されているバルザックとワインの写真展を撮るために出かけた
トゥール生まれのバルザックの小説には「トゥール」が出てくるようだ
残念ながら、まだ読んだことがない

写真の添えられた引用を読んでいるうちに、読んでみたい気分になってきた
小説にはなかなか手が出なかったが、そろそろよいのではないか
そんな声も聞こえた時間が止まったような夕暮れ時である







2019年7月24日水曜日

カニキュール、再び



今日は熱いなぁと思ったら、40℃を超えている
予報によれば、明日と明後日も40℃を超えそうである
電力会社からメールが届き、室内の温度を上げないように窓などは閉めましょうとのこと
確かに、普段は外気を入れると気持ちがよいのだが、今日は逆効果だ
シャッターまで閉めた方がよさそうである

これを言い訳にプロジェをお休みにしたいところだが、、