2017年1月31日火曜日
続くシンクロニシティ?
今日は朝から雨
その雨の中をいつものように小学生は走っている
こちらの人が雨を気にせずに歩いているのは、子供の時からの訓練の賜物なのだろうか
ただ、わたしもこちらに来てからそうなっているので、必ずしもそうとは言えないのかもしれない
ということで、今日は一日籠ってプロジェを当たることに
忍耐力が試される日になった
少しは前に進んだと思いたい
ところで、昨日シンクロニシティのような現象について触れた
今日手に取った本の開いたページが「共時性とは何か」という章だったので、再び驚く
その本は湯浅泰雄という方の『宗教と科学の間』であった
全ては偶然だという人と、そこに意味を見出そうとする人で意見が分かれるのだろうか
いずれにしても、注意深く見ていると、意味のあるなしに関わらず、このような現象は認められる
忙しくしていると、気にかけず忘れ去られているだけではないかという気がしているのだが、
2017年1月30日月曜日
取り留めのない一日
朝のうちは薄曇りだったが、午後から明るくなってきた
と思っていると、外から元気のよい歓声が聞こえてきた
応援団のいる試合である
なぜか春の訪れを感じる
元気の出る時間となった
今朝は以前に読んだテクストを読み直していた
読み直すことはいろいろなことを教えてくれる
さらに言えば、何ごともやり直さなければ身に付かないということかもしれない
やり直す過程は考える過程でもある
つまり、身に付けるためには振り返らなければならないということになる
今日は休息日と決めたのか、日本のドキュメンタリーをのんびりと数編観る
そして、現在翻訳中の本の著者とご挨拶のメール交換をする
フランスにいるのであれば一度会って話をしてもよいのではないかとの提案をいただいた
著者の声を直接聞くことは、訳す時に大きな助けになると前回感じた
これから進み具合を見て、パスツール研訪問のことも考えてみたいものである
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lundi 30 janvier 2017
昨夜寝る前に読んだ本の中に、この記事に関係する言葉が出てきて、いつものように驚く
ホワイトヘッドがこう言っているという
"Fundamental progress has to do with the reinterpretation of basic ideas."
(根本的な進歩は基本概念の再解釈と関係している)ひょっとすると、創造の秘密も「再」の中に隠されているのかもしれない
昨日はこの他にも、これからを考えている時のこと
三桁の数字が浮かんできたが、同じ数字がその後に観たドキュメンタリーの中に現れたのである
このようなことが頻繁に起こっていることに気付くようになっている
2017年1月29日日曜日
アンボワーズ訪問
アンボワーズ城 (Château d'Amboise)
本日は友人の案内でアンボワーズ訪問となった
幸いそれほど寒くもなく、曇っていた空にも晴れ間が見え、まずまずの散策となった
まず、駅から南に向かいロワール川にかかるマレシャル・ルクレール橋を渡る
川岸に像が見えたので、そこに向かう(その写真は後ほど)

クロ・リュセ城 (Château du Clos Lucé)
最初に、ダ・ヴィンチ終焉の地となったクロ・リュセ城に行ってみることにした
広い敷地には緑溢れる空間が広がっていた
ダ・ヴィンチはここに最晩年の1516年から亡くなる1519年までの3年間を過ごした
フランソワ1世の招きであった
彼は2歳で父を失っていたので、ダ・ヴィンチの中に父を見ていたようである
この地でのダ・ヴィンチ滞在500年を記念して、去年から行事が行われているようだ
お城の食堂には簡素な食事が置かれていた

サン・ユベール礼拝堂(Chapelle Saint-Hubert)
それからアンボワーズ城に向かった(冒頭の写真)
こちらも広大な敷地で、その中にサン・ユベール礼拝堂もあった
本当に礼拝するだけの小さな空間で、そこにダ・ヴィンチの墓もあった
ダ・ヴィンチの墓(La tombe de Léonard)
ダ・ヴィンチが亡くなった後、近くのサン・フロランタン教会に埋葬された
しかし、200年以上前にほぼ完全に破壊された
1863年の発掘で骨が見つかり、現在のサン・ユベール礼拝堂に新たに埋葬されたようだ
ただ、当時の同定方法に疑問もあり、現在最新の技術を用いて検討中だという
サン・フロランタン教会(Église Saint-Florentin)
アンボワーズ城のダ・ヴィンチ
アンボワーズ城からロワール川を望む
ロワールにできた中島「イル・ドール(金の島)」の木の下に青銅色の像が見える
拡大すると以下のようになる
ロワール川沿いのダ・ヴィンチ像
お城に繋がる敷地の下に当たるのではないかと思う
そこの縁に当たるところが削られて崖のようになっている
そこを掘るようにして何軒かの家が作られていた
私有地なので入ることができなかったが、観光客も興味津々の様子で話を訊いていた
こじんまりした愛すべきお店と空間が溢れる町であった
トゥールから30分ほどでタイムスリップしたような一日であった
それは想像の中にあったこの町のイメージを一新させるものでもあった
jeudi 2 février 2017
昨年4月にトゥールを訪れた際、ダ・ヴィンチの500年記念祭の案内を見ていたことを思い出した
好印象と共にパリへ (2016.4.17)
その時に思い描いていた隣町のイメージが、おそらく「想像の中にあった」ものではないだろうか
それが今回具体的なものに置き換えられ、一新されたということになる
2017年1月27日金曜日
7年振りの授業、そしてヴィクトリア・トルストイさんが現れる
授業を受けるというのは久し振りだ
正確にはマスターが終わった2009年秋以来なので、7年振りということになる
本日、週一回2時間の口と耳によるフランス語の授業が始まった
効果があるのかどうかは分からないが、三か月ほど様子を見ることになる
ただ、外の世界に俊敏に対応する態勢を内に作るという点では意味があるのではないだろうか
外の世界に素早く反応するだけでは駄目だと気付いてこちらの時間を始めたのだが、、
教室は様々な国から来た学生さんが十数人
モンテネグロ、セルビア、スペイン、メキシコ、韓国、スコットランド、ドイツ、それに日本と多彩だ
わたしの他には日本人はいなかった
男が4人で、後は女子学生
兎に角元気がよく、お喋りだ
4か国語に馴染んでいる人は3人ほどで、3か国語は普通だ
なぜトゥールだったのかという問いには、この地域のフランス語が標準的だからというのがあった
これはわたしも日本にいる時に聞いたことがあった
今日の後半はトゥールが話題になっていた
皆さん、気に入っているようであった
わたしも気に入っている旧市街(les Vieux-Tours)だが、そこの広場の名前を今日初めて意識した
Place Plumereau プリュムロー広場
聞き取りのビデオでは、Greeter が話題になっていた
20年ほど前にニューヨークで始まったという地元の人が観光案内をするものである
ウィキによれば、世界で150ほどの都市がこれを取り入れていて、トゥールもその中に入っている
日本でも似たようなものがあるが、グリーターという言葉はホテルなどで出迎える人となっている
トゥールの町をまだ「観光」していないことに気付く
初回ではあったが、少し外に開かれてきたように感じる
帰りのバスでのこと
降りようとした中年男性に席を譲られる
お断りしたがどうしてもということで座った
自分で思っているよりは、年相応に見えるということだろうか
こんなことは初めてで、困ったことである
夜、こちらも久し振りのジャズ・チャンネル行くと、Viktoria Tolstoyという歌手が歌っている
早速調べてみると、文豪トルストイの玄孫になるスウェーデンの歌手であった
最近、トルストイをエッセイで取り上げたばかりだったので、直ちに反応したようだ
いくつか聴いてみたが、爆発しない静かな歌い方である
When all is said and done
Against All Odds
Official Site
2017年1月26日木曜日
作曲家ユリウス・レントゲンに出会う
Julius Röntgen (1855-1932)
昨夜はトランプ大統領のDHS(アメリカ合衆国国土安全保障省)での演説を聴く
そのポイントは、次のようなことだった
国境のない国はない
国内に不法に入ってきている中にはギャングやカルテルの人間もいる
そのために命を落としている人もいる(その犠牲者を会場に招待していた)
メキシコとの間には壁を作る
メキシコの経済がよくなることは、アメリカの国益にも合致する
そのためにメキシコの大統領とはよく話をしたい
アメリカ国民の命を守るために新法は必要ではない
今の法をしっかり守って事態に対処したい
ごく当たり前のことを言っているようであった
レトリックを弄するのではなく、get to the point というか、問題の核心に一気に入って行く
ビジネスライクと言えないこともない
しかし、問題解決だけを求めている人にとっては魅力的に映るのではないだろうか
このビデオを見ているその横に分野違いの見たような見たことがないような人の名前が現れた
ユリウス・レントゲン
ライプチヒ生まれだが、オランダに帰化したというピアニストにして作曲家である
初めての方だ
生涯で650に及ぶかという作品を残している
多作である
25の交響曲、7つのピアノ協奏曲、3つのバイオリン協奏曲、室内楽、ピアノソナタなどを含んでいる
ヴィルヘルム・レントゲンとは従弟同士であった
何曲か聴いてみることにした
Ballad for violin and orchestra
Symphony No. 8
昨夜はトランプ大統領のDHS(アメリカ合衆国国土安全保障省)での演説を聴く
そのポイントは、次のようなことだった
国境のない国はない
国内に不法に入ってきている中にはギャングやカルテルの人間もいる
そのために命を落としている人もいる(その犠牲者を会場に招待していた)
メキシコとの間には壁を作る
メキシコの経済がよくなることは、アメリカの国益にも合致する
そのためにメキシコの大統領とはよく話をしたい
アメリカ国民の命を守るために新法は必要ではない
今の法をしっかり守って事態に対処したい
ごく当たり前のことを言っているようであった
レトリックを弄するのではなく、get to the point というか、問題の核心に一気に入って行く
ビジネスライクと言えないこともない
しかし、問題解決だけを求めている人にとっては魅力的に映るのではないだろうか
このビデオを見ているその横に分野違いの見たような見たことがないような人の名前が現れた
ユリウス・レントゲン
ライプチヒ生まれだが、オランダに帰化したというピアニストにして作曲家である
初めての方だ
生涯で650に及ぶかという作品を残している
多作である
25の交響曲、7つのピアノ協奏曲、3つのバイオリン協奏曲、室内楽、ピアノソナタなどを含んでいる
ヴィルヘルム・レントゲンとは従弟同士であった
何曲か聴いてみることにした
Ballad for violin and orchestra
Symphony No. 8
2017年1月25日水曜日
実験経済学のセミナーを聴く
Prof. Luigino Bruni (Lumsa U., Rome, Italy)
今日は朝から大学へ
ローマの経済学の先生のお話を聴くためである
新年会でお会いしたイタリアからの留学生の論文審査をする方らしい
日本では見かけない底から明るいタイプだが、その中に明晰さをとどめている
ヨーロッパはイタリアのインテリという印象だ
英語での発表だった
経済学も今は実験経済学が盛んなようで、今日もそのお話だった
行動経済学の中に入る分野らしい
今では神経経済学というものまであり、こちらの研究室でもやっている方がいるようだ
実験はマウスの代わりに学生を実験材料?として使っていた
とは言っても、コンピューターの画面に向かって、ある設定の中で選択するのが実験であった
実験参加費はちゃんと支払っていると言って具体的に示していた
実験には相手への信頼や判断の損得というような意図や意志や直観が関与するものだった
そのため、実験のデザインを毎回一つのパラメーターだけを見るように設定しなければならない
人間が絡むと、一つの行動の裏にいくつもの要素が絡んでくるので、そこが難しそうだった
マウスでは意図などが絡む実験はありますか?などと参加者に訊いていた
内容をよく理解したとは言い難い
ただ、理論が予測するより、人間は相手を信頼する傾向が強いというのが結論のようだった
最後に、論文を投稿した雑誌の編集長とのバトルの様子を話していた
もうすっかり忘れていた世界を思い出す
これがないだけでもどれだけ精神衛生によいか分からない
セミナーはGrazie!で終わっていた
今日はどんよりと雲が垂れ込めた寒い日だった
大学の事務の方は、très を三つ付けて寒いと言っていた
つい最近まで市庁舎前の噴水は元気だったが、今日はこの通り
パリのアパルトマン近くの噴水はちゃんと水抜きをしていたが、ここではそれをやらないようだ
その寒さの中、グラウンドでは幼稚園児がラグビーに興じていた
今日は朝から大学へ
ローマの経済学の先生のお話を聴くためである
新年会でお会いしたイタリアからの留学生の論文審査をする方らしい
日本では見かけない底から明るいタイプだが、その中に明晰さをとどめている
ヨーロッパはイタリアのインテリという印象だ
英語での発表だった
経済学も今は実験経済学が盛んなようで、今日もそのお話だった
行動経済学の中に入る分野らしい
今では神経経済学というものまであり、こちらの研究室でもやっている方がいるようだ
実験はマウスの代わりに学生を実験材料?として使っていた
とは言っても、コンピューターの画面に向かって、ある設定の中で選択するのが実験であった
実験参加費はちゃんと支払っていると言って具体的に示していた
実験には相手への信頼や判断の損得というような意図や意志や直観が関与するものだった
そのため、実験のデザインを毎回一つのパラメーターだけを見るように設定しなければならない
人間が絡むと、一つの行動の裏にいくつもの要素が絡んでくるので、そこが難しそうだった
マウスでは意図などが絡む実験はありますか?などと参加者に訊いていた
内容をよく理解したとは言い難い
ただ、理論が予測するより、人間は相手を信頼する傾向が強いというのが結論のようだった
最後に、論文を投稿した雑誌の編集長とのバトルの様子を話していた
もうすっかり忘れていた世界を思い出す
これがないだけでもどれだけ精神衛生によいか分からない
セミナーはGrazie!で終わっていた
今日はどんよりと雲が垂れ込めた寒い日だった
大学の事務の方は、très を三つ付けて寒いと言っていた
つい最近まで市庁舎前の噴水は元気だったが、今日はこの通り
パリのアパルトマン近くの噴水はちゃんと水抜きをしていたが、ここではそれをやらないようだ
その寒さの中、グラウンドでは幼稚園児がラグビーに興じていた
デカルトを近くに感じる
今朝も霜が降りていた
空が雲に覆われているためか、冷え込みがきついためか、その白はなかなか消えなかった
午後、用事があり街に出る
ちょっとした問題が出たが、すんなりと片付いた
この町では何かあっても必ず解決するという確信のようなものが生まれつつある
強く働きかけることもなく
帰りには素晴らしい夕焼けも拝むことができた
写真では伝えられない広い空に描かれていた
アグレアーブルな町と言えそうである
今夜はデカルトの『方法序説』を手に取った
昨日との繋がりになるが、デカルトも役者よりは観客として生きたいと考えていた
その他にも共通点をいくつか見つけることができた
勿論、それは中身ではなく、やり方や認識についてということになるのは言わずもがなではあるが
例えば、40代の彼はこれからの生き方についてこう書いている
「わたしは生きるために残っている時間を、自然についての一定の知識を得ようと努める以外には使うまいと決心した」それから僅か十数年の人生ではあったが、その意思を貫いたことと思いたい
わたしの場合、こちらに来る前は「持てる時間のすべてを使って考えること」を欲していた
デカルトは名声が自らの探究の邪魔になることを知っていた
オランダに隠れることにしたのもそのためだろう
彼のモットーは Larvatus prodeo (わたしは顔を隠して進む)だった
その気持ちはよく分かる
露出した人たちの思考に成熟を見ることは稀で、寧ろ腐敗が進む傾向さえあるからだ
彼はガリレオの裁判の行方を見て身の処し方を決めていた
同じような運命になる可能性がある本の出版を控えたのである
それを弱さと見る人もいるが、 活動を阻害するすべての要因を避けたかったのだろう
そう言えば、スートゥナンスのコメントの中にデカルトを評したシャルル・ペギーの言葉があった
それがなぜだったのかは分からない
しかし、デカルトとどこかで繋がっていると思いたい
これまで何人かの哲学者を近くに感じてきたが、新たにデカルトが加わったことになる
2017年1月24日火曜日
意識の第三層、美、そして観ること
今日は快晴で、寒さも緩んでいた
今夜は唐木順三著『「科学者の社会的責任」についての覚え書』を手に取る
4年ほど前、成田からパリに戻る機内で読んだことになっている
中味はあまり覚えていない
おそらく、今ではよく言われることが書かれてあったからではないだろうか
問題はどうするのかということになる
『朴の木』改版にあたって、というエッセイを読み直してみた
大きな問題として人間の退廃が指摘されている
その中に、教師に望むこととして次のようなことが語られている
――政治的、社会的に考えるだけではなく、人間として、自分の問題として考えてほしい――
これが行われていないことが人間の退廃にも結び付いていると思われる
この現象は、意識の三層構造理論で言う第三層の(活動の)欠落として説明できるだろう
これは本編で論じられている問題の解決にとっても重要になるはずである
自らの深いところに返ってものを考えることができるのかという問題である
そう言うことは簡単だが、実行は至難の業である
そもそも第三層が何たるかをイメージできなければ、具体的な実行には向かえないからだ
深いところがどこなのかが見えてこないからである
それから、「真・善・美」の中で美の復権を訴えている
科学で得られる「真」が絶大な力を持っている現代では、「美」が衰えているのではないかという
「美」の教育が求められると言っている
同じことは「善」についても当て嵌まるだろう
こちらは哲学になるのだろうか
この問題は最近のエッセイでも書いたばかりのテーマになる
最後に、「見ること」の重要性を説いている
そう言えば、最初のブログ「フランスに揺られながら」のサブタイトルがこれだった
"J'observe donc je suis." (われ観察す、ゆえにわれ在り)
デカルトに肖ってのフォルミュールである
あの数年間で観察を重ねていたことが、それ以降の基礎になっていたように見える
じっくり観ることが哲学の基礎にもなっていたように感じるのだ
それほど観ることは重要な運動なのだろう
「あとがき」を臼井吉見さんが書いていた
若い頃、あのまん丸いお顔と頭をテレビでよく見たことがあり、懐かしい
饒舌な印象しかなく、どういう立場を採っている人なのかは知らなかった
2017年1月23日月曜日
現代の哲学者の課題とは?
今朝、向かいの芝生には霜が降りていた
それもお昼には消え、鮮やかな緑が戻っていた
これからひと月くらいはこの寒さが続くのだろうか
ただ、日中は寒さをあまり感じない
先日のパリで感じたあの底冷え感は、風の強さのためだったのかもしれない
夜、小さな書庫となる部屋で見つけたこの本を摘み読みしてみた
『哲学に何ができるか』
廣松渉先生に五木寛之生徒が講義を受けるという形式の対談である
元々の対談は40年ほど前で、中公文庫に入ったのがその20年後
日常感覚ではかなり前のお話ということになるが、今のわたしの中に時差はない
タイトルの問いに対する答えがあるのかと思ったが、納得のいくものはなかった
最後の方で生徒が先生に哲学者の課題を訊いているが、明確な答えはなかった
考えてはいるけれども答えがないと先生は言う
それから、哲学者の苦闘の跡やその考えが広く伝わることはないのかと生徒は問い掛ける
まず、自分の仕事をどのように書くのかについて先生は迷っているようだ
これに対して、生徒の方は読者に媚びる必要などないのではないかと言っている
考え方としては五木氏に賛成である
ただ、本物の哲学書を一般に届けようとすると、やはり言葉の問題は大きいのではないだろうか
哲学の中に留まる言葉で書かれていると、特に現代では普通の人は手に取らないと思われるから
2017年1月21日土曜日
出るために入る
本日も快晴で快適である
ただ、寛容な心だけでは凌げない寒さが始まっているようだ
カフェでの時間の使い方、より正確にはカフェにいる時の意識のあり方について、考えが浮かんだ
これまでは終わりを全く意識しないで中に入っていた
それは永遠に縛られているという意識の中にいた院生時代の影響だろう
いつまでも解放されないのだから、眠くなることも稀ではない
今日、その意識を変えてはどうかという声が聞えた
結果としての2時間なり3時間の滞在になるのではなく、その時間だけと決めて入るのである
つまり、出るために入るのである
有限の中にいることが意識され、出る時には悦びさえ訪れるのではないか
その方がプロジェに集中できそうな気がしたのだろう
仕事と捉えることを始めると、こんな考えが浮かんでくる
困ったものである
仕事は人間を駄目にする、というわたしのテーゼがここでも顔を出す
捗らないかも知れないが、やはり永遠の中にいる方が魅力的に見える
米大統領就任式を観る
今日は快晴で気持ちの良い日だった
夕方、タイミングよく米大統領就任式の中継に行き当り、今観終わったところだ
トランプ氏の演説はこれまでの主張を簡潔に力強く訴えかけるものだった
忘れられた人を取り戻す
職を取り戻す
アメリカのインフラを取り戻す
アメリカをアメリカ人によって取り戻す
口だけで何もしない政治ではなく、アメリカをよくするために解決する政治をする
テロリズムを地上から殲滅する
アメリカを世界に押し付けるのではなく、アメリカ自らが輝き、モデルを世界に示す
アメリカの利益を第一に、再びアメリカを誇りを持てる偉大なアメリカにする
これができれば、アメリカも変わり、世界も変わる可能性があるだろう
今年は少しずつ庵から出て、世界の様子を注視したい
2017年1月20日金曜日
死とか病とか
昨日、パリからの車内で、以前にブログで触れたことのあるお二人が亡くなっていたことを知る
お一人は文学者のジョン・バージャー氏で、今月2日に90歳で亡くなっている
もうお一方は音楽家のジョルジュ・プレートル氏で、今月4日に92歳で亡くなっている
これらは必然の出来事だが、以前とは受け止め方が変わってきている
ベルギー出身のシャンソン歌手ジャック・ブレルさんは、人生で重要な日は二つしかないと言った
その一つが亡くなった日で、もう一つは生まれた日
その間にやることは大したことじゃない
ブログ記事はそれぞれ以下の通り
ジョン・バージャー、人生のスタイル John Berger, son style de vie (2009-01-23)
よいお年をお迎えください (2009-12-31)
今日はアメリカ大統領選の裏の(?)話題に行き当たった
ヒラリー・クリントンの病気のことである
9・11のセレモニーの際に体調不良で席を早く立ち、車に乗る時に足がもつれた映像が流れた
これは日本でも伝えられたのではないかと思う
しかし、ネット上にはその他にも普通ではない行動が何度も観察されたという情報がある
それは神経系の異常を思わせるものだという
こちらの方は日本では流されていないのではないだろうか
もしこれが本当なら、今回の選挙結果は彼女にとってもよかったのかもしれない
わたしがアメリカにいた時にレーガンが大統領に選ばれた
もうすぐ70歳を迎えるという1981年に就任式があった
その時は年齢が問題になっていた
わたしも大丈夫かなと思っていたが、結局2期務めた
レーガンと同じ予備選に出ていたハワード・ベーカーは背が低過ぎるのでは、などと言われていた
政治家は大変である
翻って今回の二人の候補を見れば、レーガンと同年代である
しかし、当時のような問題のされ方はなかったのではないだろうか
時代とともに、人間は若返り、活力を増しているように見える
先日見た映像では、トランプ氏が2期を目指すと軽口を叩いていたが、不思議ではない時代である
そう言えば、レーガンと同じ時期にニューヨーク州の上院議員の選挙があった
共和党の指名選ではジェイコブ・ジャヴィッツとアル・ダマトの争いとなった
ジャヴィッツ氏は上院議員を24年も務めた重鎮だが、筋萎縮性側索硬化症の診断が下っていた
それでも出たのである
一方のダマト氏はまだ40代で殆ど無名だった
その彼が相手の病気を攻撃してきたのである
そのやり方が批判の対象になっていた記憶がある
実際にはダマト氏が勝ったが、致し方ない結果ではなかったのだろうか
2017年1月19日木曜日
やはりトゥールの方が暖かい、そして仏大統領選は?
パリは今朝も冷たい風が吹いていた
カフェに入っても隙間風が入ってくるのか、暫くすると体が冷えてくる
モンパルナス駅に行っても外と繋がっていて寒い
こちらの人は寒いのだろうが、しっかりそこに座っている
冬のカフェでも外に出ている人が稀ではない
感心するしかない
トゥールに昼過ぎに戻った
おそらくパリと同じ程度の寒さなのかもしれない
しかし、それ受け入れてもよいという気分にさせてくれる町なのだろう
用事があって店に入ってみたが、いつものように対応が人間的でゆったりしている
そんなすべてがこちらの天気に寛容な気持ちで向き合うことができるようにさせているのだろうか
夜、France 24 の大統領選についての番組に行き当たった
現段階では、国民戦線のマリーヌ・ルペンが強く、共和党のフランソワ・フィヨンがすぐ続いている
今年の台風の目は、まだ39歳の若さのエマニュエル・マクロンという左派の候補
社会党には属さず、独自の選挙戦をやっているが、その動員が兎に角凄い
参加者に熱がある
バーニー・サンダースの選挙を思わせる
セゴレーヌ・ロワイヤル、さらにはオランド大統領も支持するのではないかとの噂もある
左派の生き残りには彼に賭けるしかないという考えなのだろうか
現在社会党の予備選挙をやっているが、そこで選ばれる候補も敵わないのではないかという
これまでの決まりきった枠を出た、何かを期待させるものがあると思わせているのだろうか
支持率はまだ3位だが、これからどうなるか分からないとの分析がされていた
さらに、決戦投票での行方など今は霧の中とのこと
興味深い展開が見られそうである
2017年1月18日水曜日
冷え込むパリで、オスカー・ワイルドさんと出会う
今朝、パリで用事があり、暗いうちにトゥールを発つ
駅の照明が変わっていた
パリには10分遅れで到着
寒さのためとの説明だった
まず外に出て、寒いと感じる
パリはトゥールの北になるので致し方ないのか
トゥールも今日は冷え込んでいるのか
夕方、特に風の冷たさを感じた
こんな寒いところによくも住んでいたな、という感じである
住んでいる時には、これからアパルトマンに帰らなければならないなどと考えていた
それは少し面倒に感じていたことである
今日は違ったカルチエに1泊するので、メトロの使い方が異なってくる
そのズレが自由な感覚を呼び込んでくれる
これはなかなか捨て難い
パリが新鮮に見える
メトロではオスカー・ワイルドさんの言葉に出会った
今に通じる同質の二つの対比が指摘されている
用事も無事に終わり、明日トゥールに戻る
2017年1月17日火曜日
現実と願望の落差
本日も朝ははっきりしないお天気
ここの寒さは予想していたほどではないが、それでも寒いので外に出るには意志を要する
午後、青空が見えてきたので誘惑に打ち勝って旧市街へ
やはり、外に出た方がこの体は活性化される
街の景色やそこに出ている人間を感じることが「気」のような何かを与えてくれるのだろうか
気持ちよい時間となった
帰り道、わたしもお世話になった観覧車が店仕舞いをしていた
やはり、新年のヴァカンスは終わり、これから動き出さねばならないのだろう
一年中ぼんやりしていたい身には、心と体によくない認識ではある
2017年1月15日日曜日
サイファイ・フォーラムFPSSとベルクソン・カフェの日程を決める
サイファイ研究所ISHEでは今年新らたに二つの活動を始めることにしている
一つはサイファイ・フォーラムFPSS で、もう一つはベルクソン・カフェ(BC)である
FPSSは、科学者が哲学者などを交えながら科学について科学の外から議論しようとするもの
BCは、フランス語の哲学テクストを読みながら、哲学や生き方について考えようとするもの
その日程を以下のように決めた
FPSSは6月10日(土)午後、東京で開催
今回はこのフォーラムをどのようなものにしていくのかについて、ざっくばらんに語り合う予定
会場と時間は早めに決めることにしたい
BCの方は2回で一つのテクストを読むことにした
6月24日(土)、16:00~18:00、東京恵比寿のカルフール A会議室
7月1日(土)、17:00~19:00、東京恵比寿のカルフール B会議室
テクストは哲学とは?という問いに関するものにする予定
詳細は決まり次第、この場と専用サイトに掲載する予定です
興味をお持ちの方の参加をお待ちしております
2017年1月14日土曜日
ザメンホフ先生のエスペラントという言葉
ルドヴィコ・ザメンホフ(1859-1917)
うとうとしている時、昨日の聞き取り試験でエスペラントが話題になっていたことが浮かんできた
その語りとインタビューを聴いている時、驚いたことを思い出したのである
エスペラントと言えば、ザメンホフ先生が作り出した言語であることを知っていた程度
先生はポーランドのユダヤ人眼科医で、若い時から共通の言語体系を模索していた
異なる言語間の争いを避ける方法として
しかし、わたしの中ではすでに死に絶えた言語で、人工的に言語は作れないなどと考えていた
そのため、現在では数百万人がこの言葉を理解しているという語りが出てきて驚いたのである
ウィキによれば、一時期しっかり学んだ人まで入れると一千万人にも達するとある
そのテープには実際にエスペラントを話すとされる3人が出てきたので益々身近な言葉として感じた
そして、会話に出てきた次の言葉は何を意味するのか?という問題まであった
iam ・・・ (ある時)
ĉiam ・・・ (いつも)
neniam ・・・ (決して・・ない)
このような話題が出るのもヨーロッパならではないかなどと考え、今フランスにいることを確認する
ところで、昨年10月末に帰国した折、科学の学会に参加した
その時の発表を聞きながら、専門領域の言葉は母国語で話されていても外国語だと再認識した
専門外の人には全く分からないだろうと想像したからである
その上で、例えば比較的人口が多いとされる免疫学を例に採ってみる
日本の学会員は5000弱、米国は8000弱、アジア・ヨーロッパを加えても多くて数万人程度だろう
免疫学語を話す人口に比べると、エスペラント語人口の数百万人という数の凄さが分かる
思わぬところからザメンホフ先生の偉大さが明らかになった
日本語ウィキによれば、エスペラントが日本語にもかなり入っていることも分かった
人工語が文化を豊かにしていたのである
夢見心地とか、ぼんやりすることの大切さを改めて思い知らされるエピソードにもなった
それがなければ、忘れてしまうところだったからである
落ちている素早い処理、あるいは「意識の第一層」の退縮?
先日、フランス語コースの連絡が入った
今朝はそのクラス分けの試験のため、暗いうちから小雨の中を大学へ
語学を含む教養課程をやっているところではないかと思う
大体40名くらいの新入留学生が2つの教室に分かれて聞き取りと筆記試験が行われた
両方で90分ほどであった
聞き取りのテープが流れてすぐ、ものすごく早く聞こえてやる気をなくす
その昔試験を受けていた頃も同じように感じたのだろうか
それと、いろいろなことを同時に素早く処理することが難しくなっている
軽やかに動く、という感じが見られなくなっている
これまで唯我独尊の世界に住み、時間を気にせずやってきたためだろうか
外に合わせ、しかも時間を区切ってやることが苦手になっているようだ
これをわたしの「意識の三層構造理論」に当て嵌めると、次のようなことが見えてくる
この試験で試されているような能力は日常生活に関するもので、意識の第一層に属する
そこから離れて第三層に入って長いため、第一層での運動神経が鈍ってきているように見える
両者は並び立たないのだろうか
おそらく、そうだろう
今回、そのことに驚いた
仕事を持っている時には、両者を適度にミックスすることが必要になるのだろう
わたしの場合、当時は第三層に入ることがなかったので、その心配はなかったのだが、、
午後、晴れてくれたので、トラムで北の最終駅まで乗って行った
郊外は住宅地ばかりで見るべきものはなかった
夕方、結果を聞きに再び大学へ
想像したような結果であった
今月末から週1回(2時間)のオーラル・コース(聞き取りと口頭発表:B-2)を始めることになった
米国次期大統領の性格変更は期待できそうにないが、こちらはどうだろうか
2017年1月12日木曜日
新年会に出掛ける
本日も雨模様
午後から研究グループの新年のフェットに出掛けた
昨年末、参加者は飲み物か食べ物の他に、5ユーロまでの贈り物を持ってくるように言われていた
参加者は15名ほどで、学生も入れると30名を超えるという
大所帯だ
わたしが皆さんに会うのは初めてになるので、最初に新人として紹介された
それから1時間ほどは皆さん立ち話をしていた
それから席について、持ち寄った食べ物の後はデザート、果物とフルコースであった
最後に贈り物のくじ引きがあった
わたしにはドビュッシーのCDが回ってきた
丁度、右隣になったパスカルさんからのものであった
ご本人もお好きとのことだったが、わたしも気に入っている作曲家なので幸いであった
左隣からは、非常にフランス的な作曲家との声が聞こえてきた
ところで、イタリアからの留学生がエミという名前なので、日本人から漢字を貰ったと言っていた
また、パスカルさんの高校生の息子は日本の漫画しか(!)読まないとこぼしていた
彼の部屋は漫画の主人公のポスターで一杯だという
勿論、誇張だとは思うのだが、、
先日聞いた日本文化が若い層に浸透している様子を垣間見る思いだった
結局、3時間ほどのフェットであった
周りの本棚に読んでみたい本をいくつか見つけた

贈り物をかざすパスカルさん
2017年1月11日水曜日
デフォルト・モード・ネットワーク、あるいはぼんやりすることの意味
雑誌「医学のあゆみ」に連載中のエッセイを紹介いたします
第40回 デフォルト・モード・ネットワーク、あるいはぼんやりすることの意味.
医学のあゆみ (2016.1.9) 256 (2): 178-182, 2016
お暇の折にでもお読みいただければ幸いです
よろしくお願いいたします
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