2020年2月19日水曜日

エピステモロジー(2)



懐疑主義の挑戦(1)

懐疑主義とは、我々は自分が思っているよりずっと少ないことしか知らないという考え方である
部分的には、我々はある問題(将来のことなど)について知っていることは少ないということ
一般的には、我々は思っているよりも知っていることは少ないとなる

懐疑主義を突き詰めれば、我々は何も知らないということになる
あるいはモンテーニュのように、「クセジュ」(わたしは何を知っているのか)と問うものである
なぜなら、知らないということを認めることは、さらに知ることはできないということになるからである
従って、我々を取り囲むすべての未知のものの異様さが不安にさせる
あるいは反対に、認識に関するバカげた自惚れを放棄することに導く懐疑主義の心地よい平静に満たされるのである

懐疑主義は非常に古い哲学的態度である
古代ギリシア人(ピュロン主義やアカデメイア派など)がこの言葉を残してくれたのである
中世においてはあまり広がらなかったが、知られていなかったわけではない
16-17世紀には、宗教的信仰についての論争においてよく顔を出すようになった
どのようにして間違ったものから宗教的な真の知を識別するのかといった問題においてである
宗教改革対抗宗教改革の論争におけるエラスムスカルヴァンの対立において、懐疑主義の議論がよく使われた

懐疑主義はモンテーニュの思想の中心を成している
それはデカルトによって洗練され、反駁された
しかし、デカルト自身はピエール・ガッサンディトマス・ホッブスマラン・メルセンヌにより批判された
この考え方は、ピエール・ベールにより百科事典に取り上げられた
懐疑主義を現在の形にしたのは、デイヴィッド・ヒュームである
トマス・リードは常識を擁護し、カントは知識の可能性を擁護した
しかし、懐疑主義の挑戦を退けるには十分ではなく、懐疑主義は現代哲学に蘇っている


(つづく)







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