今回、これまでそこに降りることも殆どなかった庭との関係ができた
草を踏みつけて歩きながら観察し、発見したことも少なくなかった
その過程で、大げさに言えば庭を自分の一部のように感じるようになってきた
これまでは荒れた庭を美しいと思ったことはなかった
しかし、それはそれでよいのではないかと見方が変ったのは今春だっただろうか
それはそれなりに美しいと思った瞬間があったということだろう
そして今、庭が自らを省みてこれまでのような乱れた振る舞いをしなくなったように見える
換言すれば、わたしのコントロールの下に庭の草木が生きているように感じるのである
少々危ない錯覚に違いないはずなのだが、、
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