2020年2月18日火曜日

実在論の擁護(4)



そのため、言語的・文化的相対主義はその頂点にある
それが、形而上学的・認識論的「絶対主義」からの解放として提示された反実在論に導くのである
しかし、人間が多様な範疇の様式を展開したとしても、それが現実と対応しないということではない
その多数性は、現実が相対的であることも、一方から他方に途切れず容易に移行することも意味しない

グッドマンが提示した「グルー」の謎は、次のような一つの議論である
事実に反する可能性を明確にし、我々がなぜ「グルー」を用いないのかを自問するものである
少なくとも哲学的可能性においては、恰もそれができるかのようにすべては終わるのだが

それが反実在論の誘惑の一つの源泉である
論理的可能性は、とくに精神にとって素晴らしいことである
しかし、「もの・こと」が起こったかもしれないようには起こらない時、考慮する必要がある
可能性への誘惑によって、現実感覚を失わせてはならない 

実在論のある形態は、範疇の様式に恣意的なものが何もないことを前提とする
様式は多様で、科学や日常生活や芸術において同じものではない
文明や文化に応じて強調されるところも異なってくる

現代哲学において、反実在論が栄え、今日の優勢な考え方、人文社会科学におけるウルガタになっているかもしれない
しかし実在論は、予想に反して降伏しなかったのである








0 件のコメント:

コメントを投稿