2020年2月24日月曜日

エピステモロジー(7)



認識論的正当化(1)

例えば、知識とは正しい信念、正当化された信念であるとする
その場合、信念を構成しているものと正しいということが意味するものを説明しなければならないだろう
しかし、この根本的な問題を脇に置き、正当化の条件について集中してみよう

正しいのか間違っているのか、信念は現実的な理由のために正当化され得る
A が真実を語っていると友人の B が信じるのは、A が嘘をついていると考えることが悍ましいからである
B の正当化は現実的なものであり、感情的なものでさえある

しかし、それは認識論的正当化ではない
我々は欲求、感情、利益に依存することなく、そのもののために真理を求めることができる
我々は必ずしも満足することがないとしても真実に辿り着くことで喜びを感じることができるのである

ポストモダンの哲学者の中には、これに異議を唱える者もいる
しかし、本当に異議申し立ては可能なのだろうか


(つづく)








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