認識論的正当化(3)
ウィラード・クワインが「ゲティア問題」を説明するために出した例は、単純明快である
1918年11月7日、大新聞が間違って休戦を宣言した。しかし同日、二人のスポーツマンが小さな帆船でバミューダ諸島に集まるためボストンの海にいた。船にはその日の新聞はあったが、ラジオはなかった。4日後、戦争が終わっていると思いながら目的地に着いた。丁度戦争は終わったところだったので、彼らが知っていることは正確であった。しかし、彼らの信念は知識とは言えない。なぜなら、その基礎になっていたことが間違っていたからである。p = 戦争は終わった、とする
ヨットマンがバミューダ諸島に着いた時、
(1)p は正しい、(2)ヨットマンは p を信じている、(3)彼らは正当な理由でそれを信じている
我々は多くのことを正当な理由から信じている
自分の名前、自分が生まれたところ、知っている大部分のことは証拠を基にしている
さらに終戦を知ったのは証拠によってであり、それ以外では知り得ない
自分が休戦に調印したのであれば別であるが、
クワインが描いた状況において、どうして彼らが終戦を知っていると言うことができるのだろうか
ゲッティア問題とは、知識の定義(信念、真実、正当化の三条件を満たす)が知識には導かないことを示すことである
1963年以降のエピステモロジーのかなりの部分は、この問題を論じることであった
ゲティア問題について出されたすべての反論や解答を検討するのは、長くうんざりするものだろう
それがどんなものであったのかを示すための例がここにある
演繹的閉包性(deductive closure)の原理はゲッティア問題の間違った前提であると言った人がいる
この原理については既に触れている
S が p であること、p が q に導くことの信念が正当化され、S が p から q を演繹するとする
その場合、S は q であることを信じることが正当化される
事実、ヨットマンは新聞が休戦を宣言したという p から q を演繹して戦争は終わったと信じたようである
しかし、演繹的閉包性の原理は正しいのだろうか
この問題に関して、分析哲学者たちは重箱の隅をつつくような解析をした
(つづく)
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