2020年2月25日火曜日
オーギュスト・コントの部屋を見つけることできず
昨日は用事がありパリへ
その合間を縫って、前回訪問した時に思いついたが未解決のままになっていた問いを探ってみた
オーギュスト・コントは1831年から17年間、市民に向けて天文学の講義をしていたという
1798年1月19日生まれなので、33歳から50歳までに当たる
記録によれば、毎週日曜日、3区の区役所の一室を使ったことになっている
その部屋を見ることができないかということであった
前回、3区の区役所に行き尋ねたところ、3人目で答えに辿り着いた
コントの時代の3区区役所は現在の2区の区役所だというので、早速そこに行ってみた
そこには結婚式場に隣接して確かに会議室はあったが、出来たのがコントが講義をしていた後なのである
前回はそこまでで引き上げることになった
よくよく記録を読み直してみると、3区区役所と言われるところの住所が書いてあるではないか
昨日はそこを探すべく行ってみたが、現在の2区区役所とは目と鼻の先
しかし、それらしいところはない
近くにあった図書館に入って訊いてみたところ、フランス革命で(?)破壊されたかもしれないという
現在の2区区役所はノートルダム・デ・ヴィクトワール教会に隣接しているので、そこで訊いてみた
記録にある住所は教会前の短い通りで、もうないのではないかという
その答えに人間の営みあるいは歴史の流れに潜む無常さを感じながらもその場を後にした
振り返れば、日本では何の意味も持たなかったコントだが、その後不思議な縁が生まれた
フランスに渡る前、パリに来た時にコントのポスターをどこかで見て写真に収めたことはある
しかし、その程度であった
それが、パリに来て1年くらいで出会った彼の三段階の法則が「科学の形而上学化」に導いた
そして、3・11の後の止むに止まれぬ気持の発露が現在に繋がるISHEの原点となった
しかしコントは既に、今で言えば「サイエンスカフェ」のようなものをやっていたことになる
しかも膨大な時間を割いて
こちらは後から気付いたことだが、そこにも深い繋がりを感じるようになった
それが、今回オマージュを捧げる意味で探索してみようと思った理由のような気がしている
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