2016年8月28日日曜日
凌ぎやすくなったトゥールからパリに戻る
今朝のトゥールは涼しく、気持ちが良かった
まさに、外に出なければならない時期だけ熱波が襲ってきたことになる
まあ、それもこれから記憶を助ける一つの要素になるのではないだろうか
今回の目的はほぼ達し、生活の感触も掴めたように思う
午後、満足してパリに戻った
2016年8月27日土曜日
連日のカニキュールの中、中心街へ
さすがに昨日はこの体にとっては無理だったようで、今朝は鼻水が流れていた
それと運動不足は否めない
ただ、そうはいってもおられず、仕事のために街中に出る
いやはや暑い
ラブレーさんも参ったという表情だ
フランスで夏に外に出ることが少なかったためか、これほど熱いと感じたことはないのではないか
仕事を終えた後、ロワールの方に歩を進めた
こんな日は、こうあるべきなのだろう
実に気持ちよさそうである
人間もやはり動物
こんなところを見ると思わずにんまり、そういう感慨が浮かぶ
洪水の話を聞いたばかりだが、ロワールの水量が数年前に比べると少ないようだ
冬と夏の違いがあるのかもしれないが、ウィルソン橋の辺りは激しい水の流れだった
昨日のバスの中での争い、ひょっとするとこの天候が少しは絡んでいたのかもしれない
それほどの暑さである
カニキュールの中、デメナジュマン
トゥールの新しいアパルトマンでの最初の一日が終わった
カニキュールの中、デメナジュマンに明け暮れる
午前中は配達を受け取り、午後からは近くにあるというショッピングセンターへ
日常品の調達だったが、炎天下、結構な荷物を持たされ、汗だく
一段落してから、さらに足りないものが見つかり、今度はバスを乗り換えて南に向かう
その店はバス停からかなり離れている
幹線のわき道を歩くという感じで、こちらも汗びっしょり
特に、帰りはそれなりの荷物を抱えての歩きだったので、休み休みになった
普段であれば絶対にやらないような行軍だったので、自分でも驚いている
やはり、車でもなければ不便なところなのかもしれない
いずれにせよ、文字通りの骨格だけは出来上がったと言えるだろう
行きのバスの中でのこと
突然、男女が大きな怒鳴り声を出して口論を始めた
それから真剣な殴り合いがあり、最後には逆上した女性がバッグからかなりの長さの刃物を出した
これにはさすがに驚く
そこに割って入った男の方の連れがいなければ大変なことになっていたのではないだろうか
周りは静観するしかない状態であった
こんなことが起こる町であることを知った
そう言えば、中年の紳士がアパルトマンについて説明している時、こんなことを言っていた
トゥールにはロワールとシェールという二つの川が流れているので洪水の危険性があること
以前に訪問した時、ロワールの川岸にその歴史が刻まれているのを見ていたので驚かず
さらに付け加えて、地震の可能性も否定できないので、気を付けるようにとのことで驚く
洪水は probable だが、地震は possible ということなのだろうか
そんなことが起こるのか、という繋がりで思い出した
ラブレーさんも耐えているこの暑さ
明日も続くのだろうか
2016年8月26日金曜日
これが la canicule
今日はトゥールのアパルトマンの最終手続きがあり、先週に引き続きこの町に来た
昨日から異常に暑いと感じていたが、今日はまさにカニキュール
日本ほどではないが、蒸し風呂にいるような気温の中、体が腫れ上がったように感じている
ホテルの自販機の水は完売
外に出るにも暑くて嫌になる
そう言えば、昨日SNCFからカニキュールにご注意というメールが届いた
こんなことは初めてで、水だけは持って乗り込んだ
不動産屋さんも初めての方だったが感じがよく、アパルトマンの引継ぎも問題なく終わった
ただ、現場に来るのは女性だと聞いていたので、姿は見えたのだが声を掛けるところまで行かず
後でわかったことだが、携帯にはその旨の連絡が入っていた
明日からデメナジュマンの作業を始めることになるが、こう暑いとどうなるか
仕事を抱えながらのことなので、尚更大変である
2016年8月19日金曜日
トゥールを歩き回る
« élévation » David Léger 2013
昨日、いろいろな事務手続きのためトゥール再訪
これからの準備も含めてトゥールを歩き回る
全身をよく使った
これでもまだやることが残っている
場所を変えるのはそれなりに大変である
しかし、パリと頻繁に移動する中で、フランスが徐々に浸透してくるような感覚が生まれている
トゥールは十数万の町
交通の便はよく、町が鼓動しているような印象がある
カフェで働いている人たちも元気があり、そしてより近くに感じることができる
これまで通り生活のポイントとして、楽しめそうである
今朝、今回最後の用事を済ますために町中に出た
そうすると、迷彩服に自動小銃の十名程度がゆっくり歩みを進めていた
小さい町だが、可能性を否定することは難しいということだろうか
少し驚いた
lundi 22 août 2016
上の写真を改めてじっくり観る
その時は、こんな雲だったとは思わなかった
神々しいというか、現実離れした雲に映っている
肉眼では掴みきれていないことが写真に現れる
こういうことがしばしば起こる
今回も驚いた
2016年8月13日土曜日
トゥール最終日、ヴィランドリー城を訪問
ジャン・マルク・ド・パ(Jean-Marc de Pas, 1962-)
昨日は友人の案内でヴィランドリーにあるお城を訪問した
トゥールからバスで40分ほど
ロワール川とシェール川を眺めながらの短い旅であった
庭園が有名らしく、結構な人出であった
かなり広いので見応えがある
お城も見応えがあった
ほぼ4時間の散策となった
所期の目的をほぼ達成してトゥール滞在を終え、本日パリに戻った
これからは事務的な手続きが待っている
無事に進むことを願っている
トゥール周辺の地図を見ると、お城が沢山あり、観光の目玉となっている
ダビンチ晩年の地もある
そういう目で見れば、尽きないものがある地域なのかもしれない
2016年8月11日木曜日
トゥールでも翻訳の見直し
今朝のトゥールは風が涼しく、秋を思わせた
朝の路上のカフェは実に気持ちが良い
新しい住処に関しては着いた時の気持ちとは異なり、心静かな状態になってきたようである
なので、今日は翻訳の見直しをすることとした
慣れない作業でもあり、最初の方は四苦八苦してやっていた
しかも全体がよく見えていない状態だったので、問題山積ではないかと想像していた
全体が終わるころになると、訳語の選択や訳し方の自分なりの方針が決まってきた
その視点から全体的に見直す必要がある
まさに、コツが分かった時にはすべてが終わっているのだ
ということで、改めて原文を見ながら確認することにした
そうすると、予想通り、至るところに修正が必要なところが見えてくる
これは致し方ないことなのだろうが、相当の労力が求められる
集中力が持続しないので、カフェを数件とホテルで間隔を置いてやらなければならない
だましだましやるという感じである
物理的な条件さえ揃っていれば簡単なのだろう
しかし、それが難しいのが時の流れの中に生きるわれわれ人間なのかもしれない
心と体の問題は、殆ど永遠である
今は最善を尽くすしか方法はなさそうである
2016年8月10日水曜日
現地を訪問
本日、候補の一つを見るために出掛ける
約束の時間より早く着いたので、周りを散策
静かな住宅地という感じで、何もない
少し不便ではないだろうか 、これで耐えられるだろうか、など問い掛けが湧いて出る
これまでであれば難しかったかもしれないが、昨日も書いたように、これからは大丈夫ではないか
そんなところに落ち着いた
担当者が予定通り顔を出す
エレベータとかホールの感じがいまのところと少し似ている
部屋は今のところよりも広く、瞑想の場になっているバルコンも十分である
それで家賃はいまの6割程度
非常にありがたい
いまのところ他に可能性がないので、この線で考えることになりそうである
最終的にもそうなるのだろうか?
昨日、いろいろなところを回っていた時のことを思い出した
担当者がどちらの出身ですかと訊いてきた
答えると、あなたのフランス語には英語の鈍りがあるので違うと思いました、とのこと
まず、アクセントがあるなどと言ってもらえるようなフランス語ではないので驚いた
思い返すと、同じようなことをその昔言われたことがあったような気もする
個人的には英語のアクセントは締りがなく好きではないのだが、致し方ない
2016年8月9日火曜日
再びトゥールへ
先月、トゥールの住処を決めるつもりだったが、一ヶ月ズレることもあり、改めて考え直すことにした
今日はその初日である
天候などの外界の条件と内面の状態により、ものの見え方が大きく変わってくる
それからどれだけ対象に触れているのかによっても変わってくる
トゥールは今回で4回目になるが、これらの条件が絡み合って選択の基準が大きく変わってきた
そこに住んでいるような感覚が増しているためだろうか
それまで頭の中では受け入れられないと思っていたことでもそれほど気にならなくなるのだ
こんなことを感じながら、朝から前回寄らなかったところを回った
書類では良さそうでも実際に行ってみるとこれは大変という場所もあったりする
そうすると、以前は目に入らなかったものが急によく見えてくる
仕事場との関係で言えば、これまでは離れたところが良いと思っていた
これも、これからのライフスタイルがどうなるのかによって変わってくるだろう
フランスに来てからは外の世界に身を晒し、それを内に刻印するというような生活であった
それがここ1-2年で変化してきた
落ち着いて内に向き合い、考えを纏めることができるようになっている
これからは外から入るベクトルが弱まり、内から外への働きかけが強くなるのではないだろうか
これまでの蓄積を読み解きながら
それが自分にとって最も自然で無理のない方向性になる
大学からの拘束はほとんどないはずだが、いろいろな資料に近い方が便利なこともあるだろう
絞られてきた的を明日実際に見て、許容範囲であれば決めたいと思っている
どうなるだろうか?
2016年8月5日金曜日
粗訳終わる
今年は年明けから翻訳を一つのプロジェとして進めていた
長い道のりだったが、最近やっとのことでその粗訳が終わった
それは信じられない出来事であった
よく耐えたものである
これまでのやり方は一文ずつ訳していくというもので、前後の関係に目を配っている暇はなかった
ということで、続けて読んだ時に違和感を感じるところが多いのではないかと予想される
単純な間違いや訳し忘れ、それから修飾している言葉が明確になっていないこともあるだろう
さらに、訳語の選択の再検討も必要になりそうである
これらすべてに注意しながら、読み直すのが今月の仕事になる
翻訳というのものが、相当のエネルギーを消耗させることがよく分った
これまで気が付いたことが出てきた時、「翻訳ブログ」に書き付けておいた
すべてが終わった後には、全体的な感想が出てきそうな気もしている
2016年7月28日木曜日
イポリットさんからカンギレム、リクール、フーコー、バディウさんへ
ジャン・イポリット(Jean Hyppolite, 1907-1968)という人がいる
ヘーゲルを訳すためにドイツ語を独学したという人である
あるいは、訳しながらドイツ語を学んでいったと教えられた人である
いまフランス語の翻訳をやっているが、そうしながらフランス語を学んでいるという感覚がある
それでイポリットさんことを思い出し、どんな人なのかネットで探してみた
そこに現れたのが今日のビデオ
とにかく、出てくる人が豪華なのに驚いた
ジョルジュ・カンギレム(1904-1995)、ポール・リクール(1913-2005)、ミシェル・フーコー(1926-1984)、アラン・バディウ(1937-)さんなどが哲学と真理について語り合っている
ディナ・ドレフュス(Dina Dreyfus, 1911-1999)という女性が出てくる
調べたところ、レヴィ・ストロースさんの奥さんであった
もう半世紀も前の映像である
全体の雰囲気がフランス語を始めた当時に感じたフランスものへの違和感を思い出させる
それは、それまでとは全く違う世界が広がっていることを予感させるものだった
まず、バディウさんが若く、痩せているのでご本人とはどうしても認識できなかった
それから、イポリットさんがタバコをやりながら話している
昔のビデオでは良く出てくる光景だ
そして何よりも、皆さん自由に話している
見せかけではなく、話の中に真剣さがある
近頃ではなかなか見ることができなくなった時空間である
また、このようなテーマも今では扱われることが少なくなっているように見える
わたしにとっては興味深いものなのだが、、、
2016年7月27日水曜日
メチニコフ没後100年シンポジウムのご案内
本日、パスツール研究所からシンポジウムの案内が届いた
メチニコフ(1845-1916)の没後100年を記念してのものである
面白そうな話も出そうだが、当日は別の用事があり、残念ながら参加できない
別の形で公開される情報があれば有難いのだが、、
以下に貼り付けておきたい
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Elie METCHNIKOFF Legacy : From embryology to aging from phagocytes to microbiota
September 26, 2016 Institut Pasteur - Paris
http://www.metchnikofflegacy2016.org/
Overview
This year, we celebrate one century of the many legacies of the great scientist Elie Metchnikoff. The Institut Pasteur organizes a one-day symposium that will illustrate the impact of his work on modern biology. The Institut is also displaying an exhibition that presents the life and multiple achievements of Metchnikoff, who worked here for 28 years. Metchnikoff is considered the father of phagocytes, innate cellular immunity, probiotics and gerontology. His initial work as a comparative embryologist led him to be one of the founding fathers of immunology, and develop a new understanding of physiology and pathology. As an illustration of his boundless curiosity, his team investigated inflammation in guinea pigs, rats and frogs, infectious diseases in monkeys, caimans and geese, and aging in parrots, rabbits, dogs and humans. He then explored the gut microbiota of these animals and generated germ-free organisms. His later studies led him to propose that fermented milk delays the deleterious and pro-aging effects of toxic compounds released by putrefactive gut bacteria. Finally, he was also a philosopher, and ventured into writing essays on natural harmony, human disharmony, pessimism and, in the face of it all, optimism. In all these fields, Metchnikoff has been a visionary, publishing more than 200 papers in the Annales de l’Institut Pasteur. He has also been a remarkable team leader and mentor, supervising more than 100 young trainees and collaborators. This symposium will begin with an opening talk to remind us of the life and many achievements of Elie Metchnikoff. The sessions will then illustrate the four major scientific fields pioneered by Metchnikoff - embryology, macrophages and immunity, microbiota, and aging. The speakers will illustrate these periods through their own work, and project their modern visions of Metchnikoff’s legacy. Finally, a closing talk will reflect on the visions of Metchnikoff for the future of biology.
Organizing committee
Jean-Marc CAVAILLON, Institut Pasteur, Paris, France
Jean-François CHAMBON, Institut Pasteur, Paris, France
Philippe HERBOMEL, Institut Pasteur, Paris, France
Elisa PERDIGUERO-GOMEZ, Institut Pasteur, Paris, France
Scientific Programme
Opening Keynote
| Metchnikoff's history and legacy | ||
| Jean-Marc Cavaillon |
Session 1 - From embryology to immunology
| Comparative macrophage biology |
| David Hume Unversity of Edinburgh, UK |
| Phagocyte development in zebrafish |
| Philippe Herbomel Institut Pasteur, Paris |
| Resident macrophages |
| Elisa Gomez Perdiguero Institut Pasteur, Paris |
| Phagocytosis in Dictyostelium |
| Thierry Soldati University of Geneva, Switzerland |
| Macrophage polarization |
| Subhra Biswas A*Star, Singapore |
| Macrophages as APCs |
| Emil Unanue Washington University, St-Louis, USA |
Session 3 - Influence of microbiota on immunity and health
| Microbes and immunity |
| Gérard Eberl Institut Pasteur, Paris |
| Microbial metabolites and pathology |
| Mark Brown Cleveland Clinic, USA |
| Microbiome and human health |
| Johan van Hylckama Vlieg Hansen, Denmark |
Session 4 - Aging
| Pathology associated with aging |
| Philippe Amouyel Institut Pasteur, Lille |
| Microgila in aging |
| Amanda Sierra University of the Basque Country |
| Rejuvenation of the aging |
| Lida Katsimpardi Institut Pasteur, Lille |
Closing Keynote
| Macrophage immunobiology |
| Siamon Gordon University of Oxford, UK |
2016年7月22日金曜日
開かれた大学
用事があり、久し振りに大学へ
身分証明書を出そうとすると、要らないという
そう言われて他の門を見ると、すべて開いている
この解放感は何とも言えないものがある
以前、特に不都合を感じていなかったのだが、それがなくなると以前の状態が異常に見えてくる
今は目に見えないつかえが少し軽くなったように感じる
昨日からBNF生活を始めた
しかし、眠気が襲ってくることに変わりはなかった
今日はどうだろうか
2016年7月21日木曜日
フランス社会の 「イスラエル化」 ?
今週の月曜
いつ殺されてもおかしくないという微かな意識が奥底にあり、それは戦争状態ではないかと書いた
昨日の散策で買ったLe Pointを読んでいたところ、この状態について考えている人を見付けた
ドミニク・モイジ(Dominique Moïsi, 1946-)という政治学者である
彼はテロが永続的にある社会で陥る精神状態を「精神のイスラエル化」と呼んでいる
第六感とか反射がこの状況に対する適応として起こって来ると考えている
進化の過程では必須になる適応かもしれない
もう7年前になるが、イスラエルで次のような観察をしていたので、この形容がよく分かる
ナタン・シャランスキーさんのアイデンティティとは、あるいは内が外のイスラエル?(2009-6-14)
この記事の中に次のように書いてある
今回の短い滞在では確かなことは言えないが、エルサレムの街中で多様な人の波を見ている時、ひょっとしてこの町はここに住んでいる人にとっても外国なのではないか、という思いが湧いていた。世界で最も多くの外国人を受け入れている国に入るらしいので、ある意味当然のことかもしれない。外に開いているのだが、内が外に捲れ返り、内側の粘膜が外気に触れているという印象である。日本人がぬくぬくとした家の中に丸まり込み、内輪の話に明け暮れているように見えるのとは対照的で、ここから眺めるとその落差が益々際立ってくる。旧市街に向かう時に出会った紳士の言ではないが、それを幸せに感じて一生を終えることができるとすればそれに越したことはないのではないか、ということになる。また、イスラエルの若手研究者がストレスの生物現象に与える影響について発表する時、それはまさにこの町で常に緊張とストレスの中で暮らす影響と言ってもよいでしょう、と冗談めかしたおそらく本音の比喩を使うことにもつながっているのだろう。ただ、いまのフランスがイスラエルの状態に近いということではないだろう
パリの街を歩いていてもエルサレムを思い出すことはなかった
新しい状況への必然的な適応として、イスラエルで経験されてきた精神状態が生まれつつある
いまはそう理解しておきたい
最後まで読んでから、また付け加えるかもしれない
偶には発散を
蒸し暑い日が続いている
昔からこんなに暑かったのだろうか
プロジェを抱えているが、さっぱり進まなくなって来た
エンジンがオーバーヒートしたという感じである
ここは無理に向き合おうとしない方が体に良さそうだ
ということで、少し発散することにした
2016年7月18日月曜日
一昨日からの瞑想――時間、空間が融合する
フランスでもテロが頻発するようになっている
それに伴い、外に出た時、以前にはなかった心の変化が起こっている
一昨日、明確にそのことを意識できた
例えば、カフェで何かをしている時、心の奥底に微かにこんな思いが生まれるようになっている
それは、いまこのカフェに銃弾が浴びせられても何の不思議もない、というものである
これまさに、いま戦争状態にあることではないだろうか
一昨日の会話からこんな瞑想に繋がった
住む場所が変わる時、どのような心の変化が起こるのか?
その場を去る寂しさとかその場に対する懐かしさという感情が湧いてくるのかという問いでもよい
それがこちらに来てから全くなくなっているのだ
寧ろ、それらの場所が同じ平面で繋がり、広がっているという感覚が強いのである
住む世界が広がっているという喜びに似たような感情の方が大きくなっている
若い時、仕事をしている時にはそうはならなかった
それだけに、その驚きは大きい
どうしてそんなことになっているのか?
これは「過去を現在に引き戻す」という作業の過程で生まれてきたものと関連しているように見える
時間に関して言えば、過去も現在と同じ平面でその辺りに転がっているという感覚になっている
時間のこの捉え方が空間の捉え方に感染してきたように見えるのだ
つまり、それぞれの空間もその辺りに転がっていて、距離を感じなくなってきているのである
この時空が繋がって境がなくなるという感覚は不思議な感情を呼び起こしている
それはどこかで幸福感とも繋がっているように見える
時空をどう捉えるのか
この世界をどう見るのか
それがわれわれの存在に特別の意味を与え、それが同時に幸福感を与えているようなのである
そして、いまの社会状況はわれわれの生が本来持っている本質の確認を改めて迫るものでもある
この瞑想、哲学の本義に関わる問題に繋がることだったのである
2016年7月17日日曜日
半年ぶりのディネ
今日は完璧な快晴である
久し振りではないだろうか
昨日はバカンス真っ盛りの雰囲気の中、カルチエラタンに出て少しだけ仕事
やはりアパルトマンにいるよりは集中できる
夜はやはりカルチエラタンで友人とのディネ
正確には半年以上振りではなかっただろうか
デカルト通りに面した開放的で簡素な店内は気持ちが良い
店員のフランス語がやけに早く聞こえた
その跳ねるような音がまた心地よさを運んで来てくれる
いろいろな話に盛り上がり、最後は11時近くなっていたのではないだろうか
夜が明るいので時の流れに気付かなかった
2016年7月15日金曜日
久し振りのアナ・モウラさん、そしてマリザさんを発見
カフェで仕事をしようと思った時、微かに聞き覚えのある歌声が耳に入った
名前はすぐに出て来なかったが、どこにその情報があるのかは分かった
もう5年も前のことであった
ファド歌手アナ・モウラを聞く Ana Moura, chanteuse portugaise de fado (2011年3月6日)
Ana Moura (born 1979)
以下、最近のものと思われる作品を聴いてみることにした
元気が出るものが見つかったので暑気払いも兼ねて貼り付けておいた
体が自然に動き出す
タイトルもお休みを意味するようである
お陰様で仕事もどこへやら
想定外のオフモードになった
検索の途中、マリザ(Mariza, born 1973)という歌手も目に入った
こちらも最後に貼り付けておいた
ポルトガル語に漂っている哀愁のようなものに親近感を覚えているようだ
2016年7月14日木曜日
哲学は探究か?

体系の構築に対して、探究こそが哲学だという考えも存在する
今日は「体系は幻想」と考えているイヴ・ミショー(Yves Michaud, 1944-)さんの考えを読んでみたい
哲学における体系と探究を彼はこのように見ている
体系とは、現実の全体を包括する概念や表象の整合性ある一つの集合である
探究とは、一つのものの構成要素を確立するための検討である
その中には、現実の一つの次元、人間の生の一つの状況などが含まれる
彼も最初はマルクス主義や実存主義というような体系に至ることを目指していた
しかし、それは不可能であることに気付き、探究に、そして「試み」に向かった
体系を断念した理由は、科学理論を研究していたことと関係する
科学において絶対的な真の概念は何もないことに気付いたのである
真とされるものは、ある時点で現実を説明できるように組み立てられたものに過ぎないからである
探究者にとってまず重要になるのは、可能な限り詳細に記載することである
それから、別の枠組みから見ることができること
例えば、人間の目から見ると同時にタコの目から見る
西からと同時に東からという具合に
真の懐疑主義、純粋の研究である
ミショーさんの哲学は、非常に多様な概念的枠組みとともに現実を記載しようとする試みである
探究は行動に結び付くのか?
探究の根にあるものは、われわれが生きている中での問題を解決したいという切実感である
まず探究により状況を明確にしてから選択が生まれる
前段が哲学者の仕事である
行動は探究の後からついてくる
もし正しいと考えたのであれば行動すべきだとミショーさんは考えている
2016年7月13日水曜日
哲学は体系の構築か?
先日のPhilomagで取り上げられていたテーマの一つ
「哲学は体系の構築を目指すのか、それとも(真理を)探究するものなのか」
それはわたしが哲学に入る時に思い描いていた哲学像とも関連する
哲学という言葉さえ意識から消えていた時のイメージは、前者ではないかというものだった
もしそうであれば、あまり向いていないのではないかと考えていた
わたしの思考方法にはないものだったからである
しかし、実際にはそれは哲学の一部の営みであることが「思想の七大陸」を見れば明らかである
上の写真はアラン・バディウさんの考えを図にしたもののようである
彼は形而上学の体系を提唱している稀な哲学者として紹介されている
この図をじっくり見ながら頭の中を整理すると、いろいろなものの繋がりが浮かび上がってくる
以下、彼の考えも交えながら思いつくまま書いてみたい
まさに体系的な思考をしない人間の本領発揮だろう
体系の野心は、思想や存在するものの「全体」を包み込むこと
そのためには内的な統一性が要求される
その中にある要素間の繋がりが論理的に説明できなければならない
それは批判に晒されるものであり、より整合性のあるものに向かって開かれているべきだろう
バディウさんは自らを厳密な意味での体系の構築者とは見ていない
その理由は「全体」とか「一」、「一者」いう概念を信用しておらず、敵でさえあるからだと言う
彼は「差(la différence)」と「多(le multiple)」の哲学で「全体」の哲学に対抗する
ただ、数学の教育を受けたので、言説を体系化しようとすることには親和性があるようだ
存在とは抽象的なカテゴリーだが、在るものすべて、在り得るものすべてを指す
バディウさんは、それを「純粋な多」と考えている
在るものすべては要素からなるが、そこに多数性がある
分解していくと原子のような究極の要素に辿り着くというのではなく、「空」が最後に残ると考える
それが「純粋な多」の意味だという
それから存在には局在するという性質がある
それぞれがある関係の下にあり、それを世界と呼んでいる
しかし、その世界も一つではない
もし一つであるならば、それは宇宙と呼び替えなければならない
ただ、彼の中に宇宙は存在しない
それぞれの世界がそれぞれのやり方で現れている
このような構造を彼は「超越的(transcendantal)」と呼び、この言葉に新しい意味を与えている
ある世界の中で局在する多数性を「対象(objets)」とする
そして、その現れを決めているものが彼の言う「超越性」である
そこに現れるのが「出来事」である
これは純粋な突然の出現であり、予測不能な断裂である
そこに、それまでは見えなかった新しい可能性が現れる
その例が、愛情、芸術、政治、科学の領域での乱れや発見である
この話題については以前にも触れ、昨年パソコンが消えた時にも思索の貴重な糸口となった
● 「出来事」 に忠実であること、それが人間になる道 (lundi 28 février 2011)
● 記憶のクラススイッチ、あるいは「出来事」から創造へ. 医学のあゆみ (2015.11.14)
バディウさんは、すべての真理は「出来事」の後に現れると考えている
愛情、芸術、政治、科学の領域で
「出来事」の後、世界の構成要素を真理という視点から考え直すのである
真理は主体の創造的営みによってのみ、生成し、構築され、存在することができる
この主体は個人と同じではない
個人はある社会に属していて、そこで割り当てられた満足を追求する
一方の主体は、さらに高い何かに開いている
出来事にもその結果にも忠実である
主体とは真理の構築に参加し、その過程に関わる者である
そして、真理を取り込むことにより、新たな方向性を得るのである
つまり、真理は方向性を変えるものだと理解される
それから「幸福の輪」に繋がるが、その中心に哲学がある
バディウさんによれば、哲学は真理を作るというよりは、真理を検出する道具となる
真理と「絶対」の間に関係はあるが、それは宗教的な意味での絶対ではない
絶対とは普遍と同義で、決定された世界に還元されない、時空間を突き抜けるものである
絶対はある種の永遠を運ぶ
アリストテレスによれば、主体とは真理の絶対に触れるので不滅の中に生きる者である
幸福とはこの経験そのもの、すなわち有限の生の中で無限を味わうことである
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