2021年5月31日月曜日

5月を振り返って











 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今月はいろいろなことがあった

まずプロジェの関係で言えば、新しいプロジェで二番目の塊を作ることができた

長期プロジェにおいては、かなり長い付き合いになっているところが一つの塊になりつつある

これまで感じてきたのは、例えば一つのパラグラフの奥には汲めども尽きぬ世界が広がっているということだ

それを味わっていると、いつまで経っても終わりが見えない

ただ、その過程で新たな発見があり、書き初めに思い描いていた姿とはかなり違うものになりつつある

それは好ましい流れだと感じている

 
 
もう一つは、今月で14年(実質13年)に亘るフランス生活に一応の終止符を打ったことが挙げられる

昨年3月に一時帰国した時には予想もしていなかった展開である

ただ今回は、フランスで荷物を整理して久し振りにこの地を踏んだわけではないので、実感が全く湧かない
 
アメリカから帰国した時の感覚とは大きく異なっている

今でもまた同じアパルトマンに戻ることができるように思っているのだ
 
日仏の精神的共生状態にあると言えそうである
 
その伝で言えば、アメリカから戻った後の20年ほどは日米の精神的共生状態であったことになる
 
 

振り返れば、20代後半からのアメリカ滞在は7年に及んだので、フランスでは2倍の時を過ごしたことになる

アメリカでは言葉の習得に重点が置かれていた

しかし思考が疎かになっていたことに気付き、フランスでは考えることに重点を置くことにした

その点に関しては、基礎を固めることができたのではないかと総括している




 



2021年5月29日土曜日

ツルゲーネフの言葉から(2)















今朝、ティンパニーか和太鼓が連打するような激しい雷があった

一時期、雨が叩きつけるように降っていた

庭の植物は喜んでいたのではないだろうか

次第に緑の割合が優勢になってきた

 

さて今日もツルゲーネフの言葉を読んでみたい

 

ーーバザーロフが何者かというんですか?ーーとアルカーヂイはうす笑いしたーーじゃ、伯父さん、あの男が一体何者か、言いましょうか?

ーーああ、どうぞ。

ーーあの男はニヒリストです。

ーーえ?ーーとニコライ・ペトローヴィッチがききかえした。パーヴェル・ペトローヴィッチは、刃先きにバターのかたまりをつけたナイフをもちあげたまま、動かなくなった。

ーーあの男はニヒリストですーーとアルカーヂイはくりかえした。

ーーニヒリストーーとニコライ・ペトローヴィッチは言ったーーそれは、わしの判断するところでは、ラテン語のnihilつまり虚無から出ているようだな。するとそのことばは、つまり…その、なにものをもみとめない人間をさすんだな?

ーーなにものをも尊敬しない人間といった方がいいーーとパーヴェル・ペトローヴィッチは口をいれて、またバターの方にとりかかった。

ーーつまりすべてのものを批判的見地から見る人間ですーーとアルカーヂイが言った。

ーーそれはおなじことじゃないか?ーーとパーヴェル・ペトローヴィッチははずねた。

ーーいえ、おなじことじゃありません。ニヒリストというのは、いかなる権威のまえにも屈しない人間です。まわりからどんなに尊敬されている原理でも、それをそのまま信条としてうけいれることはしないんです。

 

 

ーーあなたはそんなにドイツ人を高く評価されるんですか?ーーとパーヴェル・ペトローヴィッチは優美に、ねんごろに言った。彼はひそかないらだちをおぼえた。すこしも遠慮しないバザーロフの態度が彼の貴族的な性格に怒りを呼びおこすのである。この軍医のむすこは臆する色がないばかりか、かえって切れ切れな調子で、気のすすまないような答え方をして、しかもその声には、なにか粗暴な、ほとんど不適ともいえる何ものかが感じられた。

ーーむこうの学者はしっかりしています。

ーーそう、そう。ところでロシヤの学者には、あなたはそれほど好意をもたないでしょうね?

ーーまあ、そうでしょうな。

ーーそれはまたすこぶる賞賛すべき自己犠牲の精神ですなーーバーヴェル・ペトローヴィッチは体をのばして、首をうしろの方にそらせながら言ったーーしかしいまアルカーヂイ・ニコラーイチが話してくれたところによると、あなたはいかなる権威も認めないそうですが、これはどうしたわけです?あなたは権威というものを信じないのですか?

ーーええ、そんなものを認めてどうします?それになにを信じたらいいんです?なんでも筋のとおったことを言われれば、それに同意します。それだけです。

ーーじゃ、ドイツ人はいつも筋のとおったことばかり言いますかね?ーーとパーヴェル・ペトローヴィッチはひくい声で言った。その顔はすっかり無関心な、つめたい表情をおびて、彼がまるでどこか雲のかなたの高みにでも昇ってしまったかのようであった。

ーーみんながみんなというわけではありませんーーとバザーロフはあくびをかみころしながら答えた。あきらかに論争をつづける気がなかったらしい。

ーーわたしとしてはーーと彼はいくらか努力しながら、再び話しはじめたーーわたしは、そう言っては悪いが、わたしとしては、ドイツ人というやつはあまり好きませんね。ロシヤにいるドイツ人のことはなにも言わないことにします。あれがどういう連中か、誰でも知っていますからね。しかしドイツにいるドイツ人も、わたしには気にいりませんな。むかしはそれでも、どうにかがまんできました。そのころはあそこにもーーシルレルとか、その、ゲーテとか…いった人間がいて、現にこの弟などは、かくべつ好意をもっていますがね…ところが、いまでは、なんだか知らんが、化学者とか唯物論者とかいう連中ばかりでてきて…

ーーしっかりした化学者はどんな詩人より二〇倍も有益ですよーーとバザーロフがさえぎった。

ーーおや、おやーーとパーヴェル・ペトローヴィッチは言って、まるで眠りかけてでもいるように、かすかにまゆをつりあげたーーでは、あなたは芸術を認めないんですね。

ーー芸術なんて金もうけのためか、痔病薬の広告ぐらいの役にしか立ちません!ーーさげすむような微笑をうかべながら、バザーロフは声をたかめて言った。

ーーなるほど、なかなかしゃれがお上手ですな。そうすると、つまり、すべてのものを否定するんですか?つまりその…あなたは科学だけを信ずるんですか?

ーーさっき申し上げたでしょう。ぼくはなにも信じません。それに科学とはなんですかーー科学一般というのは?いろいろな仕事や職業があるように、科学もやはりいろいろあります。しかし科学一般なんてものは全然ありません。

ーーなかなか結構です。ところで、人間社会に用いられているほかの、いろんな法則についても、あなたはやはりそういう否定的態度をとっているんですか?

ーーなんです、それは、訊問ですか?ーーとバザーロフはきいた。

  (金子幸彦訳)

 

 

 



 


2021年5月28日金曜日

ツルゲーネフの言葉から(1)



















今日は少し肌寒い日であった

今日からイワン・ツルゲーネフ(1818-1883)の言葉を読んでいきたい


ーーシガーいるかい?ーーふたたびバザーロフの叫ぶ声がきこえた。

ーーよこしたまえーーとアルカーヂイは答えた。

ピョートルはほろ馬車にもどってきて、黒っぽい太巻きのシガーをマッチ入れと一しょにさし出した。アルカーヂイはさっそくそのシガーに火をつけた。古たばこのすっぱいような、つよいにおいが、あたりにひろがったので、生まれてから、たばこをすったことのないニコライ・ペトロ―ヴィッチは、思わず顔をそむけたが、それも、むすこの気を悪くさせないために、目立たないようにした。

 

しかしそのとき中背の人が客間にはいってきた。これはパーヴェル・ペトロ―ヴィッチ・キルサーノフで、黒っぽい、イギリス風のスーツを着て、流行の、小さなネクタイをつけ、つや出しの半長靴をはいている。年のころは四十五くらいに見えた。みじかくかりこんだ白髪はあたらしい銀のような、くすんだ光沢を放ち、癇性らしい、だが、しわのない顔はさながらするどいのみでたくみに彫りあげたように清らかで、なみなみならぬ端正な輪郭を示し、おどろくばかりの美貌のなごりをとどめていた。とりわけ見事なのは、切れのながい、黒味がかった、薄色の目であった。アルカーヂイの伯父の顔はすべてが優美で上品で、青年らしいみずみずしさと高いものへのあこがれを保っていた。こうしたあこがれは、多くの場合、二十台をすぎると、失われてしまうものである。

 (金子幸彦訳)

 

 

 

 

2021年5月27日木曜日

ディドロの言葉から(5)











 

 

 

 

 

 

 

  ディドロの言葉を少しだけ

 

しかし、誰でも望みどおりのことはできるもんじゃないんだから、手に入るものをすなおに受け取って、それから最上の利益を引き出さなくちゃなりますまいて。

 

 私ーー誰でも他人を必要とする者は貧者だよ。だから、そいつはポーズをとるもんだ。国王もその愛妾の前や神の前ではポーズをとり、パントマイムのステップを踏むんだ。大臣も、自分の国王の前では、廷臣やおべっか使いや召使や乞食と同じような歩き方をするよ。…

しかし、パントマイムを必要としない存在が一つある。それは哲学者だ。なんにも持っていないし、なんにも求めない哲学者だ。

彼ーーへえ、そんな動物がどこにいますかね。なんにも持たなければ、そいつは苦しみますよ。なんにもねだらなけりゃ、なんにも手に入りはしませんよ。そうだと、いつも苦しみますよ。

私ーーいや、ディオゲネスは欲望をあざわらったよ。

彼ーーしかし、着物は着なけりゃなりませんね。

私ーーいや、彼はすっ裸で歩いたんだ。

彼ーー時々はアテネだって寒かったでしょうよ。

私ーーここほどじゃない。

彼ーーあすこでも飯は食ったんでしょうね。

私ーー勿論。

彼ーー誰が負担しましたか。

私ーー自然だ。未開人は誰にたよるかね。大地や、動物や、魚類や、樹や草や木の根や、小川にだ。

 …

彼ーーところで、あんたがさっき言われたことから、わしのかわいい女房が一種の哲学者だったことがわかりましたよ。あいつにはライオンのような勇気がありました。時々、わしらは、パンにもこと欠き、1スーもないことがありました。わしらはぼろ着類もほとんど売り払っていました。… ところで、彼女(あいつ)ときたら、河原鶸のように陽気に、クラヴサンに向かって歌い、自分で伴走していました。

 (本田喜代治、平岡昇訳)

 

 

 

 

2021年5月26日水曜日

意識の第三層と内なる城塞





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝は非常に良い瞑想の時間を持つことができた

緑が増えてきた庭を眺め、紫煙を燻らせながら思考を遊ばせる

テレビの音を消し、自然の音だけにすることが思考を深める上で重要であることを今日も確認

どんなに良い番組だとしても瞑想には邪魔になる

このような時の流れに身を任せることに悦びを感じるようになったのは、フランスでの全的生活のお陰である

これがかけがえのない宝物であることは、何度強調してもし過ぎることはないだろう


わたしが意識の三層構造で重要だという第三層は全的思考が働く層だが、この層の開拓こそ人間のミッションである

瞑想がその過程で重要になることについても触れてきた

そこで思い当たったのは、わたしが傾倒するストア派が言う「内なる城塞」の構築との親近性である

第三層や内なる城塞を広げることは、我々に想像以上のものを齎してくれるのである 

そのことを改めて感じた朝の時間であった






2021年5月25日火曜日

ディドロの言葉から(4)















今日もディドロの言葉を少々

 

私ーーまあ、君の思索はそのくらいにして、君の話を続けてくれたまえな。

彼ーーそうはいきませんよ。わしだって思索しなけりゃならん時がありますよ。こいつは一種の病気で、その進行するままにまかしておかなくちゃならないもんです。

 

われわれは自分にわかると思う言葉だけを記憶にとどめるものなんだ、そうした言葉を頻繁に使ったり、正しく適用したりさえしてね。それでいて、精神の中には、ただ曖昧な観念しかないんだからね。僕が歌という語を発音する時でも、僕は君や君の同胞の大部分が、声望、非難、名誉、不徳、徳、廉恥、礼節、恥辱、嘲笑などと言う時と同様、たいして明確な観念をもっちゃいないんだよ。

 

情念は強烈でなくちゃいけません。音楽家や抒情詩人の愛情は極端でなくちゃいけません。舞台は大概アリアでしめくくられるものです。われわれには感嘆詞や、間投詞や、区切りや、中断や、肯定や、否定が必要です。われわれは率直に、呼んだり、訴えたり、叫んだり、呻いたり、泣いたり、笑ったりするんです。才智や、警句や、あの気の利いた思想なんかありゃしません。あんなものは素朴な自然からはおよそ縁遠いものです。

 (本田喜代治、平岡昇訳)

 




2021年5月24日月曜日

ディドロの言葉から(3)















今日の写真も数日前にはなかったもの

あっという間に一斉に咲いている

なぜか嬉しくなる景色である


今日もディドロの言葉を少しだけ

ひとは徳をほめたたえます。が、ほんとうは徳を憎み、敬遠しているんです。だから徳は寒さにこごえてるんです。… 徳があれば尊敬されるが、尊敬って、窮屈なものです。徳があれば賞賛されるが、賞賛なんて愉快なものじゃない。

 

ちっぽけな事をやるくらいならでかい事を書くほうがましですよ。そうすりゃ精神は高く昇り、想像は熱して、燃えひろがりますからな。

 (本田喜代治、平岡昇訳)


そう言えば、昨日の夜のセッションでこれまでのもやもやが晴れたと思って外に出ると、町が霧にかすんでいた

こういうこともあるのだ

実はまだ霧の中ですよ、ということだったのか





2021年5月23日日曜日

ディドロの言葉から(2)


















先日見たばかりだったので、あっという間に群生する姿に驚く

前回と色が全く違う

瑞々しいという形容がぴったりする


ディドロの言葉をもう少し

誰でも、天才がおしなべて風変わりな人間であること、つまりは、諺にもいうとおり、一粒の狂気がなければ偉大な人物もないことは、君とともに認めるとしても、やはり彼らに対するおどろきは変わらないだろう。天才を少しも生み出さないような世紀は軽蔑されるだろう。天才はその仲間として生存した国家の名誉になるだろう。

 

彼ーーラシーヌに話を戻しましょう。この男は、自分の知らない人々に対してだけ、自分の生きていなかった時代に対してだけ、親切だったんですな。

私ーーその通り。しかし功罪を秤にかけて見給え。今から千年たっても彼は涙を流させるだろう。彼は地球のあらゆる地方で人々の賞賛の的になるだろう。彼は人情と憐憫と愛情を呼び起こすだろう。ひとは彼がどういう人間で、どこの国の人だったかと尋ねるだろう。 そして彼を生んだフランスを羨むだろう。彼はもう生きていないいく人かの人間を苦しめたが、それらの人々については、今日われわれはほとんど何の関心ももってやしない。

(本田喜代治、平岡昇訳)



さて目を横に転じると、この姿

一体どこからそんなエネルギーが出てくるのか

これでは秋に刈っても何の効果もなさそうである




















2021年5月22日土曜日

ディドロの言葉から



















ドゥニ・ディドロの言葉から


あれもあれなりに哲学者ですからな。あれは自分のことだけしか考えちゃいない。自分以外の世界のことはあの人にとっちゃ一文の値打ちもありませんや。… それがあの人にとって幸福なことなんでさあ。これがわしが天才というやつのうちでとくに高く買っている点ですよ。彼らはただ一つのことにしか役に立たないんです。それから先は、ろくでなしなんだ。市民とか、父親とか、母親とか、親類とか、友だちとかであることがどんなことだか、彼らにゃわかりゃしません。… 天才なんかいりませんや。いやまったく、そんなものはちっとも必要じゃない。ところが、地球の表面を変化させるのは彼らなんだ。しかも、どんな些細な事柄についても、人間の馬鹿さかげんはひどく行き渡っていて根強いもんだから、わいわい騒ぎ立てなくちゃその改革なんかできっこないですよ。彼ら天才の想像したことの一部は実現されていますが、一部は前のとおりです。

(本田喜代治、平岡昇訳)

 

 

 

 

2021年5月21日金曜日

心を完全にコントロールしている















引越しの作業は終わったかと思っていたが、いろいろな手続きのための書類が届いている

結構煩雑なので嫌になるのかと思いきや、それなりにこなしている

もう少し時が経てば面倒だと思うようになるのかもしれないが、まだ大丈夫である

 

コツは、一気に片付けようとせず(決して無理をせず)、タイムスパンを長く取ることだ

日を変えれば新しい気分で向き合うことができる

煩雑な作業にも耐えられるようになる

これなども長い瞑想生活の成果ではないかと思っている

以前のように心がイライラしたりすることが全くなくなっていて、どこまでも平静なのだ

いってみれば、心を完全にコントロールしている状態にあるようだ






2021年5月20日木曜日

枯れ木の山が緑の山に















午前中、紫煙を眺めながら至福の時を味わう

午後からは、最近発見した新しい場所で淡々と長期プロジェに当たる

そこの窓から小さな山が見える

つい最近まで茶色の木々に被われていたのだが、今日それが一気に緑の山に変身しているのを見て驚く

全く別の景色で、新しい場所にいるようだ

偶然ではあったが、なかなかよいところを見つけたものだ

今日は夜も場所を変えて淡々と、になりそうである


ところで、今日の写真はこれまでとは別の場所だが、暫くの間、ここで定点観察をしてみたい

ここは以前のブログで雪に埋まった姿を紹介したこともあったので、変われば変わるものである

これからのさらなる変容を期待したい





2021年5月19日水曜日

集約点に向けて















 

今日は用事があり、JRを利用

みどりの窓口は復活していた

人出はあまり変わらないような印象で、1年前の緊張感を伴った雰囲気は消えている

当時は声を潜めて話すようなところがあったのだが、、


さて、長期プロジェにおいても一塊を作ろうとしている

振り返れば、この一塊とはon & offではあったが、かなり長いお付き合いになっている

最近ようやく集約点が見えてきたようで、そこに向けて思索が集中し出した

何とかその点まで辿り着きたいものである






2021年5月18日火曜日

植物の驚異的な生命力




















不思議だが、昨日フランスまで旅行でもしたような感じで、疲れが持ち越している

こちらは座っているだけだったのだが、、

実際に向こうに飛んであの作業を自分ですることを思ったら嫌になる

それにしても便利な世の中になったものである

 

翻って、我が足元を眺めてみる

植物の生命力には本当に驚かされる

去年切ったもので、冬の間は死んだ振りをしているのだが、むくむくと顔を出してきた

他の植物も同様で、庭の緑の割合が増してきた

人類が滅びても植物だけは最後まで生き延びるというが、頷かざるを得ない

今年はどんな姿を見せてくれるのか、今から楽しみである






2021年5月17日月曜日

トゥールのアパルトマンの最後の姿を見る














今日はトゥールのアパルトマンの見納めの日であった

何故か分からないが、始まる前からやや緊張気味

充分に打ち合わせをしておいたためか、流れるように「こと」は進んだ

終わった後、こちらは何もしていなかったのにぐったりであった

 

この間、画面越しにすぐにでも行けそうなのだが、それができないというもどかしさがあった

このようなことは、実際に往復できる時には考えもしなかったことである 

アパルトマン内外の写真を送ってもらったので、記憶を再現するのは問題なさそうだ

これから暫くは、天空で両方の世界を行き来することになりそうである


それにしても今日のトゥールは何という空だろうか

あの光の強さと乾いた空気が懐かしい






2021年5月15日土曜日

ホワイトヘッド、あるいは飛翔から着陸へ















トゥールのアパルトマンを目にしてから、気分が少し変わってきたようだ

それは昨年3月に日本に戻ってから徐々に形成され、今年に入って固まりつつあった気分と比較してなのだが、

寧ろ、それ以前に日仏を往復していた時期に日本に戻った時の気分に近くなっているように見える

現状に埋没しない視点をより明確に意識できるようになったということだろうか

その日感じた懐かしさの正体は、1年前にそこで生きていた自分の姿を見たからかもしれない


ところで、ホワイトヘッドの『過程と実在』をゆっくりと読み始めている

まだ冒頭のところだが、いくつかのことが見えてきた

かなり大雑把ではあるが、一つはガチガチの硬直した思考ではなく、柔軟性と希望のようなものを感じたこと

二つは、自分の考えていることに通じる思想が展開されているような予感がすること

例えば、彼はこんなことを言っている

真の発見の方法は、航空機の飛行によく似ている。それは個々の観察の大地から出発する、そして想像力による普遍化という希薄な大気圏へと飛翔する。さらに理性的解釈によって鋭敏にされ更新された観察のために元のところへ着陸する。

この道順は、以前にエッセイに書いたことと繋がるように見える

絶対的真理への道、その第一歩はあらゆる生の経験を意識することか
医学のあゆみ (2017.11.11) 263: 551-555, 2017

このタイトルの後段に繋がることも言っているようだ

わたしの今の立場をホワイトヘッド流に言えば、次のようになるだろうか

これから着陸して、飛翔中に得たものをより堅固なものにする段階に入った

これからも折に触れて読んでいきたい








2021年5月14日金曜日

懐かしいお便り















昨日はもう一つ、懐かしい経験をした

7年振りでお便りを送ってくれた方がいたのである

わたしのエッセイが100回を迎えたのを見たとのことで、金色の「100」が輝く素晴らしいカードが添えてあった

そこには分不相応な「極上の」という形容があり、その後に、すっかり雲の上の人になられましたね、と続いていた

退職後もまだ仕事をされている方から見ると、そう見えるのだろうか


わたし自身、天空に遊ぶとか地上に降りるなどと言うことはあるが、実際にどう見えるのかは分からなかった

やはり退職後も仕事をされている方から、「その境地」にはなかなかなれません、というコメントをいただいた

自分が書くものがどのような雰囲気を醸し出しているのか、実は全く分からないのである

このようなちょっとした言葉が自らを振り返るヒントとなる

懐かしくも貴重な言葉に触れた一日であった






2021年5月13日木曜日

トゥールのアパルトマンとの再会















今日は非常に懐かしい時を味わった

トゥールのアパルトマンを見ることができたのだ

実に1年2か月振りのことである

 

コロナの感染者が亡くなっても家族は会うことができない

その前にスクリーン越しに見ることは叶うかもしれないが、、

わたしもまさにスクリーン越しに1年前と何も変わっていない住まいを目にすることができた

メタフィジカルなウイルス感染者と言えるだろう

 

かつての姿がそのままそこにあるのを見た時、何かが込み上げてきた

今、その部屋にいるような感覚に陥ったのだ

フィジカルには離れているが、メタフィジカルには全く同じ空間にいることを確認した

その映像を見るまではかなり離れた存在になっていたが、映像を見てガラッと変わった

わたしの心は1年前と何も変わっていなかったのである

 

ところで、壁には1年前のプロジェが貼ってあった

それを送ってもらったのだが、驚くことに当初の予定が1年以上遅れていることを発見

最近思い付いたと思っていたプロジェは、実は1年以上前に考えられていたのだった







2021年5月12日水曜日

COVID-19: 仏カステックス首相の発表











 

 

 

 

 

カステックス首相が5月11日のル・パリジャン紙およびFrance2のインタビューで発表

大使館のまとめを以下に貼り付けておきたい

 -----------------------------------------------------------------

1 現在の感染状況および今後の方針

・我々はようやくコロナ禍から持続的に脱出しつつある。無論、この脱出は段階的かつ慎重かつ状況を見ながら進められることになるが、その傾向は明らかである。

・外出制限等の解除が早すぎるか否かという問いは常にあるが、我々の措置は均衡がとられている。また、感染状況が一部地域で急激に悪化した場合には、地域単位で「ブレーキ」をかける。

・1人1人がルールを守り、集団として適切に行動できるかどうかにかかっている。

・(昇天祭の連休において早くも緩みが生じることを心配しないのかと問われ)クリスマス休暇同様、ルールを守った上で週末に外出することは可能。

・(第4波の可能性も含め)何一つ排除すべきではなく、極めて慎重な姿勢を維持する必要がある。特に、国境や、隔離措置を行っている自宅等において管理を徹底し、変異株の流行を防ぐことが重要。フランスはこの点、欧州の中でも最も厳しい基準を敷いている。

・昨年夏以降の外出制限等解除との違いは、我々が学び、ワクチン接種を行っていることである。また,夜間外出制限も6月末まで維持される。

2 5月19日以降の具体的措置

カフェ・レストランのテラスでは、収容人数上限は定員の50%。店内に入ることなく、着席のみで、1テーブルは最大6人まで。

・映画館・劇場では、収容人数上限は3分の1かつ一部屋最大800人まで。

・商店は、大型ショッピングセンターを含め、すべての商店を再開する。ただし、客一人あたりの8平方mを確保しなければならない。屋内市場も同じ条件で再開する。屋外市場は、客1人あたり4平方mを確保する。

・(ルールに違反する事例が生じる可能性について問われ)各自が規則を遵守すると信頼している。その上で、検査・監視・監督も行われる予定であり、事業者らは営業停止を避けるためにあらゆる努力をすると確信している。

・私的空間における集会は、5、6月は6名の推奨を維持。夏までに再評価する予定。

3 6月9日以降の措置

カフェ・レストランのテラスでは、1テーブル最大6名まで着席でき、収容人数上限を解除。店内では、収容人数上限を定員の50%とし、1テーブル最大6名まで着席可能。

・ナイトクラブは、引き続き閉鎖。

4 6月30日以降の措置

・カフェ・レストランのテラスおよび店内で収容人数上限を廃止。店内では着席型でのみ営業可能。必要に応じて、他の衛生措置と組み合わせる。

・ナイトクラブの営業再開については、未定。

5 今後の予定(ワクチン接種、パス・サニテール等)

5月中旬までに2,000万人がワクチン接種するという目標について、昇天祭の週末が終わる頃には到達すると考えている。

・ワクチン接種センターは昇天祭の休暇期間も利用可能であり、休暇先でもワクチン接種が可能。

・必要に応じて秋にワクチン接種を再加速できるように、追加発注した。

・アストラゼネカのワクチンは、すでに在庫がある。自ら接種したように、このワクチンを接種する必要性を繰り返し訴えていく。

・パス・サニテールの実施については、現在国会で審議中。劇場、会議場、大型コンサート、スタジアムなど1000人以上が同時に集まる大型イベントが対象となる。職場、学校、公共施設、博物館、図書館、デパート、市場、休暇先、礼拝所等は対象とならない。

マスク着用義務が夏の終わりまでに終了することを期待してはいるが、時期については未定。将来的には、コロナだけでなく一般的な感染予防の手段となるだろう。常時、強制的に、如何なる場所においてもというわけではないが、特に冬のインフルエンザの季節には、欧米で感染予防の習慣の一部となるかもしれない。

経済的支援措置については、2つの原則がある。1つは漸進性であり、突然支援措置を停止することはない。2つ目は適応性であり、様々な状況を考慮して、対策を調整する。コロナ禍からの脱出は、経済活動を適切に回復させ、経済を復活させることでもある。






2021年5月11日火曜日

精神の昂ぶりと異常な集中















ここ数日過去を振り返っていたが、今日は精神が昂ぶり、異常な集中の中にいた

普段からこの調子であれば「こと」はかなり進みそうな感じがする

新しいプロジェに関して、新しい塊がもうすぐできそうである

これが一段落すれば、長期プロジェを再開することになる






2021年5月10日月曜日

パリの院生時代を生き直す















フランスに渡った2007年から2009年あたりまでのブログを読み直していた

昨日は感じなかったが、今日あたりから恰も10年以上前に舞い戻ったような感じがし始めている

当時の記述にもあるが、大学で講義を聴いている時、恰も最初の学生時代を生き直していると感じていた

そして今、今度はパリの院生時代を生き直しているように感じている

何とも不思議な、贅沢な気分の中にいることになるのだろうか

それにしても、意外に真剣に「こと」に当たっていた姿が蘇ってきて少し驚いてもいる







2021年5月9日日曜日

振り返りと脳の恐るべき力










 

 

 

 

 

 

 


昨日からフランスに渡ってからのブログを読み始めた

プロジェでもない限り、なかなか読むことにはならなかったものだ

もう14年も前のことではあるが、漫然と生きていた時代とは異なり、心象風景がはっきり蘇ってくる

ただ、それらを通り過ぎた現在から見ると、個々の記録は例えばマスター1年目という大きな塊の一部に埋もれている

今の日常の中では何か関連したことでもない限り、そこ(底)にあるのにそれ自体が浮かび上がることはない

つまり、ブログのような生データが残っていなければ、永遠に記憶の底に沈んだままになる

これは恐ろしいことであり、何と勿体ないことだろうか

豊かな内的世界を見たり構築したりすることなく、現実の流れの中だけでこの生を終えていくことになる

そう考えると、このプロジェはわたしに貴重な機会を与えていることが明確になる


ミシェル・セールさんではないが、パソコンに収められたデータはまさに自分の頭を切り取ったものなのかもしれない

その伝で行けば、わたしも毎日、切り取った自分の頭と対峙していることになる

体に付いている頭からは引き出すことができない「ひと・もの・こと」を求めて

そして、目の前にそれらが現れれば、体に付いた頭にも同じものがあることを確認できる

つまり、すぐに引き出せるところにはないが、脳は全てを覚えているのである

そう確認する時、脳の持つ想像を遥かに超えた恐るべき力にただただ感嘆するだけである 

それを引き出すのは我々の力に掛かっているが、そこにはトリックが必要になるということだろうか







2021年5月8日土曜日

フランスに渡る前の内的世界













 



朝のサイクリングはまだ続いている

体が少しだけ軽く感じられるのは悪くない

頭にも良い影響が出ることを期待したい


このところ昔を振り返るプロジェに当たっている

フランスに渡る前の内的世界を振り返るため、昔のブログなどを読み返している

動きの中にある時には振り返りの作業はなかなか難しい

幸い今は休止状態のようなところがあり、落ち着いて読み返すことができている

その過程で、早期に抽象化されて記憶に定着してしまったものの元の姿を確認することがある

生データを見るとさらに豊かな抽象化が可能になることが分かる

過去の扱いは厄介である

と同時に、そこには汲めども尽きぬ泉があることを教えている

 

生データを大切にできない国が「豊かに」なるはずがない

そもそもデータに基づかないので、そこには嘘が付き纏う






2021年5月7日金曜日

北国の春















今朝窓を開けると、枯れ木に白い花がちらほらと咲いているではないか

去年の今頃は庭への関心がそれほど高くなかったせいか、気付かなかった

緑の葉が溢れている姿は知っていたのだが、、

こぶしの花が咲いたということは北国にもやっと春ということか

そう言えば、懐かしいあの歌にもその一節があった

久しぶりに味わってみることにした






2021年5月6日木曜日

朝の海辺のサイクリング







 













昨日、海辺の道を散策している時のこと

買い物用のカートを歩行補助器のようにして遠くを歩いているご婦人がいた

その姿を見た時、フランス語でTrottinette(日本語ではキックスケーター)に乗っているように見えたのである

そう言えば、フランスにあることをすっかり忘れていた

いずれ乗ってみたいものだと思っていると、自転車に乗った老境に入った男性が通り過ぎた

このような景色はこれまで何度も見ているはずだが、自分が実際に乗って海岸線を走ってみようとは考えなかった

昨日やっと自分も試してみたいと思っていたが、今日その気になり実現した

太腿と膝には少々来たが、1時間ほどのサイクリングにはこれまでと違った爽快さがあった


このように、すぐにそのことを思い付かないのである

同じようなことがプロジェでも起こっていないと言えるわけがない





2021年5月5日水曜日

「人類の遺産に分け入る旅」のこれまでを振り返る







 

 

 

 

 

 

 

 

「医学のあゆみ」誌に連載中のエッセイ第100回のご紹介です

 「人類の遺産に分け入る旅」のこれまでを振り返る

医学のあゆみ(2021.5.8)277(6): 507-510, 2021


100回を迎えたのを機に、毎回取り上げたエピグラフからこれまでの旅を振り返ったものです

お読みいただければ幸いです







2021年5月4日火曜日

COVID-19:形而上学的ウイルスに感染する















ほぼ快晴の今朝、庭の緑が目につくようになってきた

これまでは薄茶色一色だったのが、先日あたりからその中に緑が混じり出した

今日は今季初めて蝶々が遊びに来てくれた

 

昨年、一時帰国のつもりで戻ってから早一年以上が経過したことになる

COVID-19がここまで大きな影響を及ぼすとは、当時は想像もできなかった

先日も触れたが、コロナウイルスに感染するか否かではなく、パンデミックがそこにあること自体が問題なのである

ウイルスに感染していなくても、殆んどの人がその影響を受けている

まさに、「汎デモス」(全ての人)なのである

物理的ウイルスの感染の有無にかかわらず、全ての人が形而上学的(?)ウイルスには感染しているのである

特に、政策決定に関わる人はその事実を真に認識することが求められるだろう

 






2021年5月2日日曜日

プロジェの間を飛び回る















連休の前半は静かに集中できている

最近の特徴は、プロジェ横断的に考えが巡るようになっていることだろう

二つの別物と思われたプロジェは、実は地下の根のところで繋がっていたのだ

一つのことをやっていると別のことが思い出され、プロジェの間を飛び跳ねている

このような作業を繰り返すことで、対象の理解が深まることを願うばかりだ


ところで、今年に入ってから考えていたことがあるが、ここに来てやっと結論を出すことができた

外的要因が加わり、決断せざるを得なかったという方が正確だろう

おそらく今月中には新しい状況に移行することになるだろう

身近な生活面ではこれまでと変わりないと思うが、長期的、精神的には影響が出そうである





2021年5月1日土曜日

COVID-19: マクロン大統領のインタビュー記事















昨日、外出制限等の今後の段階的解除に関するマクロン大統領のインタビュー記事が地方紙に掲載された

大使館のまとめを以下に貼り付けておきたい


----------------------------------------------------------------


1 4段階の外出制限等の解除

(1)第一段階:5月3日
・現行の夜間外出制限を維持する
・テレワークを維持
・商店の営業は現行のまま
・中学の第4学年及び第3学年は半数の登校で開校
・高校は半数の登校で開校
ただし、中学及び高校の開校は、人数制限及び場所に合わせた衛生プロトコルの順守を条件とする
・日中の移動の際の証明書を廃止
・地域間の移動制限を解除

(2)第二段階:5月19日
・夜間外出制限の開始時刻を21時に繰り下げ
・テレワークを維持
・商店の営業が再開
・バー、レストランのテラス営業が再開、1テーブル最大6人まで
・美術館、記念建造物、観客の着席を前提に映画館、劇場が再開、屋内は800人まで、屋外は1,000人まで
・屋外及び屋内のスポーツ施設への観客動員を再開、屋内は800人まで、屋外は1,000人までただし、各種再開は人数制限及び場所に合わせた衛生プロトコルの順守が条件
・衛生プロトコルの順守を条件に、屋内及び屋外でのスポーツ活動も再開
・10人以上の集会は禁止

(3)第三段階:6月9日
・夜間外出制限の開始時刻を23時に繰り下げ
・テレワークを緩和
・カフェ、レストランの営業が再開、1テーブルは最大6人まで
・パス・サニテールの提示により、文化・スポーツ施設は5,000人まで収容可能
・接触を伴うスポーツは屋外施設、接触を伴わないスポーツは屋内施設で再開
ただし、各種再開は人数制限及び場所に合わせた衛生プロトコルの順守が条件
・見本市・展示場が再開、パス・サニテールの提示により5,000人まで収容可能
・パス・サニテールの提示により外国からの観光客受け入れを再開

(4)第四段階:6月30日
・夜間外出制限を解除
・各地域の衛生状況に応じ、感染予防措置及び社会的距離の確保を条件に公衆を受け入れる施設内における人数制限を解除
・パス・サニテールの提示により、屋外、屋内ともに1,000人以上を収容するあらゆる催し物への参加が可能
・収容人数の上限は催し物の内容及び各地域の衛生状況に応じて決められる
・ナイトクラブは引き続き閉鎖

(5)詳細は5月10日の週にカステックス首相が発表する。

2 外出制限等の解除の判断基準

・外出制限等の解除は、全国一律に実施のされる予定で、5月19日の第二段階は仏全土で移行できることを期待
・一方で、感染が広がる地域においては衛生上の「急ブレーキ」をかける
・「急ブレーキ」をかける基準は、以下の3つ
(1)     10万人あたりの新規陽性者が400件を超える
(2)     陽性者が急増する
(3)     蘇生病床が飽和状態となる危険がある
このような場合には、政府は自治体と協議しつつ解除を取り止める
・昨年10月に、外出制限解除の基準を1日5,000件以下としたが、今日は30,000件を超えている。現在は学校及び商店閉鎖の結果を考慮する必要があり、ワクチンがあることが昨年10月との大きな違いである
・今日受けることのできるワクチンは変異株についても有効であると思われるが、毎週のように新たな変異株が見つかっており、警戒を続けなければいけない

3 テレワーク(6月9日より緩和)
・月曜日から、議員、企業等のパートナー、自治体の議員との協議を開始
・詳細は5月10日の週にカステックス首相が発表

4 「パス・サニテール」(衛生パスポート)
・パス・サニテールは2日以内に受けた検査の陰性結果またはワクチン接種証明をまとめたもので、6月よりパス・サニテールの提示により旅行や大規模イベント参加が可能に
・パス・サニテールは6月初旬にTousAntiCovidのアプリ上で入手可能、紙媒体の各種証明書も有効
・パス・サニテールはレストラン,劇場,映画館のような日常生活における場所へ行くために必要とはならないが、祭典やスタジアムなど人々が交わる場所においては必要になるかもしれない

5 ワクチン接種
・全年齢層を対象としたワクチン接種は直ちには開始できない
・5月1日より18歳以上の深刻な肥満(BMIが30以上)の者に対するワクチン接種を開始、230万人が対象となり、今週末からワクチンセンターに出向いて欲しい

6 各種試験
・バカロレアは3月に対面で実施するはずであった試験を平常点で採点、最終学年における哲学の試験及び口頭試問は対面で実施予定
・職業バカロレアの試験は6月の実施を維持
・職業訓練校(BTS)の試験も同様に6月の実施が維持され、研修及び平常点を合わせて採点、7月に例外的に追試が実施される予定
・その他の高等教育関係の試験についても予定どおり実施されるが、体調不良の者については追試を実施

7 経済対策
・部分的失業は5月及び6月も同様に維持、5月に営業を再開しても4月と同様の給付を受けることができる
・6月1日からは活動再開の状況に応じた給付となる