実在論と反実在論の言葉の定義から始めたい
実在論とは、広い範囲の現実(実在)は我々の概念や理論などから完全に独立して存在しているとする見方
反実在論は、存在する少なくとも大部分は必然性を欠く概念や理論と関連しているとする立場
このような呼び名は最近のもので、分析哲学者によって使われた
それまでは、実在論と観念論の対立があった
観念論は、存在するすべては精神かその変容したものという考え方
観念論者は、精神や観念に依存しない世界は存在しないと考える
反実在論者も、精神(概念や理論など)から独立した世界は存在しないとする
観念論と反実在論との間に差がないように見えるが、あるという
観念論者は、すべての「もの・こと」の本質は心的あるいは霊的だと言う
しかし世界の在り方・本質は、我々の概念や理論には依存しないとする
対する反実在論者は、異なる社会実践から成る知的活動がすべての「もの・こと」の本質を決めるとする
つまり、観念論者にとって現実は存在するが、それは心的あるいは霊的な性質を持っている
しかし反実在論者にとっての現実は、我々が行う記述から独立しては存在しない
ヒラリー・パトナムは、次にように言っている
「世界はどのようなものからできているのか」という問いは、理論や記述の中でしか意味を成さない。世界に関する「正しい」理論や記述は一つ以上あるからだ。彼は一つの相対主義を採用したことになる
絶対的な視点は存在せず、人間(のグループ)の興味や目的を反映した視点があるだけだと言う
さらにパトナムは言う
対象(もの)は概念的な枠組みから独立しては存在しない。我々がある記述の枠組みを導入する時に世界を切り分けて対象にするのは、我々なのである。我々の言語で現実を切り取り、そこに含まれる対象を言わば作り出していることになる
この考えが現代の哲学者を最も惹き付け、駆り立て、人文科学にも広がって行った
これは学生にも好評だったようだ
何せ、そのものとしての現実が存在しないのだから、それに対峙する必要がなくなった解放感があったのか
それぞれが自己と自己の価値の創造者であると感じることができたのである
実在論者はしばしば「ナイーブ」だと言われ、反実在論者は真ではないものを発見するのに長けていた
この考えは芸術的創造にも模倣の要求からの解放という影響を与え、別の現実、超現実が提案された
反実在論者は、世界と世界を構成するものは社会的に構成されたものに過ぎないと主張する
これは20世紀後半に「ポストモダン」として流行することになった
現在フランス哲学の一部では、この考えは当たり前のように見える
反実在論者にとっての科学は、我々と独立した現実については記述しないものとなる
基本的に、在るがままの世界ではなく、社会的な要素と結び付いてくる
世界には社会的に構成された事実しかないとし、客観的な真理の要求を拒否するようになったのである
(つづく)
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